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専門家レビュー一覧

  • 誰がために憲法はある

    映画評論家

    松崎健夫

    憲法を擬人化した「憲法くん」(18)。ドキュメンタリーを添えることで、短篇を長篇にするアイディアは、興行のありかたにも一石を投じている。「確かに、私にはアメリカの血が流れています」あるいは「私がリストラされるかも?」という台詞は、ユーモアをもって世相を斬ってみせているだけでなく、反対意見に対する牽制をも実践している点が秀逸。時が過ぎ、記憶が薄れ、年号も替わり、忘れ去られてしまうことへの危惧。いつしかこのユーモアさえも通じなくなることへ不安を覚える。

  • 山懐(やまふところ)に抱かれて

    映画評論家

    北川れい子

    夫婦と子ども7人の一家を20年以上も取材した記録といえば「五島のトラさん」が思い出される。うどん業のトラさんの子どもたちも幼い頃から家業を手伝っていた。が岩手の山中で酪農を営むこの一家の子どもたち7人は、両親と同等の働き手として大自然と格闘する。プレハブにランプ生活の厳しい暮らしからスタートした取材は、成長した子どもたちの離反、独立まで記録、どの子どもの生き方も応援せずにはいられない。頑固な父親の無念の涙も。地元ローカル局の丹念な取材に脱帽。

  • 山懐(やまふところ)に抱かれて

    映画文筆系フリーライター

    千浦僚

    本作を観て、かつてこの欄で紹介した長崎五島列島の大家族を二十二年間追ったテレビ長崎のドキュメンタリー「五島のトラさん」を連想。長期取材と素材の圧縮還元提示というテレビ→映画ドキュ。本作の吉塚公雄氏は理想の酪農を実現させた物心ふたつの意味での開拓者。家族を労働力としてしまった面もあるがその是非はジャッジできない。彼は子どもに人並みの娯楽を与えてやれぬと泣くが、そのようなこともなんとかやってみながら、それは本質的な子育てでもないと実感する私には。

  • 山懐(やまふところ)に抱かれて

    映画評論家

    松崎健夫

    石川啄木は「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざり」と詠んだが、人生や暮らしは、利潤や効率だけではないのではないか? と思わせ、我が手をぢっと見るに至る。厳しい自然に不便な生活、そして資金難。なぜ人は“そこ”で暮らす必要があるのか? と疑問を抱かせながら、それでも“そこ”で生活する意味をこの映画は提示する。そして、働くことの意味を考え、大企業の論理のみに寄り添った“働き方改革”など、くそくらえ! とも思わせるのだ。悔し涙の数だけ、人は強くなる。

  • 僕に、会いたかった

    映画評論家

    北川れい子

    常に人々の仕事や地域の文化・習慣をしっかり盛り込んで身の丈のドラマを語っていく錦織作品に、日本映画の良き伝統を感じているのだが、今回はチト戸惑う。隠岐の伝統相撲を題材にした「渾身KON-SHIN」と同じ隠岐島を舞台に、タイムリーな話題の“島留学”と“島親”の話を絡ませて、記憶喪失のままの漁師の日々が描かれていくのだが、えーっ記憶喪失!? 思うにTAKAHIROの演技をアピールするための設定なのだろうが、風景も人情も自然で美しいだけに違和感が残る。

  • 僕に、会いたかった

    映画文筆系フリーライター

    千浦僚

    映画が始まってある登場人物が出てきたとき、まずその人物の内面や来歴はわからないものだが、観ていてだんだん彼が記憶喪失であるとわかってきたとき、観客もいわばその映画の世界や人物たちに対して記憶や情報を有しない者として居たわけだから、客席とスクリーンのなかの覚束ない者同士が同族のように感じられる、ふと目を合わせるようなことも起こりうる。TAKAHIROにはそうも思わせるようなナイーブな佇まいがあった。そして私は「たたら侍」のことを忘れられた。

  • 僕に、会いたかった

    映画評論家

    松崎健夫

    都会と地方における家族のあり方を対比すべく、ここでは島側の視点に寄り添うことで問題点を炙り出そうと試ている。海岸線沿いをランニングする主人公の“不安”を暗示するように、道は右に曲がりくねり、先が見えない。人生の先にあることは判らないといわんばかりだ。また〈記憶〉の正体を観客が悟る直前、そこで“困難”が待ち受けていることを暗示するように、松坂慶子が急な坂道を登ってゆく。本作は様々な暗喩を用い、観客の固定観念をも利用しながら予想外の終盤を提示する。

