アイダよ、何処へ?の映画専門家レビュー一覧

アイダよ、何処へ?

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争末期の 1995 年 7 月に起きた戦後最悪のジェノサイド(=集団虐殺)とされる「スレブレニツァの虐殺」。国連平和維持軍で通訳として働く女性アイダが、必死に家族を守ろうとする姿を通して、その惨劇の真実を描く衝撃のドラマ。ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争とは、1991年以降のユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国が解体する過程で起こった内乱である。6つの共和国の一つであったボスニア・ヘルツェゴヴィナ地方において、独立か否かをめぐってボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人の3勢力が1992年から1995年まで内戦を繰り広げた。「スレブレニツァの虐殺」はセルビア人勢力のラトコ・ムラディッチに率いられたスルプスカ共和国軍が、国連指定の安全地帯であったスレブレニツァに侵攻をはじめ、7月11日に中心部を制圧。7月12日には、同地に居住していたイスラム教徒のボシュニャク人の男性すべてを絶滅の対象とし、8,000人以上が組織的に殺害された。監督は長篇デビュー作「サラエボの花」が 2006 年ベルリン国際映画祭の金熊賞を受賞し、世界的に注目されたヤスミラ・ジュバニッチ。続く2010年の「サラエボ、希望の街角」など、一貫して故郷ボスニア・ヘルツェゴヴィナの悲劇を描き続けている。「アイダよ、何処へ?」は2020 年ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門正式出品、2020 年ロッテルダム国際映画祭観客賞を受賞。第 74 回のアカデミー賞外国語映画賞を受賞した「ノー・マンズ・ランド」(ダニス・タノヴィッチ監督作)以来 19 年ぶりにボスニア・ヘルツェゴヴィナ映画として、アカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされた。
  • 米文学・文化研究

    冨塚亮平

    執筆現在のカブール空港の混乱とも似たサラエヴォの極限状態における、ある程度は国連のお役所対応が招いたとも言える惨劇をつぶさに追った本作は、個でも組織でもなく両者の関係にこそ焦点を当てることで、いわゆる人道的介入の限界をまざまざと観客に突きつける。自分勝手な人間ではないはずの元教師アイダは、なぜエゴをむき出しにして近親者を救おうとしたのか。当事者を純粋な被害者として描かないアプローチが、かえって問題の根深さを浮き彫りにすることに寄与している。

  • 日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰

    降矢聡

    侵攻するセルビア人と国連保護軍のオランダ部隊、その狭間で助けを求めるボシュニャク人という構図を明確にする通訳の主人公が、さまざまな境界線を文字通り右往左往する。過度な緊張感を漲らせる主人公家族とそれに対する国連軍(と我々観客?)の冷ややかな反応、そして映画自体の控えめなサスペンス描写のギャップが妙。それぞれの立場で感じる緊張感のギャップを埋めようと足掻くほどに、つまりはそのバランス欠いた場こそが紛争地域のリアルなのだと感覚的に納得させる。

  • 文筆業

    八幡橙

    「ミッドナイト・トラベラー」にも感じたが、一言で「難民」と括っても、彼ら一人一人に顔があり、生活がある。戦後欧州最悪の大量虐殺事件に焦点を当てた本作も、まさに「顔」で語る映画だ。現地に紛れ込んだかのような凄まじい臨場感――砂っぽい空気、人いきれ、すえた匂い、汗のしたたりや虫の羽音、むせかえるようなたばこの煙――の中で、アイダの必死の形相を筆頭に、無数の顔が蠢く。近い過去に起こった事実の悲痛をラスト、絶望の果て、針孔からかすかに覗く光が救う。

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