ONODA 一万夜を越えての映画専門家レビュー一覧

ONODA 一万夜を越えて

太平洋戦争後、約30年目に生還した小野田旧陸軍少尉をめぐる実話を基に「汚れたダイヤモンド」のアルチュール・アラリ監督が映画化。任務解除の命令を受けられないまま、フィリピン・ルバング島で、孤独と対峙しながら生き続けた日本人の壮絶な日々を映し出す。出演は「空母いぶき」の遠藤雄弥、「HOKUSAI」の津田寛治、「すばらしき世界」の仲野太賀。
  • 映画監督/脚本家

    いまおかしんじ

    ずっと追って見ていたのに、後半主人公のキャストが変わって、寂しい気がした。なぜどっちかのキャストで押さなかったのだろうか? 年齢の問題があるので、それはそれで無理があるか。人が死ぬ描写が、残酷で苦しかった。ずっと一緒にサバイバルしてきた友達が殺されるシーンのあっけらかんと無残なこと。サバイバルの過酷さがよく分かる。見終わって、なんとなく小野田さんがよく思えなかったのは、結構この人悪いことしてんじゃん。人殺してるし。と思ったからだった。

  • 文筆家/女優

    睡蓮みどり

    「死ぬ権利はない」とされ、島民を殺しながらもなんとか生き延びるために戦い続けた壮絶さに驚かされる。戦争が起こす洗脳状態の恐ろしさが垣間見えおののくも、本作のテーマは多分そこではない。反戦的な意味よりも終戦を知らずに過ごした小野田寛郎さんの人生の奇抜さに興味を持ったことがモチベーションだとすれば納得もいくが、彼が帰国後右翼になった事実などにはまるで触れない。映画は終わっても現実は続くからこそ、実在の人物を描くことの難しさについて考えさせられる。

  • 映画批評家、東京都立大助教

    須藤健太郎

    ここに描かれるのは「日本」でも「戦争」でも「歴史」でもない。もし自律した自我のあり方を近代と呼ぶなら、近代的自我が孕むジレンマがこの寓話の主題である。「自分自身の司令官になれ」。上官の命令は、その命令に従うかぎり絶対に完遂できない。ドン・キホーテのごとき小野田の自己意識はその点はなから破綻する運命にあった。そんな破綻した自我を救うことはできるか。一つの劇を終わらせるには儀式が、つまりそのための演劇が必要である。それがこの映画の出した答えだった。

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