メイクアップ・アーティスト:ケヴィン・オークイン・ストーリーの映画専門家レビュー一覧

メイクアップ・アーティスト:ケヴィン・オークイン・ストーリー

1990年代に革新的なモードメイクによって世界を席巻した天才メイクアップ・アーティスト、ケヴィン・オークインの生涯を描いたドキュメンタリー。スーパーモデルやセレブを虜にした「個性」を際立たせ、「多様な美しさ」を生み出すメイクはいかにして生まれたのか、その軌跡を解き明かす。
  • 映画評論家

    上島春彦

    近年の個人史記録映画として最上の出来。実の両親を知らなかった子供時代から狂騒的で注目され続けた晩年まで素材が豊富なだけに、ここ半世紀の映像メディアの画質の変遷まで具体的に分かり感激。彼の動向に関しては薬物と病気がらみの悲劇が。ただし最後まで見ると、その件で映画を再度見直したくなること請け合い。現代美術的には写真家シンディ・シャーマンのセルフ・ポートレートの手法に接近する局面もある。彼の聖ヨセフへのこだわりは自身が養子だったことに起因するのか。

  • 映画執筆家

    児玉美月

    ケヴィンのモノローグ「何の話だっけ? そう……“美しさ”についてだ」に続き、メイクを施された顔の超クロースアップショットで映画は幕を開ける。他人の美しさを開拓し続けたケヴィンが「美しさ」を一瞬忘れてしまう語りの切り抜き。そして顔の一部しか視認できないためきわめてジェンダーが曖昧になり攪乱される映像技法。それらを援用した僅か1分にも満たないこのシークェンスは、そこから綴られてゆく「美しさ」と「セクシュアリティ」の主題を凝縮しているといえるだろう。

  • 映画監督

    宮崎大祐

    ケヴィン・オークインの生い立ちやセクシュアリティ、病のことなど、広げられそうな要素はいくらでもあったのに、そこにはあえて踏み込まず、ひたすら浅くて薄い情報の羅列に徹し、小金持ちの友人の結婚式に参加したときに見せられる新郎新婦の思い出ビデオのようなラインにとどまっているのは、あくまで表層にとどまることしかできない「メイクアップ」なるものに対する制作者の批評的な態度なのだろうか。いやはや、万事躁だった前世紀末はいろいろな意味で遠くなりにけり。

  • 映画・音楽ジャーナリスト

    宇野維正

    ファッションリーダーがスーパーモデルからセレブタレントに移行していく時代を先取りし、近年アメリカで蔓延しているオピオイド中毒という点でも時代に先んじてしまったケヴィン・オークイン。メイクアップ・アーティストはスタイリスト同様に市場経済の住人ではなく、ファッション界や芸能界のインナーサークルにおけるコネクションと信頼で回っている職業。その癒着性や排他性は、時に部外者からすると疎ましくもあるのだが、本作は内輪の賞賛に終わらず批評的視点も。

  • ライター

    石村加奈

    冒頭のケヴィン本人の発言が印象的だ。他者の美しさを見つけることから、自分の美しさ(個性や強さ)が見えてくるという彼の哲学は、時に他者への依存となり、やがて悲劇をもたらす。ミッキーマウスのように巨大な手は、メイクの魔法で、社会の固定観念を崩し、多くの人から美を引き出したが、自分の美しさは見抜けなかった。実に悲しい最期だが、涙ながらに彼との思い出を語る仲間の存在や、バーブラとの仕事など、本作で彼の努力を知り、生きる希望を見出す人はきっといるはずだ。

  • 映像ディレクター/映画監督

    佐々木誠

    80年代から00年初頭まで、美の変革を起こし続けたメイクアップ・アーティスト、ケヴィン。彼の膨大なプライベート映像はエンタメ史的資料としても貴重だが、パパラッチ写真に写るマリア・カラスの怒りの表情を基にI・ロッセリーニのメイクを仕上げるなど、人間の本質、魂をも表現しようとする彼の執念が映し出されていて圧巻。養子という出自、同性愛者だったことから承認欲求に囚われ美を追求する彼とそれを施される側の共依存が時代を作ったが、その?末はあまりに哀しい。

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