ある惑星の散文の映画専門家レビュー一覧
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
現在の日本映画の課題の一つは、コピーライトセンスに欠けたタイトルにあると常々思っているのだが(例えばコミックやラノベと比較してもそれは明らかだろう)、本作は確かに極めて散文的で、それが作品の吸引力につながってはいないと思うが、名が体を表してはいる。終始気になったのは、映画界や演劇界に片足を突っ込んでいる主人公2人が住んでいる世界の狭さ。本牧のロケーションだけでなく屋内を立体的に捉えた見事な撮影も印象的なだけに、余計その狭さが際立っている。
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映画評論家
北川れい子
本作の深田監督が濱口竜介作品「偶然と想像」の助監督だったとは観終わったあとで知った。が偶然にも本作を観ながら想像、いや連想したのはその「偶然と想像」の第3話「もう一度」だった。本作の方が先に完成しているが、第3話の女性たちと本作の女性2人と感触が似ているのだ。自分で自分の回りをぐるぐるして、自分の外に出られない女性。余談だが本作の舞台女優の名は芽衣子で「偶然と想像」の第1話の女性の名も芽衣子。ともあれ自分という惑星を抜け出す映画ではある。
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映画文筆系フリーライター。退役映写技師
千浦僚
たとえばヴェンダースの「ことの次第」やイタリア映画「ぼくの瞳の光」など、登場人物のSF的想念から語り起こされる映画は、その巻頭の語りが物語内物語だとわかってもなお、その映画全体が未来的宇宙的な冒険の感覚を観る者に与える。また私は本作の主演ふたり、富岡英里子さん、中川ゆかりさんをそれぞれ「犀の角」「ジョギング渡り鳥」などの重要な映画の主演者として知るがゆえに、この映画や彼女らの姿を暗黒の真空を何年もかけて越えてきた恒星の光のように受け取った。
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