「SADA」のストーリー

1919年夏。14歳の定は、慶応ボーイの斉藤に旅館に連れ込まれ、処女を失う。ひどい痛みと出血に泣きじゃくる定。そんな彼女を介抱してくれたのは、同じ慶応ボーイで医学生の岡田であった。優しい岡田に定は想いを寄せるが、岡田は定を一度も抱くことなく彼女の前から姿を消してしまう。その後、定は近所のガキ大将・金ちゃんらと不良生活を経て、1923年、義兄・滝口の紹介で芸者置屋の門を潜る。神田の畳屋の末っ子として生まれた定は、三味線や歌に秀でており、たちまち売れっ子となった。時は流れ、あちこちの遊郭を転々とした定・29歳の時。政府外郭団体の大物・宮崎の妾宅に暮らしていた彼女は、名古屋市議会議員の立花を紹介され、彼の愛人となる。立花の寵愛をうけ、安定した生活を送るようになる定。埼玉に住む両親にも孝行が出来るようになった彼女であったが、しかし今でも気がかりなのは岡田の行方だ。そこで、立花に無理を言って岡田の行方を探して貰うが、実は岡田はハンセン病で瀬戸内海のある島に隔離され、生死も定かでないことが判明する。1936年、31歳になった定は、立花の薦めで料亭「きく本」に見習いへ出る。ところが、彼女は店の主人・喜久本龍蔵といい仲になってしまうのである。龍蔵との濃密な情交に溺れていく定。そのことが女将・よしに知れると、彼女は店を飛び出し、龍蔵と待合を渡り歩く暮らしをする。もはや、彼女は龍蔵なしでは生きていられないほど彼を愛していた。同年5月17日の夜、定は龍蔵の首に腰紐を巻きつけ殺害。男根を切断すると、それを帯の間に大切にしまって姿をくらますのであった。彼女が逮捕されたのは、それから2日後のことだった。彼女の事件は当時の新聞を騒がせたが、一般には恋に生きる女性として好意的に受け取られた。その年の暮れ、彼女に懲役6年の判決が下りる。その後、彼女がどのように生きたか詳しく知る者はいないが、ハンセン病の隔離政策も解かれた現代・1998年。もし、定が生きていれば93歳になっている筈である──。