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専門家レビュー一覧

  • サマーフィーリング

    映画系文筆業。

    那須千里

    同じ痛みを共有する者たちの関係は実に切ない。お互いが次のページへ進むために、ある時期には絶対に必要なものではあるが、結局はそれぞれ一人で乗り越えなければならない。一度踏み出したらむしろ二度と戻るべきではない間柄であるがゆえに、そこに恋愛めいたものが絡んでくると、事態はさらに厄介だ。パートナーを失った青年を演じるアンデルシュ・ダニエルセン・リーが、ロメール的な男のナイーブさやズルさを絶妙ににじませていて、ハッピーエンドなのにほろ苦い後味が効く。

  • サマーフィーリング

    批評家。映像作家。

    金子遊

    現代文学の短篇を読んだあとのようなふしぎな余韻が残る作品。ベルリン、パリ、NYを舞台に、恋人を失った青年と恋人の面影をもつ妹とのあいだの、互いに惹かれながらも恋愛未満にとどまる関係をナイーブに描く。ふたりが一線を越えられないのは、亡くなった人についての記憶が、彼らの感情や行動を規定しているから。夏の光に満たされた都会の開放感のなかで、死者の存在が目には見えない潜勢力として登場人物を駆動する、そんな映像演出に今までにないフィーリングをおぼえた。

  • ワイルドライフ(2018)

    批評家。映像作家。

    金子遊

    14歳のジョーを演じる俳優の雰囲気が、どこかポール・ダノに似ている。監督ダノは視点人物の少年に自分を仮託することで、原作小説を映像化できると直感したのだろう。物をつくる時ってそういうものだ。壊れゆく夫婦をキャリー・マリガンとJ・ギレンホールが演じ、撮影はレイガダスやアピチャッポン作品で知られるディエゴ・ガルシア。完璧な布陣。でも映画って最後は演出家のものだ。父の不在によって母がなぜ奇異な行動にでるのか、そこが腑に落ちる演出ならベターだったかも。

  • 凪待ち

    映画評論家

    北川れい子

    もう若くない主人公の居場所探し!? 言っちゃあなんだが、これほどヨソヨソしい白石作品は初めて。加藤正人のオリジナル脚本は、あえて東日本大震災の爪痕の残る石巻を舞台に設定し、主人公は恋人の故郷であるこの見知らぬ土地で、悲劇に巻き込まれるというのだが、演じる香取慎吾の神妙、かつかしこまった演技が取っつきワルく、しかも周囲に引っ張られてばかり。足場を持たずに生きてきた男の、人生の正念場ドラマにしてもヨソヨソしく、そもそもこの作品の狙いからして曖昧。

  • あの日々の話

    評論家

    上野昴志

    もとが演劇だけに、舞台ふうな作りだが、それを映画でやることの意味は詳らかではない。ただ、話の運びは、なかなか巧み。最初は正体不明のカラオケルームの男たちが、大学のサークルの集まりの流れとわかったところから、先輩後輩の陰湿な関係や、女子を巡るあれこれ、女子学生とOGとの揉め事など、人間関係の危うさ愚かさを露呈させていく手腕はなかなかのもの。だが、何よりも良かったのは、最後に太賀扮する高卒の従業員の、それ自体邪気のない言葉による逆説的な批判である。

  • あの日々の話

    映画評論家

    上島春彦

    集団演技も調和が取れており、さすが人気演目という感じはある。飽きさせない。しかし話が幼稚すぎて星伸びず。今時の女子大生が鞄にコンドームを忍ばせているのが、そんなショックか。それを自分らに都合のいい何らかのサインだと思いこめる男子大学生の神経の方がどうかしている。他の子のバッグあさりに発展する狂乱騒ぎも無茶。悪ふざけだがこれはれっきとした犯罪で、酔ってました、では本当はすまない。状況を誰も分かってないのがある意味凄い。それに実は誰も酔ってないし。

  • あの日々の話

    映画評論家

    吉田伊知郎

    舞台で見れば面白いだろうと思うのは、客席とカラオケボックスが地続きの空間を醸成できると思わせるから。映画の場合、〈カラオケ〉は最も頻繁に用いられながら、誰が撮っても大差ない狭い空間にすぎない。それを映画的な空間にどう構築するか、演出の技倆が露わになる。別室と同時進行させたりするものの劇中の空間と客席の隙間は埋まることなく、他愛ない会話が本当に他愛なく見え、ハラスメント、マウントの取り合いが、ステレオタイプな描写に堕して見えてしまうのも残念。

