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  • 伴淳三郎

伴淳三郎 バンジュンザブロウ

  • 出身地:山形県米沢市
  • 生年月日:1908年1月10日

略歴 / Brief history

父・小太郎は蘭涯を号とする南画家で、母・ふくは、その後添い。寛定はその最初の子だが、異母兄・寛也がいたから2男ということになり、のち妹・三千子が生まれる。画家といっても貧乏絵描きの父について、東京・下谷、米沢と転々、5歳のときから山形市小姓町に住む。小学校時代は腕白で、強度の近視のせいもあって成績が悪く、“低能児”のあだ名で鳴らす。やがて父が死亡。6年生の夏休みに家計の助けにと東京へ行き、日本橋の呉服問屋に丁稚奉公に入るが1カ月で逃げ出し、米沢市で織物工場を経営していた伯父の家に、母、妹とともに厄介になり、ついで熊谷市の兄の家に寄留、石原尋常高等小学校に通う。高等科1年の夏、兄との折り合いが悪かったことから家出、再び東京へ行き親類を訪ね歩くが夜尿症のため次々と追い出され、最後に母方の叔父で新派の河合武雄の番頭をしていた斎藤好三郎を訪ね、そのつてで、文芸協会出身の新劇俳優で河合武雄らの新派に客演していた東儀鉄笛が松竹蒲田に招かれ、22年4月から6月にかけて「大西郷の死」と「遺品の軍刀」という2本の映画に主演したさい、東儀の付き人となり、この名優を心から畏敬し、仕えるとともに、仕出しとしてこれらの映画に出る。しかし撮影が終わると御用ずみ。叔父の斎藤に役者になりたいと希望を打ち明けると、身体が小さいから役者には不向きといわれ、母の知り合いの蔵前の図案家を訪ね、住み込みの弟子となるが翌23年9月、大震災にあい、その後下谷の神吉湯という風呂屋に三助兼下足番として住み込み、かたわら、かねて憧れていた慶応大学受験をめざし神田の正則英語学校へ通う。それからまもなく、同年の初冬、東儀鉄笛が所長に就任した小石川区駕籠町の新劇研究所の研究生募集を新聞広告で知り、受験したがアルファベットを読まされて山形弁まるだしだったため落第となる(伴の自伝『伴淳放浪記』(67)〔しなの出版〕には研究所に入りイプセンとかシェイクスピアを学ぶが新劇になじめず、すぐに退所したというふうに出ている)。しかし芝居をしなきゃ役者にはなれないと、浅草を中心に東京市内、近郊を回る中川竹三一座という小芝居に、もと新劇団員というふれこみで入り、ついで安来節の伊東いと一座を経て剣戟で浅草・公園劇場で人気沸騰の小川隆一座に入り、鈴木のぼるを芸名に、捕手、馬の足専門で舞台に出る。25年、新橋演舞場での小川隆、明石潮、田中介二一座3派合同公演に駕籠かき役で出演、芸名を東儀鉄笛にあやかって東木寛(とうぎかん)とする。公演終了後、これも剣戟を売りものとする明石潮一座に入る。明石が映画にも取り組んでいるのが魅力だった。ここでは河津清三郎と楽屋をともにするが、二枚目の河津とは反対に斬られ役専門。激しい立ち回りを見せて猛闘児といわれる。25年、九州巡業の折り、明石が熊本で撮った映画「戦塵」に、その他大勢でだが初出演。映画の魅力にとりつかれ、浅草へもどって、アメリカ帰りの山本冬郷が監督した大東キネマ「幻の帆船」(25)(岡田時彦、伊志井寛などが出演)にも出演する。翌26年、明石潮一座での猛闘児ぶりが認められ、松竹下加茂の衣笠貞之助監督「麒麟児」に仲間7人と出演を誘われて行くが、貧乏所帯に幻滅して、これに出たあと京都座の新潮座に加わり、またも駕籠かき役をつとめる。翌27年、日活大将軍撮影所に、スターの河部五郎にすすめられ、時代劇部の大部屋に入り、伴淳三郎を芸名として「辰巳嵐」(27)に出演。このあと太秦の新撮影所へ移り、伊藤大輔監督「血煙り高田馬場」「新版大岡政談」(28)、中山呑海監督「裏切られ者」(28)などに捕手や斬られ役専門で出演する。