映倫 次世代への映画推薦委員会推薦作品 —「52ヘルツのクジラたち」

声なき声で鳴くクジラのように孤独な魂たち

ベランダに佇む貴瑚(杉咲花)の表情は、眼前の海のように凪いでいる。田舎町での再出発——その矢先にひとりの子が現れた。髪は伸び放題で身体には虐待された傷痕。声を発さず、若い母親にムシと呼ばれるその子(桑名桃李)を、自身も母親に傷つけられていた貴瑚は面倒見ることに。そして、都会での荒波にもまれた貴瑚の過去がひもとかれる。それは、貴瑚を救い出したアンさん(志尊淳)をめぐる回想となる。

2021年本屋大賞を受賞した町田そのこの小説を原作に、家庭環境やセクシュアリティに苦悩する者たちを綴った物語である。声にならないSOSの発信者を、仲間には届かない周波数で鳴く孤独な「52ヘルツのクジラ」になぞらえた。身勝手な親の暴力、性的規範に押し込む社会の圧力、強者のDV。すべては感性の欠如および思考の停止からくる陳腐な類型的行為であり、そうした旧態依然のコミュニティにあって〝52ヘルツ〞を聴き取ろうと連帯する貴瑚やアンさんの真っ直ぐさに打たれる。困窮者への共鳴と自由への闘い、それもまた類型であったとしても、杉咲花や志尊淳は、誰も成り代われないたった一つの輝きを見せている。

貴瑚を囲って醜い支配欲を満たす専務役の宮沢氷魚、昔も今も貴瑚を助ける親友役の小野花梨も印象豊か。ベテランの成島出監督が、登場人物たちを慈しむように丁寧に描き出す。都心のウォーターフロントのタワーマンションから、海を望む高台の旧い田舎家屋まで、水が並走するロケーションも鮮やか。長かった髪とともに過去を振り切った貴瑚は、まだ暗い埠頭でムシと呼ばれた子と魂をぶつけ合い、ついに夜明けを迎える。そこには〝規範〞を置き去った、緩やかな共生の形が現れるだろう。原作が発表された2020年から4年経ち、世の中は成熟しつつあるが、いまも至るところで52ヘルツの声が発されているはず。耳と頭と心を澄ませよ。


文=広岡歩 制作=キネマ旬報社

(「キネマ旬報」2024年3月号より転載)

「52ヘルツのクジラたち」

【あらすじ】
東京から海辺の田舎町へ移住してきた貴瑚。声を出せず「ムシ」と呼ばれて親に虐待されている少年と出会った彼女は、見過ごせず一緒に暮らし始め、やがて少年に芽生えた願いを叶えようと決意する。そして、かつて親に搾取されていた貴瑚の声なきSOSを聴き取り、救ってくれた安吾との日々に思いを馳せる。あのとき、聴けなかった声を聴くために……。

【STAFF & CAST】
監督:成島出
出演: 杉咲花、志尊淳、宮沢氷魚、小野花梨、桑名桃李 ほか
配給:ギャガ
日本/2024年/136分/G
2024年3月1日(金)より全国公開
公式HPはこちら
© 2024「 52ヘルツのクジラたち」 製作委員会

 

最新映画カテゴリの最新記事