VIDEOPHOBIAの映画専門家レビュー一覧

VIDEOPHOBIA

「大和(カリフォルニア)」の宮崎大祐監督が、日常の何気ない裂け目から見えてくる異世界を、モノクロームで捉えたサイバースリラー。一夜を共にした男に情事の動画をネット上にばらまかれた29歳の愛。映像が拡散していくなか、愛は徐々に精神を崩していく……。出演は「クシナ」の廣田朋菜、「シライサン」の忍成修吾、「月極オトコトモダチ」の芦那すみれ。
  • フリーライター

    須永貴子

    鶴橋などディープ大阪の日常風景や、活気ある祭りのシーンが随所に織り込まれているのは、デジタル性暴力の被害者となる主人公の孤立感やネット社会の無機質さを際立たせるため? 芝居のワークショップの講師の「本当の自分」という発言や、アルバイトで着るウサギのキグルミは、他者の目に映る自分が、実体から乖離していく恐怖へと続く扉? 解説文には主人公が「精神を失調し始める」とあるが、失調のグラデーションを表現できていないため、彼女の決断が唐突に見える。

  • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

    山田耕大

    彼女はパクと名乗ったり、青山と称したり、エロチャットのバイトをし、演技のワークショップに参加する。クラブで知り合った男と愛し合うが、その交合が何者かによって撮影されて、ネットで拡散される。自分は何者なのか。それを探しあぐねて、彼女は夜一人で静かにタバコを吸う。その空虚な表情が寂しい。思わず彼女を抱きしめたくなる。こんな女性がいま増えているようだ。自分を探しあぐねた挙げ句、自ら命を絶つ。彼女は死なず、別の女として生きるが幸せには見えない。

  • 映画評論家

    吉田広明

    全篇モノクロで撮られた大阪は、上澄みを掬い取られて劇の舞台として存在感を増しているし、狭苦しいクロースアップと突き放すようなロングしかない画角は不安定感を醸し出してホラーにはふさわしい。美学的には正解を出せているのだが、説話的にどうなのかという問題はあり、隠し撮りが知らぬ間に増殖する怖さなら舞台は無機的な東京の方が良かったろうし、有機的な大阪なら人格が変わりたい願望とその実現の恐怖という実存を巡る説話を強く出すべきでは。美学と説話の齟齬。

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