「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たちの映画専門家レビュー一覧

「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち

2011年3月の東日本大震災で、多数の犠牲者を出した宮城県石巻市の大川小学校。犠牲になった児童の親たちが行政を相手に起こした裁判の行方を記録したドキュメンタリー。たった2人の弁護団と親たちが画期的な判決を勝ち取った裁判の一部始終が明らかに。監督は様々な社会問題を扱ったテレビドキュメンタリーを手掛け、これが初の長編ドキュメンタリー映画となる寺田和弘。
  • 脚本家、映画監督

    井上淳一

    辛すぎる。観ている僕でさえ辛いのだから、子供を失った親たちの辛さはいかばかりか。だから目を逸らしてはいけないと思う。なぜ誰も責任を取らないんだ、ちゃんと検証して次に繋げればいいだけじゃないか。しかしそれが出来ないのがこの国だ。戦争責任と同じだ。醜い。本当に醜い。違う辛さが襲ってくる。この国で生きていかねばならない辛さ。何もしないのは現状に加担すること。すべての人に観てほしい。しかし覚悟がいる。問われているのは我々自身なのだから。自己批判を込めて。

  • 日本経済新聞編集委員

    古賀重樹

    校庭に待機させられて退避の機会を逃し津波にのまれた児童の遺族が市と県を提訴した裁判を追うドキュメンタリー。裁判記録だけでなく、行政の不作為や隠蔽体質と闘った人々の行動の記録を映像の形で残す意義を痛感した。市や学校による説明会、文科省主導の事故検証委でのやり取りは見るだけでも辛いが、忍耐強く凝視し、裁判になってからの立証のための努力やバッシングもありのままにとらえる。国家賠償訴訟に勝った原告遺族の胸中の複雑さに寺田和弘監督は焦点を置く。

  • 映画評論家

    服部香穂里

    保護者説明会や第三者検証委員会が回を重ねるにつれ、責任の所在が曖昧になり、天災が人災に転じる皮肉な過程が、淡々かつ克明に映される。仙台高裁判決文の“組織的”過失なる表現が、遺族の方々を裁判に訴えるしかない苦渋の選択に駆り立てた、同調圧力に弱い日本の国民性の本質をも言い当てる。闘病中ながらも自ら検証資料となるべく山を駆ける亡き児童の父君ほか、原告団の懸命な尽力を通し、故人の無念が今後の災害対策の中で実を結ぶ瞬間に立ち会える、涙なしには観られぬ労作。

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