  • ハッピー・デス・デイ

    ライター

    平田裕介

    スラッシャー映画で真っ先に殺される存在である金髪ヤリマンをヒロインに据えた時点ですでに面白い。泣き喚くのは最初だけで、どうせ繰り返すのだからといろいろな殺され方や死に方、人前での放屁などを楽しむ彼女のキャラクターにも惹かれてしまう。また、ビッチ化する原因となったアレコレと向き合って成長する、“殺されるけど生まれ変わる”物語になっているのも上手い。ループしてれば死なないという弱点を回避すべくリミットを設けているが、いまいち機能していないのは残念。

  • サマーフィーリング

    映画評論家

    きさらぎ尚

    「アマンダと僕」の監督の前作だが、両作品にはいくつかの共通点がある。最大のそれは、愛する人を突然亡くした人が主人公であり、起きてしまったことを受容せざるを得ない状況。この映画の構成はベルリン、パリ、ニューヨークの三都物語で、生命力が最も輝く季節の夏に、三つのドラマをつづるセンスが好ましい。同じ夏でも三都市の微妙に違う光景や空気感と、察するに余りある主人公の喪失感を絶妙に絡める作風は、優れてユニーク。悲しみを重すぎずに描いて人を再生させる。

  • ワイルドライフ(2018)

    映画系文筆業。

    那須千里

    作家性の強い作品への出演で知られる俳優のポール・ダノが、エリア・カザンの孫娘であり自身のパートナーでもあるゾーイ・カザンとの共同脚本で監督デビュー。ギレンホールとマリガンの起用を含め、題材の選び方、映画との向き合い方など、どこを取っても申し分のない座組みでまさに死角なしと言ったところ。あまりにツッコミどころがなさすぎてある種の物足りなさや退屈さまで装備しているほどだ。ラストで家族のポートレート撮影を試みる少年が、自ら家族を再構築するシーンが象徴的。

  • ワイルドライフ(2018)

    映画評論家

    きさらぎ尚

    いつ崩壊しても不思議はない家族を描いて、展開に抑揚があるわけではないのに、見ごたえがある。誰も悪くはないが、ただ両親には「何をやってるのよ、大人は」と小言の一つも言いたくなるのがミソ。今さら変われない大人に対して、14歳の少年の変化と成長は逞しく、安心する。穿った見方を承知の上で、アメリカは積み上げてきた秩序を壊す大統領が意気軒昂だが、モンタナの60年代の風景と家族と暮らしに、本来のアメリカ力を垣間見る思い。地味な話だが手堅い演出で深いドラマに。

  • Girl/ガール

    映画系文筆業。

    那須千里

    自らの肉体が最大の武器であるバレエのパフォーマンスでは、練習でも舞台でも常に体の形を露わにすることが必然であり、自身のそれと日々向き合わなければならない。トランスジェンダーにとって最も過酷な環境の一つであると言える。だが本作におけるその描写は決してマイノリティ特有の体験に終始せず、肉体の変化に直面する思春期の少年少女たちが経験するであろう戸惑いや不安、葛藤、痛みを繊細に掬い上げる。性別を超越したヴィクトール・ポルスターの存在感に驚くばかり。

  • Girl/ガール

    映画評論家

    きさらぎ尚

    よくぞこの俳優(V・ポルスター)を見つけた!? バレリーナの体つきになりたい一心で、二次性徴を抑えるための療法を受けながらレッスンに励む15歳の少年の、痛々しいまでの努力に衝撃を受けつつ、身体の変化に敏感な年頃に特有の表情や仕草の演技に息をのむ。外に理解を求めるのではなく、あくまで自分の内面の葛藤を描いた点が決め手。父親のトランスジェンダーへの理解に救われる。加えて、例えばバイオリンの鋭い音色や照明の色味で主人公の心情を表現した監督に才気を見る。

