「ウッドストック」のストーリー

1969年8月15日から3日間、ニューヨーク郊外ベセルの丘で、ニュー・ロックの人気アーチスト多数が出演して、愛と平和と音楽の祭典が開かれた。これが世界の注目を浴びたウッドストック音楽祭である。この一大ハプニングの企画者は、当時24歳の大富豪の御曹司ジョン・ロバーツ。彼はこの企画に10億円の財産をポンと投げ出した。音楽会の開催当日、ウッドストックに集まった若者は、予想を大幅に上回って40万人。遠くアラスカ、ハワイからも、自由と陶酔を求める若者たちが集まってきた。この群集の混乱をさけるため、現代アメリカのニュー・ロックのアイドルたちは、次々とヘリコプターで会場に運ばれた。アーロ・ガスリー、ジョアン・バエズ、ジミ・ヘンドリックス--等々、彼らは叫ぶがごとく、泣くがごとく、昼夜ぶっ通しで歌い、演奏をつづけた。死者3人、病人5千人、出産2件を記録しながらも、アーチストと観衆が真の意味でひとつにつながりながら、ともに歌い、ともに踊った。若者たちの多くは、身につけている衣服を次々と脱ぎ、ある者は全裸になって、自然の大きな抱擁に身をまかせていた。現代の若者たちを縛りつける、あらゆる慣習、偏見はそこにはなかった。あるのは平和と音楽と、かけがえのない愛の姿であった。音楽はやむことなくウッドストックの森にあふれ、平和の叫びは若者たちに躍動の翼を与え、緑と光の中で、裸のままの愛が、生きていることのたしかさを感じさせていた。人なつっこい笑顔--語りあう唇の美しさ--ゲームに興じる溌剌とした肢体--みんなかけがえのないものばかりだった。悲しみの歌も、そこでは空の遠くかなたに、しみ透るように消えていってしまった。おりからの風雨の中でも、泥と食料難の3日間、若者たちは、歌から芽ばえた連隊感をもって、平和を謳歌した。それは体制内に出現した輝ける自治体であった。今、アメリカのジャーナリズムは、若者の代名詞として“ウッドストック・ゼネレーション”という言葉を使っている。(ワーナー配給*2時間55分)