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人物
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  • アメリカ・ニューヨーク市ブルックリン出身。両親ともにコメディ俳優。10歳の頃から映画を撮りはじめ、UCLAに入学するが中退。『サタデー・ナイト・ライブ』出演をきっかけにコメディ作家、俳優として知られるようになり、90年代初めには自身の番組『ザ・ベン・スティラー・ショー』を持つほどの人気に。「メリーに首ったけ」(98)「ミート・ザ・ペアレンチ」(00)で映画スターとしても成功、主演作「ナイトミュージアム」シリーズで世界的な人気を博す。「リアリティ・バイツ」(94、兼監督)「LIFE!」(13、兼監督)などシリアスな面でも評価されている。

  • 画家だった母の影響で幼い頃は絵画に親しんだ。17歳で詩、戯曲を書き始め、ダブリン大卒業後、教師、俳優、ミュージシャン等を経て処女短編集“Night of Tunisia & Other Stories”を発表。79年のガーディアン・フィクション賞に輝いた。その後も小説家として活躍の傍ら脚本の執筆も開始。映画化には至らなかったが、ジョン・ブアマンに脚本を書いたのがきっかけで81年「エクスカリバー」の製作を追ったドキュメンタリーのスタッフに。続いて「殺人天使」(V)(83)で監督となる。アイルランドで撮った“High Spirits”(88)でハリウッド運出も果した。憑かれたような幻想性がスリラーからコメディまで幅広い作品に共通する魅力となっている。

記事
「おから始まるもの」の検索結果 8件)

  • <p style="text-align: center; font-size: x-small;">◎全国にて公開中<br /> (C)2019「天気の子」製作委員会</p> <p>『雲のむこう、約束の場所』(2004年)以来、撮影や色彩設計として長年にわたり新海ワールドのビジュアルを支えてきたキーパーソン・三木陽子。今作では助監督として新海監督を全面的にサポート。さらにデジタル表現面での理想の追求に尽力するとともに、色彩設計として、「作品の世界観にあわせて、カットごとにキャラクターの色彩を決め込む作業」を担当している。セクションをまたいで新海を支える三木に、今作のデジタル表現を中心に話を聞いた。</p> <p>―助監督としてすぐ傍でサポートされてきた三木さんから見て、今作での新海監督のこだわりはどこでしょうか。</p> <p><strong>三木</strong> 映像面では「曇り」と「雨」の表現が挙げられると思います。基本はこれまでの延長線上ですが、「天候の調和が狂っていく時代」が舞台なため、曇りや雨のシーンがすごく多いんですね。そうした中で、どう映像的に華やかに見せるか、そして降り続ける雨をどう表現するかについては、試行錯誤を繰り返しました。一口に曇りや雨と言っても、時間帯ごとに色合いも変われば降り方も様々です。私も色彩設計として、美術監督の滝口(比呂志)さんと一緒にウンウン唸りながら作っていました。<br />  </p> <h3><strong>「曇り」や「雨」の表現へのこだわり</strong></h3> <p>―曇りや雨の表現というと、『言の葉の庭』(2013年)が思い浮かびます。</p> <p><strong>三木</strong> そうですね。特に『言の葉の庭』はフィニッシュワークも監督ご自身で手がけられていて、新海さんの映像面でのこだわり、目指す表現が詰め込まれた作品だと思います。今作でも、『言の葉の庭』を意識しながら詰めていったシーンがたくさんあります。</p> <p>―具体的にはどのようにアプローチしたのですか?</p> <p><strong>三木</strong> まず雨粒の表現をより魅力的に見せるために専門的に取り組む、李(周美)さんを中心としたVFXチームを立ち上げています。また作画チームとも、雨を表現するうえでどうセル分けするか、どうダブラシ(多重露光)処理をするかといった技術的な相談を事前にさせていただきました。撮影監督の津田(涼介)さんとも、たくさん登場する透明傘の処理のバリエーションを作ったり、水滴も単に青系で塗るのではなく、奥にある背景の色味も反映された表現ができるよう調整を繰り返したりしました。