29年は金貸し監督として有名な辻吉朗の「沓掛時次郎」に端役で出たあと千恵プロに出向し稲垣浩監督「殺した人」に出演。続く志波西果監督、大河内伝次郎主演「赤穂浪士」で役らしい役がつき、さらに監督2年目の渡辺邦男の「竜巻長屋」で大役をもらい、渡辺は珍優の名称で大いに売ってくれる。翌30年3月の大河内主演、山田五十鈴初出演の「剣を越えて」でもいい役をくれ、以後、渡辺は「わが子同様の面倒を見てくれ」ながら、喜劇俳優として進ませようと支援を惜しまなかった。 31年、辻の「荒木又右衛門」、渡辺の「心の血煙」に出演したあと、大恩ある渡辺から借金を踏み倒し、東京へ行く。古巣の浅草で軽喜劇の日活座を結成するが、不入りで、曽我廼家五九郎一座に入り、33年1月には公園劇場の松竹喜劇爆笑隊に清川虹子らと参加、2、3月には五九郎一座と常盤座で共演する。しかし映画が恋しく、松竹入りをはかるが成功せず、34年3月にB級専門の大都映画に主演俳優として入社、「天人お玉」で木下双葉の相手役をつとめたのを入社第1回に、「八軒八店」で北見礼子(林与一の母)と共演。以後、「やきもち喧嘩」「串差おでん」全3篇、藤間林太郎(藤田まことの父)とコンビの「弥次喜多」全3篇、「先生と剣道選手」、大岡怪童とコンビの「拳闘家と坊や」、「お好み串差おでん」「おこわ草紙」全3篇(35)に主演したほか「次郎長身代り旅」(34)以下に準主演。しかし、安給料など会社への不満から36年、同じB級専門の極東映画から声がかかったのを幸い転社。大阪の古市白鳥園の撮影所で、「風雲髭往来」「怪人金仮面」「極楽武士道」「怪浪人天国」(36)に主演するが経営難から給料不払い、従業員管理となるにおよび、日活時代の仲間からの誘いもあって37年、日活で親しかった永田雅一が所長の新興キネマ京都撮影所へ入社する。野淵昶監督「吉田御殿」に月形竜之介、大友柳太郎、山田五十鈴と共演したのち、珍優ぶりを買われて「忍術太平記」(37)、「忍術江戸荒し」(38)の忍術映画に出たあと「孫悟空」全3篇(38・39)、「暴れ出した孫悟空」(39)で沙悟浄、「阿波狸合戦」(39)で狸、「文福茶釜」(39)では主役の茶釜に化ける狸とケモノ役に妙技を披露。そのほか鈴木澄子の「女自雷也」、時代喜劇「お伊勢詣り」「金比羅船」(39)に出演する。この間の39年3月、新興キネマ演芸部が、あきれたぼういずなど吉本興業の人気タレントを大量に引き抜いて発足したが、その引き抜きに永田の命令で暗躍。京都・新京極の松竹劇場での旗上げ公演にも応援出演する。40年、牛原虚彦監督「旗岡巡査」や大友柳太郎の「槍の権三」などに助演、6月の「親子鳥」では高山広子を相手に主演するが、これで退社。翌年、新興の化け猫女優・鈴木澄子ら一行8人でハワイ、サンフランシスコへ巡業。帰国後は新興演芸に入り大阪・浪花座に出演するが42年4月末に退社。新興演芸の企画主任・秋田実の応援で、小夜福子と東郷静男の新婚夫妻らと劇団新生家族を結成し、同年9月、東京劇場で橘外男・原作『印度の黎明』ほかで旗上げ、10月には京都・南座で有島一郎、岸井明らが参加して第2回公演をもつが、これで解散。新興キネマ時代から京都・河原町にVANという名称で喫茶店、汁粉屋、化粧品店を経営していたが戦争による物資の不足で廃業。たちまち生活に窮し、かつて煮え湯を呑ませた吉本興業へ、日活時代からの知り合い柳家三亀松の紹介で入り浅草に出演。まもなく伴淳軽喜座の座長として浅草・花月劇場を本拠に各地を巡業、終戦を迎える。 戦後は引き続き伴淳軽喜座を主宰したのち浅草ロック座で伴淳ショウを旗上げし、49年に清川虹子らとアメリカ巡業。帰国後、東宝と提携し新風ショウを結成する。このころ清川と1年ほど同棲。