「大自然の闘争 驚異の昆虫世界」のストーリー

われわれ人類は、今から60万年ないし80万年前、いわゆる第1氷期の前後に生息していたといわれる猿人から発達したもので、4、50万年前の第2氷期から第4氷期にかけて生息していたネアンデルタール人から、やがてわれわれの同類であるホモ・サピエンスが現われたといわれている。だが昆虫は人類よりも3億年前から生存し、その恐るべき生命力を発揮して強力な存在となり、その勢力範囲をしだいに拡げていった。そして新しい世紀を迎える年に、昆虫は、その自らの形態と機能を環境に応じて徐々に変え、進化していった。/昆虫の世界で、人類と同じように集団生活を営んでいる最も統制のとれた強大なアリの社会をみてみよう。たくさんの種類の中でも、とくに「収穫アリ」と称する集団は、干ばつ期に備え、植物の種子などを収穫してそれを貯蔵する。続いて、卵から幼虫を経て、成虫に育てられていく過程と、食物をめぐって彼らを襲撃してくる赤アリとの凄惨な死闘が映しだされる。/カリフォルニア理工科大学のコンピューターセンターにおいて、ヘルストロム博士は、知能をもたない昆虫も大自然が工夫した生きているコンピューターを持っていると説き、ハキリアリの女王を中心にして、その子孫繁栄のため営々として働く実態を映す。このアリは高層建築のようなアリ塚を築いているが彼らの大敵は太陽光線で、乾燥期にアリ塚がくずれることがある。映画は、くずれ落ちたアリ塚をハキリアリたちが慌てて補修する姿と、彼らの弱みにつけこんで大挙して襲ってくる黒アリの白兵戦を映す。/旧約聖書にもでてくる、陽の光も見えなくなる位の大群で襲来するバッタは、集団となって移動するが、1つの集団が400マイルに及ぶことがある。彼らは1日に8000トンの穀物を平らげ、その量は1週間に、100万の人を1年間養える食料を食いつくす勘定になる。バッタやイナゴの害に対して、戦後、飛行機などを大々的に使用してDDTやその他の農薬を散布する手段をとっている。だが次第に昆虫は、あらゆる農薬に対する抵抗力を備え、再び勢いを盛り返して逆襲してくるようになった。映画は、農薬によって鳥や動物が死ぬばかりではなく、汚染された飲料水や食料が人類の生命をも脅かすに至ったことを報告する。/カゲロウの卵は、河や池の底で1年を過ごし、翌年の夏のひと日、孵化して成虫となり、空高くとび立つ。その数は無数で、飛び立つさまはさながら細雪が逆に空へ舞いあがっていくように見える。カゲロウは孵化して成虫になってから18時間後にそのはかない生命を終える。月光に照らされたカゲロウのオスとメスが、乱舞したのち、恋をとげ、やがて河や池に落ちていくのだ。/アフリカなど熱帯に生息するシアフと呼ばれる移動性のどう猛なアリは盲目ではあるが、彼らの行手を阻むものは誰もいない。火の中、水の中をも恐れず仲間の死体をのり越えながら、しゃにむにエサを求めて進んでいく。軍隊アリに守られてつき進む彼らの列は1マイルを越えることがある。いかなる猛獣といえども、彼らの列を発見すると逃げる。彼らの行動圏は数マイルに及び、生きているトカゲやカメレオンや蛇に襲いかかるばかりでなく、もっと大きな動物にも執拗に追いすがる。/今から2億2000万年から7000万年にわたる中世代に、地球をわがもの顔に振舞った飛竜、恐竜など様々の怪獣たちは滅びたが、彼らはどんな過失を犯したのであろうか。彼らもまた人類のように自分の力を過大視したため、彼らより強力な敵を侮っていたのであろうか、それはわからない。わかっているのは、彼らが適者生存という鉄則の前に屈服しなければならなかったことだ。しからば今後生き残るために「選ばれたもの」は一体何ものか。果たして人類だろうか。それもわからないが時間が解決してくれる。「選ばれたもの」は他の多くの生物が死に絶えるのをじっと見守っていたように、われわれ人類の滅亡をもも待っているのではないだろうか。