<br />  </p> <h3><strong>「監督主導で作るのではなく、スタッフに任せる」</strong></h3> <p>―新海監督と言えば、アニメ業界では「撮影(デジタルコンポジット)」の作家として知られています。今作は『君の名は。』以上に撮影処理に力が入っているように感じました。</p> <p><strong>三木</strong> 新海さんは今作で、「監督主導で作るのではなく、まずはそれぞれのスタッフにお任せする」という挑戦をしています。その意味で、撮影監督の津田さんの色も強く出ているのかもしれません。</p> <p>―では三木さんの色はどこに出ているのでしょうか?</p> <p><strong>三木</strong> 色彩設計の部分ですね。これまでの新海さんの作品では、ご自身が配色のベースを決められていたのですが、今作ではビデオコンテをもとに、まずは私に作ってみてほしいと。</p> <p>なので、美術監督の滝口さんによる背景美術を踏まえつつ、私がキャラクターの配色を決め、その両方を見て撮影監督の津田さんが撮影処理を作り込むという流れで、各スタッフが新海さんの目指す映像を想像しながら制作を進めていきました。なのでキャラクタ ーには私の色が出ていると思います。<br />  </p> <h3><strong>新海監督が今、若い人たちに一番伝えたいこと</strong></h3> <p>―三木さんから見た、新海さんの目指す映像とはどのようなものでしょうか。</p> <p><strong>三木</strong> よく写実的と言われると思うのですが、私から見ると、新海さんの主観的な印象を画面に落とし込んだ映像のように感じます。たとえば光の当たり方一つとってもそうです。構図自体は写実的でも、順光のすぐ隣が逆光の色味になっていたりしますからね。だからスタッフにとっては、求める画を読み取るのが大変なんですが(笑)。</p> <p>―三木さんから見た本作の見どころを教えてください。</p> <p><strong>三木</strong> まず最近の新海さんの作品は、キャラクターがどんどん魅力的になってきていると思います。特に今作は、登場人物も多く、年代の幅も広いので、これまでの作品とはまた違った魅力を感じていただけるのではないでしょうか。また今作のラストのメッセージは、新海さんが今、若い人たちに一番伝えたいことなんだろうなと感じています。私自身がすごく共感するメッセージでもあるので、みなさんに伝わるといいなと思いますね。<br />  </p> <p>三木陽子(みき・ようこ)/1982年生まれ。CGデザイナーとしてぱちんこメーカー勤務を経て、フリーでゲームのキャラクターデザインや彩色、背景作成などを手掛ける。『雲のむこう、約束の場所』(2004年)以来、新海作品に欠かせないスタッフの1人として活躍。</p> <p style="text-align: right;">取材・構成=高瀬康司/制作:キネマ旬報社</p>
  • <p>『きみと、波にのれたら』は、まるで水晶のように輝く印象を残す。透明で、澄んでいて、そして脆さを含んだ硬さを感じさせる。<br /> <br /> これまでの湯浅政明監督は軟らかく、ダイナミックだった。今回の作品は、硬質で、静的だ。内包する時間感覚も異なる。『マインド・ゲーム』(2004年)や『夜は短し歩けよ乙女』(2017年)のような複線的な時間感覚も、『夜明け告げるルーのうた』(2017年)や『DEVILMAN crybaby』(2018年)のように世代を超えていく超人的なタイムスケールもなく、ただただ、今ここで経過していく時間を描くことに専念している。過去を探ろうとはするが、そこから現在まで時間は一直線に伸びるだけだ。寄り道をしようともせず。<br /> <br /> 本作の後半にはいかにも湯浅らしい大スペクタクルが展開されるが、それでさえ『マインド・ゲーム』の大脱出劇のように現実のポテンシャルを解放しバラけさせていくようなものではなく、むしろ地に足をつけるためのものである。昇天するべきものを天に昇らせ、まだこの世に残るものは硬い地面へと降ろすための儀式のようなのだ。</p> <p> </p> <p><strong>『君の名は。』『風立ちぬ』への応答</strong><br /> <br /> <br /> 本作は、死の領域を死の領域としてありつづけさせる。