  • ある少年の告白

    石村加奈

    少年の母を演じたニコール・キッドマンが格好いい。美しいレースをふんだんにあしらった、牧師の夫に従順な妻風の装いから一転、ショッキングピンクのジャージー姿で息子を救い出してからは、ヒョウ柄のジャケットなどショートヘアによく似合う洋服で、教会に行くのもすっぱりやめて自由な女に。車の窓から手を出す息子をたしなめる母とのエピソードも、母子の関係の変化をさわやかに印象づけている。実話ベースのテーマの重さを考慮してもなお、父子の葛藤には既視感が残るが。

  • ある少年の告白

    荻野洋一

    LGBTQへの理解が進む米国で本作が製作されたこと自体がショッキングだ。大学生の主人公を「少年」とする邦題に首を傾げるが、確かにこの大学生はあまりにも両親の庇護下にある。同性愛矯正キャンプの高圧的な指導教官を監督本人が演じたことは重要だ。この教官みたいな人物像、どこかで見たことがある、と記憶を弄るとすぐに思い出した。木下惠介監督「女の園」(54)で名門女子大の舎監を演じた高峰三枝子だ。両者とも、自己抑圧を他者にもお裾分けしたくて仕方がない連中だ。

  • ある少年の告白

    北里宇一郎

    同性愛を矯正治療する施設に収容された若者たちの話。いやもう切ない。こうなるとキリスト教も暴力で。流れとしては「カッコーの巣の上で」などの病棟束縛抵抗映画。こういう題材を取り上げたことは眼を惹くが、意外と中身はオーソドックス。ただ少年たちの演技がナイーブなので、ちょいと胸を突かれた。脚本・監督は「ザ・ギフト」が良かったJ・エドガートン。今回も才気というほどではないが堅実の出来栄え。出演作も含め、近頃、彼が関わる映画にマズいものなしのようで。次作も期待。

  • 幸福なラザロ

    石村加奈

    聖人ラザロと、小作制度が廃止されたことを農民に知らせず、作物を搾取し続けた侯爵夫人(80年代にイタリアで実際にあった詐欺事件がモチーフ)、侯爵家のダメ息子タンクレディ、詐欺集団の一味となった、村人のアントニアやピッポらを対峙させることで、俗なるものの汚れが払い落とされて、愛おしさに変わっていくという不思議な感覚に。侯爵夫人の城や、詐欺集団のアジトなど、登場人物たちの家々も趣があり、魅力的。「シルク」(07)のエミータ・フリガートが、美術を担当している。

  • 幸福なラザロ

    荻野洋一

    イタリアの無知蒙昧な村落共同体をメルヘンとして提示した点は今冬公開のA・ナデリ「山〈モンテ〉」と似ているが、本作はもっと軽やかに自由闊達に流離する。昨年カンヌの脚本賞受賞作だが、脚本だけで本作の魅力を語りきれまい。往年のE・オルミを思い出さずにはいられぬ、無常観を宿しつつも泰然自若とした構えを見るに、ドイツの父方姓ローアヴァッハーがイタリア風に転じてロルヴァケルと発音されるこの若き女性監督が、並の才能の持ち主でないことは明らかである。

  • 幸福なラザロ

    北里宇一郎

    ラザロは無垢な存在。何も主張しない。優しくされたら、献身で応える。これはそんなラザロの受難の映画で。裁かれるのは彼に関わる人間たちだ。前半が中世の如き農園。その領主と小作民の生活ぶりが、現代なおも続いていたというところが面白い。この舞台が後半、都会となっての、そのコントラストが意外に生きていない。再生したラザロと元農夫たち、それに(前半魅力の)若旦那が上手く絡まなくて。着想や設定はユニーク。だけど、それがふくらんでいかないじれったさが。残念。

