ドライビング・バニーの映画専門家レビュー一覧

ドライビング・バニー

家も金も仕事もなくなった母親が、離れて暮らす幼い娘のもとへ向かう姿を映し出すロードムービー。妹夫婦の家に居候中のバニー。ある日、妹の新しい夫ビーバンが継娘トーニャに言い寄る光景を目撃したバニーは、ビーバンに立ち向かうも、家を叩き出されてしまう。出演は「ニトラム NITRAM」のエシー・デイヴィス、「ラストナイト・イン・ソーホー」のトーマシン・マッケンジー。監督は、本作が長編デビューとなるゲイソン・サヴァット。
  • 映画監督/脚本家

    いまおかしんじ

    主人公の女の人は、いい人なんだけど怒りを抑えられず乱暴になってしまうキャラクター。良かれと思ってやったことが、ことごとくうまくいかない。負けず嫌いで、抵抗しまくる。車の中にションベンしたりとか手がつけられない。椅子でガラスを粉砕するところ、最高だった。そんな彼女の少し狂ってるけど切実な思い。ハッピーバスデーの歌声に涙が止まらなかった。彼女のことをわかってくれる人がどこかにいる。それが物語の救いになっている。人物への眼差しがやさしい。

  • 文筆家/女優

    唾蓮みどり

    まるで子どもがそのまま大人になったようでバニーを見ていて落ち着かない。時にとても身勝手で、それでもその叫び声からは痛切な何かが伝わってくる。共感力や繊細さにかけるようで、他の人が見て見ぬ振りをすることに気づく。一部の大人のための“社会”に適合するのは難しい。次第に少しでもバニーに不安を感じた自分への苛立ちが募る。だからあえて「応援する」という言葉は使いたくない。ただこの無謀にも思える逃避行を一緒に見届けさせてほしいという願いに変わる。

  • 映画批評家、東京都立大助教

    須藤健太郎

    ご都合主義とは何かが知りたければ、この映画を見ればいい。出来事を脚本の都合によって順に生じさせていくことだ。冒頭の家庭支援局の場面から顕著である。バニーがロビーにいると、若い女性が受付でぞんざいに扱われている。そのやりとりが終わると、急に赤ん坊の泣き声が響く。泣き止んだタイミングで、今度はバニーの子どもたちが現れる。全篇この調子。ラストに主題歌の流れるなか、救急車での言葉のやりとりが間奏中で、会話の終わりとともに歌が再開するのも同じ論理による。

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