背 吉増剛造×空間現代の映画専門家レビュー一覧

背 吉増剛造×空間現代

80歳を超えた日本を代表する現代詩人・吉増剛造が、オルタナティブロックバンド“空間現代”と京都の小さなライブハウスで行った朗読ライブを記録したドキュメンタリー。鬼気迫るパフォーマンスの全編を凝視し、詩人の言葉の“背”後を浮き彫りにする。監督を務めたのは、「眠り姫」「のんきな姉さん」の七里圭。
  • 脚本家、映画監督

    井上淳一

    今号のドキュメンタリー2本を観て、久しぶりに映画とは何かを考えた。吉増剛造のライブを延々1時間見せるなんてテレビじゃ出来ないから、そういう意味じゃ映画なんだろう。しかし、七里さんが意図したように、限定されたアングルで捉えられたライブの背後に果たして映っていない何かはあったろうか。吉増の「詩とは何か」に答えられるだけの「映画とは何か」があったろうか。オンライン試写で観て、何度も寝て、その度に戻った。劇場だったらとゾッとする。お金出しては観ないけど。

  • 日本経済新聞編集委員

    古賀重樹

    吉増剛造の生原稿を読んだことがある。緑色のボールペンで書かれた、のたうつような細い字だった。その字を追うだけで、別世界に吸い込まれるような感覚に襲われた。この映画を見て、あの感覚を思い出した。詩人がガラスに何かを描きつけている。何を描いているのか、どんな表情なのか、よくわからない。通常のドキュメンタリーが追うようなものは、ろくに追っていない。映っているのは気配、音、そこから醸し出される不穏な何か。七里圭は言葉にならない何かを撮ろうとしている。

  • 映画評論家

    服部香穂里

    冒頭を飾る、ガラスに描かれたドローイングの塗料を丹念に洗浄していく作業から、流動的な水ものでもあるパフォーマンスに対する吉増氏のスタンスや、そこでのガラスの多彩な役割や重要性がさりげなく示され、続くライヴ鑑賞の手引きにもなっている。空間現代の演奏する姿を敢えてカメラの枠外に押しやることで、“背”の何たるかが強く意識されるとともに、ガラスを挟み自在に飛び交いぶつかり合う言葉と音が混然一体となり、“詩”の定義をもパワフルに粉砕し問い直す意欲作。

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