そして、そのことによって、自然と近年の二本の長篇アニメを思い出させる。 たとえば、スマートフォンに残るメモリーやデータは、二人の過去を明らかにできること。これは明確に『君の名は。』(2016年)に対する応答である。過去は決して捏造されたり消えたりしないと語るのだ。 また、『風立ちぬ』(2013年)に対する応答に思えるところもある。あの作品で、主人公の二郎は、最愛の人の死後、その死者に「生きて」と語らせる。自らの生に、死を呑みこんでいこうとするわけだ。一方で本作は、物語の終盤に、死者の声を突如として巨大に響かせる。その声が語るのは、「死ぬつもりなどなかった」「生きたかった」という純粋な願いである。死は死としてある。それを、生者は簡単に乗り越えることができない。そう本作は語る。<br /> <br /> <br /> <strong>一度しかない生と時間</strong><br /> <br /> だから『きみと、波にのれたら』は、とても真っ当なことを語る作品だとも言える―生は生であり、死は死である。いやむしろ、その真っ当さが、極限にまで高められていると言うべきか。プレス資料のインタビューによると、湯浅政明は「ひな子を波にのせてあげたかった」と語っている。本作が本当に驚かせるのは、この発言が、比喩的な意味を含んでいないということだ。ひな子は本当に、ただ波にのるだけなのだ。文字通りに、行為として。<br /> <br /> つまり、湯浅は本作で、過去作と異なる新たな実験をしたといえる。それは、一回性のある生・時間を描くことである。その結果、「普通の」生活がキラキラと輝き始める。本作の最も感動的な部分は、「普通の」生活を描く前半―ひな子と港の恋人としての時間にある。愛し合う二人が過ごす、ごく当たり前の時間が、結晶化される。その尊さは、時間やフォルムをグニャリと変質させたりはしない、禁欲的な表現によって初めて可能になる。<br /> <br /> 湯浅はこれまで、アニメーションの多義的な性質を活用してきた。その性質によって、死を含む雑多なあらゆるものを包括し、呑みこんでしまおうとした。でも、今回はそのやり方に背を向ける。本作の水晶のようなイメージは、硬くて脆い、壊れたら取り返しのつかない私たちの生について語るのだ。<br /> <br /> 湯浅はそっと、ひな子を波にのせる。繊細な水晶でできたような切なく光り輝くその存在を、やさしく。それを変容させることなど、許されないと言わんばかりに。ただそこに、優しく存在させるだけの映像。本作で湯浅政明はまたしても、アニメーションの最先端を走ってしまった。</p>
  • <h1>今なぜ“女王映画”が人気なのか? その魅力と注目点</h1> <p>英国は女王の時代に栄える――それほど英国の歴史に詳しくなくても、この言いまわしは耳にしたことがあるだろう。ここで言う女王とはまさしく“ゴールデン・エイジ”を築いたエリザベスI世に、先年まで最長の在位期間を誇ったヴィクトリア女王、そして今なお現役として女王の職務に忠実なエリザベスII世。もっとも、映画界と“英国”女王との関係にまで目を広げると、9日間だけイングランド女王となって、たった15歳で処刑されてしまったジェーン・グレイやスコットランド女王メアリー・スチュアートが挙げられる。</p> <p>ジェーンは『レディ・ジェーン/愛と運命のふたり』(1986年)でその悲劇が描かれ、メアリーは、あの発明王エジソンがサイレント映画『メアリー女王の処刑』(1895年)を製作したり、ジョン・フォード監督がキャサリン・ヘップバーン主演で『メアリー・オブ・スコットランド』(1936年)を撮ったりした。そして今回『女王陛下のお気に入り』でグレート・ブリテン初代女王のアンが満を持して登場、と常に魅力的な素材であることがわかる。<br /> <br />  </p> <p>特にメアリー・スチュアートに関しては、ある意味、9歳上の従姉妹エリザベスI世よりも注目度の高いスターだと言える。ドイツのシラーの戯曲『マリア・ストゥアルト』やそれを基にしたダーチャ・マライーニの2人芝居『メアリー・スチュアート』、そしてミヒャエル・ハネケ監督の『ピアニスト』(2001年)の原作者としても知られるノーベル賞作家エルフリーデ・イェリネクが、メアリー・スチュアートとエリザベスI世の関係をドイツ赤軍の女性幹部になぞらえた意欲的な戯曲『ウルリーケ・マリア・スチュアート』を書くなど、常に書き手の想像力を刺激し続けてきた。