池松壮亮の希有な演技力が成し得た1人2役と、ジャズの演奏に酔いしれる「白鍵と黒鍵の間に」

たった一音。否、わずか半音ズレただけでも曲の印象は変わる。その不協和音がかえって効果的に鳴る場合もあれば、演奏を台無しにしてしまうことも。どっちへ転ぶかは、その日のハコ=会場の客層や雰囲気、奏者の調子など……さまざまな要素に作用されるものゆえ、何とも言い難い。そこが演(や)り直しのきかない“生きもの”たるライブの怖さであると同時に、何が起こるか分からない──スリリングな面白さと捉えることもできる。そんなジャズの危うくも繊細な演奏と共に、昭和末期の銀座で繰り広げられる一夜を描いた「白鍵と黒鍵の間に」が、10月6日(金)からテアトル新宿ほか全国公開される。本作の魅力の一端をご紹介したい。   


人生もまた、ライブのごとし。

何気なくリクエストに応えて弾いた1曲が、はからずもその後の運命を分けるといった、思いがけないことが人生でも往々にして起きたりする。映画『白鍵と黒鍵の間に』は、まさしく2人のジャズピアニスト=博と南にとってターニングポイントとなる一夜を描いた、夢うつつな一編。昭和60年代と明確な時代設定ながら、どこかパラレルワールドのようにも見える往時の東京・銀座で、夜の街に生きる者たちがセッションのごとく織りなす人間模様を、ユーモアとペーソスを絡ませながら紡いでいく。 

主人公の対照的なピアニスト=博と南を演じるは、今や日本映画に欠かせぬ存在である池松壮亮。大志と夢を抱く前者とドライに日々をやり過ごす後者の1人2役に挑み、そのコントラストを見事なまでに体現せしめた。

なお、原作はジャズミュージシャン/エッセイスト・南博の“銀座時代”を振り返った回顧録ながら、冨永昌敬監督と共同脚本を手がけた髙橋知由によって、2人の異なるキャラクターにリアレンジされている。両者の対比と時系列を行き来させることで変則的なスウィング感を生み出しているのも、妙味と言っていい。冨永監督にとっては「素敵なダイナマイトスキャンダル」(18)に続いての昭和期にフォーカスした映画ではあるものの、まったく異なる味わいに。見方によってはフェアリーテイルのようでもあり、シビアな人生訓のようにも受け取れる──さしずめ“音域の広い”作品と定義して差し支えないだろう。 


見せ場として挙げられるシークエンスは数あれど、やはり博と南を取り巻く……あやしくもどこか憎めない人たちとのインプロビゼーション(即興演奏)的なやりとりに、目を奪われずにはいられない。とりわけ、銀座の街にふらりと姿を現し、博に「ゴッドファーザー 愛のテーマ」をリクエストする謎多き“あいつ”を演じる森田剛のケレン味は、特筆に値する。知ってか知らずか、その曲をリクエストしていい者と演奏していい者がそれぞれ決まっているにも関わらず、下世話な物言いで博にせがむ姿に漂う哀愁といかがわしさは、森田の力量による賜物。彼の登場によって曲が転調、もしくは変拍子になったかのごとく映画に変化をもたらすという意味でも、注目すべき1人と言える。       


スタッフ・キャスト陣が生み出す圧巻のジャズシーン

また、ジャズを題材にした映画の真骨頂という点で、演奏シーンの数々も見逃せない。池松演じる博と南のピアノはもちろん、圧巻はクリスタル・ケイやサックス奏者である松丸契らが音と歌声を重ねていく、ヤマ場でのアンサンブル。ジャズをこよなく愛する冨永監督が、映像表現によって音楽本来の魅力と魔力とエナジーを視覚化した、まさしく珠玉のワンシーンかと。それでいて、ミュージシャンの性(さが)と矜持も浮き立たせるという、名人芸の域にまで昇華させている。言わずもがな、キャスト陣の名演あっての名シーンではあるが、撮影部や録音部、照明部に美術部といったスタッフ陣ともども息を合わせて完成度を高めたことは、想像に難くない。  

そのシーンをはじめ、南がレギュラーで出演するクラブ内のロケ地に選ばれた横浜元町「クリフサイド」についても触れておく。昭和21年に「山手舞踏場」としてオープンして以来、今なお昭和の香りを漂わせる文化的レガシーが、この作品で担った役割は極めて大きかったからだ。和と洋をブレンドさせた建築様式がつくりだす独特の空間で、人の夢や欲が夜ごと渦巻いては消えていく悲喜こもごもの物語は、昭和の戦後間もない頃から、平成〜令和と時代の移り変わりを見守ってきた当地だからこそ説得力を持ったことは言うまでもない。        

しかしながら、何よりもこの映画にとって重要だったのは、主演に池松壮亮という屈指の力量を誇る名手を据えたことにほかならない。時代背景やジャズピアニストというキャラクター性を適確に捉えながらも、枠組みからはみ出していきそうな熱量とパッションを、気配で表現することができる希有なアクターだからこそなし得た1人2役だったことは、改めて言うのも野暮というもの。何にしても、博と南の間をたゆたうように両者の人格を確立させた池松の真髄に触れずして、彼の芝居は語れない。願わくは、その“静かなる熱演”に心も体もスウィングさせて観てほしいものだ。

文=平田真人 制作=キネマ旬報社

 

 

「白鍵と黒鍵の間に」

10月6日(金)よりテアトル新宿ほか全国公開

原作:南博「白鍵と黒鍵の間に」(小学館文庫刊)
監督・脚本:冨永昌敬
音楽:魚返明未
出演:池松壮亮、仲里依紗、森田剛、クリスタル・ケイ、松丸契、川瀬陽太、佐野史郎、洞口依子、松尾貴史、高橋和也

配給:東京テアトル
2023/日本/94分
©2023 南博/小学館/「白鍵と黒鍵の間に」製作委員会
公式HP:hakkentokokken.com

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