階段の先には踊り場があるの映画専門家レビュー一覧
階段の先には踊り場がある
2018年に「恋愛依存症の女」で劇場デビューを果たした木村聡志監督による長編第2作。別れた後も同棲し、曖昧な関係を続ける大学生ゆっこと先輩、そこに近づく多部。そして将来を見出せずにいる社会人の滝と港。それぞれの“ままならない”日常が綴られる群像劇。出演は「別に、友達とかじゃない」の植田雅、「アルプススタンドのはしの方」の平井亜門。
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脚本家、映画監督
井上淳一
なぜ時制をいじくりまわし、わざと分かりにくくしているのだろう。時制を戻せば、ダンスやってる女と男がいて、留学賭けた学内大会で男が勝つけど怪我して、女が代わりに行きましたという、ありがちな話だけ。だから目眩しでそういう技法に走っちゃダメだって。元の話を面白くしなきゃ。だいたいダンスへの想いが伝わってこないし。迂遠な会話も人間関係の本質に迫っていない。本質は今も昔も変わらないから、フォルムだけでも今っぽくしてるのか。それって決定的につまらなくないか。
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日本経済新聞編集委員
古賀重樹
これは一種のシチュエーション・コメディなのだろうか。舞踊や演劇を教える大学が舞台で、学生や教職員が登場人物。さまざまな組み合わせのダイアローグが連なる形で、現在と過去の物語が並行して進む。個々のダイアローグは笑いを誘うようにあえてぎくしゃくしていて、アクションの要素はほとんどない。ままならぬ状況とかみあわぬ対話だけで見せていく。さて、そこから何が見えるのか。小噺のようなシークエンスごとにぶつ切りになった人物の感情の流れが私にはつかめない。
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映画評論家
服部香穂里
岐路に立つ二組のカップルの過去と未来が、同じ大学を舞台に次第に交錯するにつれ、何かを得る代わりに失う痛みや、反作用で、ささやかな喜びも込み上げる。超身勝手なくせに女性にはモテる先輩の減らない屁理屈が、正論だけでは如何ともし難い世の矛盾もコミカルに突く。そんな笑いへの助走が長く回りくどいせいで、尺を食いがちなのは一考の余地ありだが、微妙に?み合わない対話でも、懸命に続けることで相互の意思を伝え合おうとする、不器用な男女がチャーミングな青春群像。
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