  • 主戦場

    石村加奈

    映画を“主戦場”に選んだミキ・デザキ監督のアイデアは素晴らしい。スクリーンと向き合う私たちが戦場に立つ覚悟で本作を観れば、慰安婦問題が一筋縄に解決しない理由がよくわかる。同時に今の社会には、自称歴史学者同様、自称政治家や自称ジャーナリストの多いことよ! 彼らの物言いに、他者を知る努力を放棄し、自分の思ったことをそのまま、一方的に主張する行為は暴力であると思い知る。軽薄な言葉を乱用する社会に、私たちは生きている。自戒を込めて、無知もまた暴力である。

  • 主戦場

    荻野洋一

    日本国内の言論はすっかり萎縮状況が固定してしまっており、従軍慰安婦問題を正面から取り上げる作品が国内から登場するとは思えない。その意味で本作は昨夏に公開されたフランス資本の「国家主義の誘惑」と似たような位置づけだ。両作に共通するのは、欧米主導による日本問題の顕在化戦術であり、「外圧」ゆえに余計な忖度がなく、言わば帰国子女の転校生のような豪気さが画面に充満する。また、当事者(元慰安婦)そっちのけでコメントをカットバックする逆説的手法も興味深い。

  • 主戦場

    北里宇一郎

    いま、これを描かねばという想いに溢れて。慰安婦問題。日韓の主張が食い違い、評者たちの言い分も相反する。ネットも含め、そのほとんどが感情的なやりとりで。だからこそ、このドキュメントは重い。あらゆる人たちの発言に耳を傾け、その反対意見の論者に語らせる。歴史資料でロジカルに。監督は在米の日系2世。それゆえか視点が客観的。決して情に溺れない。あくまでも理性で問題を捉えていく。だから本質を突いて鋭い。元慰安婦たちは変わらず被害者であるという指摘が沁みて。

  • ペガサス/飛馳人生

    石村加奈

    主演のシェン・トンがトム・クルーズばりに大活躍。駐車場で繰り広げる、ツバメの如き軽やかなアクション(主人公チャン・チーの妄想内で、というオチまでつく!)や、5年ぶりにカムバックしたサーキットで、神話の馬“ペガサス”のように、ぶっちぎりのカーアクションを披露する。ちょっと冴えない、でも愛嬌のある主人公が、憎めないどころか、5年前に出場停止になった理由も含めて、どんどん格好よくなっていくところも爽快。中国で大ヒットしたお正月映画と聞いて大いに納得した。

  • ペガサス/飛馳人生

    荻野洋一

    資格停止ペナルティを科されたカーレーサーの復帰願望を描いたこの中国映画には、女性の影も形も存在しない。ひたすら“男の子の夢”にのみ奉仕する反時代性。愛する息子のDNA鑑定も血縁なしの判定で、ここでも非生殖的な桃源郷が追求される徹底ぶり。思えば約一五〇〇年前、この中国で桃源郷の概念が発明された時も女性性は忌避され、ホモソーシャルな逸民の光栄ある孤立が称揚されていた。本作はスピード崇拝の果てにその桃源郷に回帰し、依然として世界は半分のままだ。

  • ペガサス/飛馳人生

    北里宇一郎

    事件に巻き込まれて引退を余儀なくされた中年レーサーがカムバック。捨て子を育てての人情ネタやら、若き相棒と組んでの資金集めのお笑いやら、盛りだくさんの内容。日本アニメに影響されたような脱力ギャグ、MTVスタイルの音楽処理、米映画的フラッシュ・カットつなぎ。もうもう観客の眼と心を一瞬でも離してたまるかの奉仕精神に溢れ。笑いがスリルに転じ、遂には感動へと至る。その計算が、余りにもせわしない展開で思ったような効果を挙げていない気が。時には深呼吸もしてほしく。

  • アガサ・クリスティー ねじれた家

    批評家。映像作家

    金子遊

    屋敷で大富豪の毒殺事件があり、容疑者はそこに暮らす一族郎党という王道の「館もの」。ハンサムな私立探偵が、一人ひとりの部屋を訪ね歩き、その動機を掘り下げていく。ここでもう少し推理やトリックを披瀝したいところだが……。第二の殺人が起き、予想外の犯人とその動機が明らかになるあたりは、それをアクション場面に仕立てていて演出にスピード感があり、謎が解ける痛快さはあった。原作を読み直して比較したいところだが、オチを知っている推理小説を読むのは少し苦痛かも。

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