「修験ルネッサンス」のストーリー

紀伊半島南部の熊野は修験のメッカ。しかし、明治はじめの神仏分離、修験道禁止により修験道の実践が難しくなり、熊野と吉野をむすぶ大峯奥駈けの道が荒廃、七十五の靡(なびき)も不明箇所が出てくる。第二次大戦後には修験道が徐々に復活するが、吉野から南に向かう奥駈けは、熊野までの道が通じておらず、行者たちは途中で引き返していた。消えた道の復興を始めた和歌山県田辺市の前田勇一氏の後を引き継いだ“新宮山彦ぐるーぷ”は木を切り、藪をはらい、道を整備し、宿小屋を建て、吉野~熊野を貫通させる。今も年間を通じ、新宮山彦ぐるーぷは道や水場の整備、宿小屋など施設の補修を続けている。そして、長年、熊野修験復活を祈念していた和歌山・那智山にある青岸渡寺の高木亮英導師は、熊野から吉野に向かう順峯を貫徹する。

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