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  • 松尾昭典

    45年府立生野中学を卒業して清水高等商船学校に入るが終戦で退学。大阪高等学校文科2類に入り直し52年京都大学文学部美学美術史科を卒業。戦後の黒澤明、吉村公三郎、木下恵介の映画にあこがれての美学専攻で卒論も『映画の創造性について』だった。卒業と同時に松竹京都撮影所の助監督試験を受けて入社。松田定次「丹下左膳」、野村芳太郎「びっくり五十三次」につき、54年日活撮影所に移籍し、助監督として契約。川島雄三「純潔革命」「わが街」、マキノ雅弘「次郎長外伝・秋葉の火祭り」「人生とんぼ返り」「丹下左膳」、中平康の「街灯」「殺したのは誰だ」「四季の愛欲」「紅の翼」につく。58年7月監督契約となり、二谷英明主演の「未練の波止場」で監督デビューする。ムード・アクションづくりのうまさには定評があり三作目の「ゆがんだ月」では、ものうい女の歌をバックにしたチンピラやくざと殺し屋の西部劇まがいの決闘シーンなど不思議な魅力があった。「打倒」の赤木圭一郎のジェームス・ディーンを思わせる描きよう、時効寸前の殺人犯を捕える敏腕刑事の執念と男の孤独を鮮やかに見せた「人間狩り」など、日活アクションの中でも、純愛ムード、甘さに、切れ味の鋭さもあり“松尾タッチ”と呼ばれる独自の世界をもっていた。だが、型にはまった裕次郎作品「清水の暴れん坊」「夕陽の丘」「金門島にかける橋」「泣かせるぜ」などを撮るうちミズミズしさは消え、マンネリ化して伸び悩んだ。むしろ、日活後期の仁侠アクション、高橋英樹の「男の紋章」「関東遊侠伝」など、仁侠の中に純愛の泣きのムードを盛り込み、松尾独特の味を出した。しかし、日活のロマン・ポルノへの転向で、71年フリーとなり、劇場映画の仕事にピリオドを打った格好でテレビ映画の演出に仕事を移した。フジ『浮世絵・女ねずみ小僧』(71)、日本テレビ『子連れ狼』(73)、テレビ東京『大江戸捜査網』(75~84)、『特捜最前線』(77~85)、テレビ朝日『遠山の金さん』(73~86)ほか多数。この間、77年に東映京都撮影所で、やくざ映画「仁義と抗争」、翌78年に「沖縄10年戦争」を撮っている。趣味は、書道と麻雀。80年4月10日結婚、二女あり。

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