  • Girl/ガール

    批評家。映像作家。

    金子遊

    男性器をつけた美しき主演女優という意味では、「クライング・ゲーム」以来の衝撃。そういえば当時はモザイクやぼかしが入っていたが、いつから芸術映画における性器の描写は解禁になったのか。撮影時16歳だったバレエ学校の学生が、トランスジェンダーのヒロイン役を見事に演じる。その男性化も女性化もしきれていない過渡期の身体が、ホルモン剤を投与中という役柄に説得力をもたせる。未熟な身体の美しさを鑑賞するという残酷さが、実はバレエの中核にもあるのかもしれない。

  • アマンダと僕

    映画系文筆業。

    那須千里

    「サマーフィーリング」からの流れで観るのがベスト。ミカエル・アース監督の作家性やテーマがきれいにつながって作品の垣根を越えた連動が見られる。突然父親の役割を引き受けることになった若手のヴァンサン・ラコストはいわゆるフランス映画ならではの佇まいで、かつてのマチュー・アマルリックやロマン・デュリスみたいな系譜を思わせる。娘のアマンダ役のイゾールが、いわゆる誰もが愛でるような愛くるしいルックスやキャラクターでないのもいい。この路線でもう一本ぐらい観たい。

  • アマンダと僕

    映画評論家

    きさらぎ尚

    テロ事件で母親を亡くし、突然一人ぼっちになった小学生の少女。不憫なシチュエイションは泣ける映画という惹句がぴったりだが、そんななウェットなドラマではない。テロ事件に社会的、もしくは政治的な意味を持たせず、母親を奪われた一人の少女の、個人の悲劇とする視点があるからだろう。あくまで個人としての二人、少女と叔父の繊細な感情の交感は、だから美しくリアル。そのトーン、つまり二人の悲しみや寂しさや怒りを、寄り添っているように、共有させる叙情性が独創的。

  • アマンダと僕

    批評家。映像作家

    金子遊

    大人になってみると子どもって他者だ。何を考えているか全くわからない。それが女の子なら尚更だ。シングルマザーの姉が事件に巻きこまれ、24歳の青年が7歳の姪の父親代わりになるまで。あざとい。アマンダが無口になるほど、大人は彼女の心がどれだけ傷ついているか想像をめぐらせてしまう。娘の父親になることは、誰かと結婚すること以上に荷が重い。だって、子どもへの愛情は無償の行為が求められるから。あざとい。誰だってダヴィッド青年の心の揺れに共振せざるを得ない。

  • ホットギミック ガールミーツボーイ

    映画評論家

    松崎健夫

    無機質な印象を与える建築物を、彼女/彼たちの住まいとすることで心象風景を生み出している。彼らは自身の内面が“からっぽ”であることに、ある種のコンプレックスを抱いているが、視覚的にもそのように見えるのはロケーションの審美眼に依るものだ。山戸結希監督は過去作品と同様に、観客が登場人物に対して抱く想いを拒絶するかのようにシーンとシーンの繋がりを没却し、登場人物の感情そのものを分断させている。身体は純潔だが心は乱れたヒロイン不安定さの源泉はそこにある。

  • ホットギミック ガールミーツボーイ

    映画文筆系フリーライター

    千浦僚

    他にないものを見せようという作り手の熱と野心に圧倒された。実際それを実現してることにも。執拗なインサートカットや音楽の貼り付けが的確な効果かどうかは不明だが映像表現を新たに行なおうという意志がある。ベッドでスマホテレビ電話のテレフォンペッティングをするときの正しい編集、切り返しを知ってるか。本作はそれを知ってる。そういうものをもこの映画は作り出す。反=安全牌的な姿勢の横溢。それは生の激動極まりない不可逆な一季、青春を過ごす者の物語に相応しい。

  • ホットギミック ガールミーツボーイ

    映画評論家

    北川れい子

    「溺れるナイフ」の舞台となった自然がいっぱいの風土は、若い主人公たちの無自覚な欲望といらだちを、痛みと共に解放していたが、今回は海はあっても無機質なコンクリートの世界、その上、閉鎖的で限りなくミニマムな空間での初恋の絡み合い、観ているだけでかなり息苦しい。何度も出てくる高層マンションの外階段でのおしゃべりは、宙ぶらりんの主人公たちの宙ぶらりんの関係の場としてイミがあるのだろうが、結論を出さないと前に進めないという現代っ子の短急さを見せられてもね。

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