</p> <p>以前、映画『エリザベス』(1998年)で高い評価を受けたケイト・ブランシェットにインタビューした際、「日本の歌舞伎役者・坂東玉三郎は“エリザベスI世は男だった”というフランシスコ・オルス作の芝居『エリザベス』で好演した」という話をすると、その1年後の再インタビューで、「あなたが教えてくれたカブキ・アクター、名前何て言ったっけ? 彼と2人で舞台『メアリー・スチュアート』をやりたいのよ!」と言ったものである。あまりにも驚いて、「どっちがどの役をやるつもり?」と聞くのを忘れたのが、くれぐれも悔やまれるが。<br /> <br /> <br /> =======================================<br />  </p> <p>そのブランシェットと『ハンナ』(2011年)の時から「そっくり」と言われてきたシアーシャ・ローナンがメアリー・スチュアートを演じる『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』は、エリザベス役のマーゴット・ロビーが醸す先達エリザベス女優たちとはまた異なる独特の存在感といい、メアリーを激しく糾弾するデイヴィッド・テナント扮する長老派教会の創始者ジョン・ノックスのアジ演説「女なんかに国を治められはしないのだ!」といい、まさに昨今の女王映画隆盛の最大の注目点がある。</p> <p>つまり、女性に王位(皇位)継承すら認めぬどこかの国とは違って、メアリー・スチュアートが生後6日でスコットランド女王になったように、「女王というタイトルはやるが、国を動かすのは我々だ」との男たちの思惑。いや、できればそのタイトルもこっちにもらおうかという陰謀の数々が見えるのだ。もちろん、これまでの映画でもこういった視点はあったが、ライバルのエリザベスに対しても「早く結婚しろ」だの「跡継ぎの男子を産め」だの、#MeToo で揺れた映画界には何とも皮肉な言葉のオン・パレードなのは偶然とばかりも言えまい。しかも『女王陛下のお気に入り』のアン女王を含め、女王たち自らもそうした非人間的な重圧を当然のこととして受けとめるのである。</p> <p>『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』のジョージ・ルーク監督は、サム・メンデスを輩出した劇場ドンマー・ウェアハウスの芸術監督出身。架空とも言われる2人の女王の対面シーンの緊張感あふれる演出はさすがだが、メアリー自ら馬に乗って行軍の先頭に立つシーンなど映画的技法もなかなかで、「舞台ではやれなかったこと」へ踏み出す視覚表現には、ますますの期待をしてしまう。</p> <h2>ふたりの女王、そして男たちの陰謀</h2>   <p>このルーク監督が舞台から映画へ、の転身だとしたら、『女王陛下のお気に入り』のヨルゴス・ランティモス監督は、ギリシャ映画界から英国歴史物へ、の地殻変動ぶりにまず啞然といったところか。もちろん先例がないわけではない。たとえばインド出身のシェカール・カプール監督は、『エリザベス』のメガホンをとることをオファーされたとき、「英国の歴史など知らないから途方に暮れてしまった」と正直に告白してくれた。では、彼はどのようにアプローチしていったのか?</p> <p>「インドの古代叙事詩『マハーバーラタ』を思い出したんだ。あの中での勇者アルジュナと彼に助言するクリシュナの関係を、エリザベスと彼女を操ろうとするウォルシンガム(ジェフリー・ラッシュ)との関係になぞらえたら、後はスムーズに転がっていったよ」。同じようなことがランティモス監督にあったかどうか。つまり監督のバックボーンに幾分なりともあるはずのギリシャ悲・喜劇の影響が見て取れるか目をこらしたが、残念ながらその点は不明。むしろ彼のインタビュー記事などを読むと「なるべく歴史の真実にとらわれないように、むしろ現代にも通じる人間ドラマとして楽しめるように」オリヴィア・コールマン扮するアン女王、レディ・サラ(レイチェル・ワイズ)、アビゲイル・ヒル(エマ・ストーン)の3人の関係を描いていったという。</p>   <p>本作が評判になった昨秋のヴェネチア映画祭以来、日本では「ドロドロさ加減がまるで大奥!」といった惹句もよく目にするし、これまでにない女王や女官たちのあけすけな性描写はまさにそう言えなくもないが、忘れてはならないのは、宮廷物ならではの香気というか威厳のようなものがちゃんと漂っていることである。