一座にいた笠置シヅ子が去ったあと加藤和枝、のちの美空ひばりを紹介され一座に入れるが、まもなく新風ショウは解散。ついで漫才の鹿島ラッキーと御園セブンのセブンを引き抜いてブギウギ・バッテリーを組織、ひばりの売り出しをはかるが全盛のストリップに抗し得ず解散。48年11月の新東宝「向う三軒両隣り」に出演。渡辺邦男の監督で、以後、時折り映画に顔を出し、新東宝の斎藤寅次郎監督「戦後派(アブレ)親爺」(50)などを経て51年から本格的に映画にカムバックする。同年、松竹京都の「吃七捕物帖・一番手柄」に高田浩吉ふんする目明し・吃の又七に追及される贋金つくりの首魁で柳家金語楼ふんする与力・大場弥十郎の用心棒・丸橋半九郎の役で出演。一網打尽の場で「一瞬にしてパアでございます」と驚きの表情でいうと監督の斎藤寅次郎から「もっと奇妙キテレツに行け」とダメを出されいろいろ苦心しているうち山形弁で老人が驚嘆したとき発する「アジャジャー」が思わず口に出、「アジャジャーにしてパーでございます」とやると斎藤監督もOK。「アジャ」と「パー」を結びつけた「アジャパー」が流行語となり、53年には新東宝で彼を主役に斎藤監督「アジャパー天国」、佐伯幸三監督「名探偵アジャパー氏」がつくられるにおよび、彼自身は伴淳の愛称で呼ばれ、喜劇俳優、珍優として戦前を上回る人気を得て、以後、続々主演作がつくられる。まず53年、斎藤監督で松竹「あっぱれ五人男」「勢揃い・大江戸六人衆」、新東宝「腕くらべ千両役者」に、それまで彼が助演してきた花菱アチャコを今度は共演者にして主演したほか、同じく斎藤で宝塚映画の「かっぱ六銃士」にも主演。54年は東宝「この恋!五千万円」をトニー谷を相手役に撮ったのに続いて斎藤監督の新東宝「花祭底抜け千一夜」「花吹雪御存じ七人男」「宝さがし百万両」「ハワイ珍道中」、宝塚映画「仇討珍剣法」に、いずれもアチャコを共演者に主演したほか、斎藤監督ではさらに新東宝「浮かれ狐千本桜」にも主演。新東宝の「東京シンデレラ娘」では雪村いづみと共演、「弥次喜多金比羅道中」にも主演と大車輪の活躍を見せたのに加えて、この年からスタートした松竹京都の高田浩吉主演「伝七捕物帖」に伝七の子分・獅子っ鼻の竹の役で助演、その第1作「人肌千両」から「刺青女難」「黄金弁天」(54)、「女郎蜘蛛」(55)、「花嫁小判」「女狐駕籠」(56)、「美女蝙蝠」「銀蛇呪文」(57)、「髑髏狂女」(58)、「女肌地獄」「幽霊飛脚」(59)の計11作にコメディ・リリーフとして活躍する。翌55年、松竹と専属契約。高田浩吉の「八州遊侠伝・白鷺三味線」「大江戸出世双六」などに共演するが、この年、松竹にとっても伴淳にとっても最大の収穫は「二等兵物語」の誕生であった。梁取三義(やなとりみつよし)の原作である同名小説を自ら見つけて企画線上に乗せた軍隊喜劇で、伴淳ふんする古川凡作(2作目「五里夢中の巻」から古山源吉)という中年の二等兵の帝国軍隊という不条理の世界で巻き起こす悲喜劇を描き、折りからの復古調ブームに乗ったのとアチャコを共演させた配役の妙で大ヒット。たちまちシリーズ化され「五里夢中の巻」「南方孤島の巻」(56)「決戦体制の巻」(57)、「死んだら神様の巻」「あゝ戦友の巻」(58)、「万事要領の巻」「吹けよ神風の巻」(59)、「敵中横断の巻」(60)、「めでたく凱旋の巻」(61)の計10作、監督は9作が福田晴一、最終作のみ酒井欣也でつくられ、伴淳の当たり役となった。その後、中村扇雀と共演の「男の花道」、三橋美智也との「相馬の唄祭」(56)、高田浩吉の「歌う弥次喜多」(57)を2つのシリーズと並行して撮るが、57年からはそれまでのアチャラカ的喜劇から野村芳太郎監督「伴淳・森繁の糞尿譚」、福田晴一監督「伴淳・アチャコ・夢声の活弁物語」(57)といった本格的な喜劇も彼の主演でつくられるようになり、渋谷実監督の野心的な喜劇「気違い部落」(57)にも起用され、伊藤雄之助、山形勲、藤原釜足、三井弘次らの個性派に伍して駐在所の巡査を好演。