木樵の映画専門家レビュー一覧

木樵

    岐阜県飛騨地方の山林で働く人々の営みを見つめるドキュメンタリー。およそ50年間、木樵の仕事で生計を立てている兄弟とその弟子たちに密着。林業がその土地と深く繋がっている様や、緩やかに流れる時間の中で森林と共に生活する“山の暮らし”の継承を映し出す。ナレーションを岐阜県在住の俳優、近藤正臣が担当。監督は「こどもたちの時間」の宮崎政記。
    • 脚本家、映画監督

      井上淳一

      いや、知らないものを知るのは楽しいから、そういう意味では面白いのだ。何の興味もなかった木樵という職業。切ることより、出す(運ぶ)ことの方が大変なこと。伐採により森を育てること。勉強になる。でも映画として何かが決定的に足りない。主人公が木を森から出す、途絶えそうなその技術をもう少し分かるように撮れなかったか。主人公にドラマがなければ、もう少し視野を広げ、総花的に林業の今昔を見せても良かったのでは。一番映画的なシーンが、ウリ坊の絞首刑では悲し過ぎる。

    • 日本経済新聞編集委員

      古賀重樹

      DX(デジタルトランスフォーメーション)がかまびすしいご時世に「技術の伝承」の意義を説くことはとても難しい。この映画はそんな困難に果敢に挑んでいる。山を荒らすことなく、木を一本一本切り倒し、架線を引いて運び出す。その手つきをひたすら撮ることで、仕事の意味を考えさせる。木材価格が30年前の4分の1となったというが、儲からなければやめる、とは簡単にいかない仕事もある。ノスタルジーではなく、今を生きる人々の生活がちゃんと映っているのもいい。

    • 映画評論家

      服部香穂里

      家業を継がず映画の道を選んだ監督の過去が本作の出発点であるのなら、木樵として憧れていた実父との関係性や、自身とは対照的に約半世紀も林業一筋の兄弟に惹かれる理由なども、もう少し明らかにするべきだったのでは。山を荒らさぬように架線を引き木材を運び出す工程は、準備段階も含めて圧巻だが、道路の移転先に決まり、70年も超然と根づいてきたメタセコイアにチェーンソーの刃を入れる場面以外は、似たような伐倒の光景が続き、映像的に単調に見せない工夫の必要性も感じた。

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