稀代の名演出家ピーター・ブルックはかつて、「どんなにポップでアナーキーな『ハムレット』であっても、ハムレット役者はアリストクラティック(貴族的)な空気をまとっていなくてはならない」と教えてくれたが、まさに人間臭さの根底に気高さが感じられるゆえの、作品そのものの格調高さと言えるかもしれない。</p> <p> </p> <p>記事の続きは『キネマ旬報』3月下旬映画業界決算特別号に掲載。今号では「2018年映画業界総決算」と題して、『キネマ旬報』編集部が総力をあげて贈る特集をおこなった。2018年映画業界の分析や検証、問題提起、そして2019年以降の映画界を見据えた内容となっている。</p> <p>文=佐藤友紀/制作:キネマ旬報社</p>
  • 「この『星くず兄弟の伝説』は公開当時、お客さんからの評判はとても良かったんです。でも映画批評家からは総スカンを食らって…それでがっかりしていた時、ある外国の女性評論家にこう言われたんです」 12月13日、日本外国特派員協会にて。1985年に公開された商業映画デビュー作『星くず兄弟の伝説』上映後の記者会見はこの、監督・手塚眞のことばで始まった。 「低予算でまだテクニックも未熟で…感想を聞く前からぼくは、言い訳を並べ立てていた。そうしたら彼女は『それは、見れば分かる』(笑)。でもつづけて『どんな巨匠でもみんな、処女作はそうなんだ。でもわたしはあなたの映画が気に入った』と言ってくれた。そのことばにぼくは、救われました」 外国人記者のこころをつかむ、手塚監督の見事なおもてなし精神。それですっかり打ち解けたのか会場から、次々質問が飛んだ。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++ ミュージシャン・近田春夫とのコラボレーション ―この映画で商業監督デビューするまでの経緯は? 手塚眞(以下、手塚) ぼくは17歳からずっと、映画を作っていたんです。監督・脚本・カメラ・出演と何でもやって。そんな自主映画青年だったぼくにミュージシャンの近田春夫さんが、声を掛けて下さった。1980年に発表した近田さんの「星くず兄弟の伝説」というスタジオ・アルバムを原案に、映画を撮ってみないかって。その話をいただいてぼくは、学生映画ノリの延長で作ろうって。それで近田さんのアルバムをもとに脚本を書いて、それを読んだ近田さんがオリジナル曲を追加で作曲する。そのようにして映画の準備は進められていった。だからこの映画はぼくと近田さんの、完全なコラボレーションなんです。 ―(熱狂的な映画マニアの)手塚さんがこの映画作る時、インスパイアされた作品を教えてください。 手塚 ロック・ミュージカルということで近田さんとの打ち合わせでは、『ファントム・オブ・パラダイス』(1974年)『ロッキー・ホラー・ショー』(1975年)などのタイトルが挙がりました。でもぼくはどちらかというと、リチャード・レスター監督の一連のビートルズ映画、あとメル・ブルックスの『ヤング・フランケンシュタイン』(1974年)、そこにモンティ・パイソンのような諷刺の利いたギャグをまぶしたいなって。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 三船、黒澤、大島、岡本太郎! ―さまざまなジャンルから著名人の出演は、どのようにして実現したのでしょう? 手塚 当時ぼくはまだ23歳で、とにかく怖いもの知らずだった。たとえばラストに特殊メイクで登場する、ヒトラー風の政治家。この役は最初、三船敏郎さんにお願いしました。そうしたら『一秒でも画面に出たら、最低百万円のギャラをお支払いください』と言われてしまって(笑)。そこで同じ世界のということで黒澤明監督に当たったら、『乱』を撮影中でね、と断られた。ぼくの自主映画を評価してくれていた大島渚さんも、撮影中でダメ。それでとにかくビッグ・ネームをとお願いしたのが、岡本太郎さん。そうしたら『俺は政治家が大嫌いだから、やりたくない!』と。 世界のミフネ、あるいはクロサワの出演は叶わなかったものの、尾崎紀世彦、景山民夫、高田文夫、中島らも、森本レオ、前田日明、タモリ、島田紳助、モンキー・パンチら時代の寵児たちが出演。まるでおもちゃ箱をひっくり返したような賑やかさだ。 そして主人公たちの幻覚を表現するアニメーションは、『夢幻紳士』『学校怪談』の高橋葉介が担当。手塚曰く「父(手塚治虫)の会社・虫プロに頼めばいいんだろうけど、かえって高くつくんじゃないかと思って(笑)」 そんな80年代の多幸的な気分を伝える『星くず兄弟の伝説』、そして30年後に綴られた『星くず兄弟の新たな伝説』。「ワケなんてない、でもとにかく楽しい」、遊びごころを伝説を詰めこんだ『星くず兄弟 伝説BOX―Blu-ray Brothers-』は2019年3月2日(土)、発売となる。 制作=キネマ旬報社 『星くず兄弟 伝説BOX―Blu-ray Brothers-』の詳細はこちらから↓