ついで東京映画に招かれて豊田四郎監督の「負ケラレマセン勝ツマデハ」「駅前旅館」の2本の喜劇に森繁久弥と共演。森繁の都会的スマートさに対して、あくまで田舎的な泥くささを強調した、それだけに庶民的なキャラクターに持ち味を発揮し、松竹では五所平之助監督で伴淳を中心に森繁、三国連太郎共演の「欲」(58)、中村登監督で佐田啓二共演の人情風刺喜劇「噛みつかれた顔役」(58)がつくられるという売れっ子ぶりを見せる。さらに主演作として松竹では「浮世風呂」「水戸黄門漫遊記」「帰って来た縁談」(58)、「伴淳のおじいちゃん」「かた破り道中記」「伴淳の三等校長」「水戸黄門漫遊記・御用御用物語」「伴淳のおやじ教育」(59)、「伴淳の駐在日記」「江戸の顔役」、森繁と共演の「はったり二挺拳銃」(60)、三枚目的役どころを強調して瑳峨三智子と共演のお色気物「浮気のすすめ・女の裏窓」(60)、「兵六大臣行状記・漁色のこよみ」(61)、2役を演じた風刺活劇「快人黄色い手袋」(61)など、さまざまな趣向でつくられる。またこの間にはシーリアスな作品にも起用され、坂本竜馬を中心とする五所監督の幕末物「螢火」(58)では、竜馬に心を寄せる寺田屋の女将・お登勢(淡島千景)の甲斐なしの吃りの亭主、木下恵介監督「惜春鳥」(59)では主役の津川雅彦の母(藤間紫)を妾にしている質屋の亭主、大島渚監督「太陽の墓場」(60)では大阪のドヤ街に巣食う寄せ松という男で、炎加世子の父親を演じ、中身の濃い演技で俳優としての年輪を感じさせる。 61年、東京映画が3年前の「駅前旅館」をヒントに「駅前団地」をつくり、これをシリーズ化。伴淳は森繁とフランキー堺と3人主役で以後の「弁当」(61)、「温泉」「飯店」(62)、「茶釜」(63)、「女将」「怪談」「音頭」「天神」(64)、「医院」「金融」「大学」(65)、「弁天」「温泉」「番頭」「競馬」(66)、「満貫」「学園」「探検」「百年」(67)、「開運」「火山」(68)、「桟橋」(69)の計24作に活躍、東北弁のいかにも人間くさい中年男を脂の乗った演技で笑わせる。64年、水上勉の犯罪小説を東映が映画化した「飢餓海峡」に監督の内田吐夢に起用され、台風による海難事故と大火を隠れみのにした謎の強盗殺人事件を追求する老刑事・弓坂吉太郎を抑制した見事な演技で演じて感銘を与え、毎日映画コンクール男優助演賞を受賞する。その活躍は60年代後半に入っても衰えず、おびただしい数の喜劇映画に出演する一方、山田洋次監督の松竹「愛の讃歌」(67)での中山仁の老いた父親、黒沢明監督の「どですかでん」(70)でのチンバで顔面神経痙攣症の島さんなどに持ち味を発揮する絶妙の演技を見せた。近作は「人間の証明」(77)、「女王蜂」「犬笛」「火の鳥」(78)など、個性的な脇役として貴重な役割をはたしている。戦後の出演本数は78年までで314本で、52-71年まではほとんど年間2ケタの本数で出演した。テレビにも多数出演、近作にTBS『ムー一族』(78)、日本テレビ『熱中時代・刑事編』(79)、NHK『人の気も知らないで』(79)がある。78年に紫綬褒章。57年、芝神明の料亭の娘・山本よし子と結婚、1男をもうけたが、のち離婚した。

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    刑事になって以来、何の手柄もたてず、ドジばかりを繰り返す二人組がヒョンなことから巻き込まれた事件を見事に解決するまでを描く。脚本は「戦国自衛隊」の鎌田敏夫、監督も同作の斎藤光正、撮影は「翔んだカップル」の水野尾信正がそれぞれ担当。