  • オダジョー『恋する惑星』の名カメラマンと挑む意欲作 ウォン・カーウァイ監督作品の名カメラマンとして知られるクリストファー・ドイルと公私のパートナー、ジェニー・シュンが共同監督した『宵闇真珠』に主演したオダギリジョー。映画は、香港の外れにある漁村を舞台に、日光を浴びるとやせ細って死んでしまう奇病におかされた白い肌の少女(アンジェラ・ユン)が、異邦人(オダギリ)との出会いによって、世界を知るという現代の寓話のようなストーリーだ。この後、オダギリはドイルを撮影監督に迎え、長篇映画(題名、内容ともに未公表)で初監督に挑戦している。オダギリが見たドイルは、どんな人物だったのか? 「オファーには、ただただ驚きました。今まで接触があったわけでもないし、映画祭で会ったこともなかったので、えっ、僕でいいんだ…と。ウォン・カーウァイ監督とクリスが作った映画を見て育ったので、台本を読む前に、ぜひやりたいですと答えました」 オファーとともに映画のイメージ映像も添付されていた。本作のロケハンでの映像とオダギリの出演作を織り交ぜたものだった。 ++++++++++++++++++++++++++++++ インディーズなものまで見てくれていた 「キム・ギドクの『悲夢』やブラジルで撮った『プラスティック・シティ』…。こんなインディーズなものまで見てくれているんだと、嬉しかったですね。それがすでにいい映像だったので、良い作品になりそうだなと思いました」 初対面は2016年後半、衣裳合わせを行った香港だった。 「最初にいただいた台本の設定はミュージシャン。ギターを激しく弾くシーンもあったんです。だから、日本で30〜40着くらい衣裳を集めて、“自分がイメージするのはこういうものだけど”と、すり合わせした方がいいだろうと思ったんです。香港でも衣裳は用意されていたんですけど、クリスは僕の熱意やアイデアを信用してくれ、『ジョーが持ってきたものの中から決めよう』と言ってくれました。それが信頼関係みたいなものができた瞬間だったのかな」 と振り返る。「サカモト」という役名を、劇中では名前を呼ばれることもなく、過去や生活を窺わせるシーンは一切ない。正体不明の役どころだが、それがかえって想像力を掻き立てる。 ++++++++++++++++++++++++++++++ 役柄についての説明や話し合いはなかった 「衣裳合わせの段階でもらった新しい台本ではアーティストに変わっていたんです。どうしようかと話したんですけども、クリスは『ジョーがいいと思った衣裳なんだからこれでいこう』というわけです。自分の展覧会をぶち壊すみたいなシーンや、エージェントとのやりとりも撮影したんですけども、結局は全部カットになって、最終的には職業が分からなくなりましたね」 役柄についての詳しい説明や話し合いの機会はなかった。 「クリスは『何か思うことがあったら、話し合おう』と言って、何度かそういう機会を作ってくれました。でも、会うと、『とりあえず、ビールでも飲もう』と始まり、役の話は一切しない。その代わり、作品に関しての想いや今の香港事情についてとか、広い話をするんです。役に関しては『もうちょっと撮影が近づいたら、話そうか』と。で、近づくと、『現場でいいよ』と。でも、結局、最後まで、役については話さなかった」 このインタビューの続きは『キネマ旬報』12月下旬特別号に掲載。今号ではオダギリジョーのインタビューのほか、1919年の創刊以来今年で100年を迎える『キネマ旬報』が「1980年代ベスト・テン 外国映画篇」を発表。誰もが知るあの名作もランクイン!? 評論家・ライターの作品解説とともに掲載している。(敬称略) 取材・文=平辻哲也/制作:キネマ旬報社 インタビューの続きや『キネマ旬報』12月下旬特別号の「1980年代ベスト・テン 外国映画篇」の詳細はこちらから↓