「恋の挽歌」のストーリー

時は1880年、内政自治の確立を期し、アイルランド民衆のリーダーとして思慕されていたパーネルは、米国旅行から帰って故国の土を踏むや、扇動的言辞を弄したかどで英国政府の手に捕らえられ投獄された。ウィリイ・オシア大尉とアイルランド党員のオゴウマン・メーホン将軍は獄中の彼を慰問し、二人はアイルランドから立候補して議会に乗り出す運動中であることを告げた。。しかしウィリイは政界に野望を抱く偽善者であった。オゴウマンは彼にパーネルの政界における勢力を告げたので、保釈されて後、下院で党の指導者として活躍しているパーネルに、ウィリイは美貌の妻ケティを近づけてパーネルを饗応せしめる決心をする。ウィリイ夫妻の間は水のように冷たかった。ケティはしばしば夫に離婚を嘆願したが許されず、専ら夫の政治資金調達のため伯母を口説く役を命ぜられていた。ケティの招待を受けたパーネルは喜んで出席したが、ウィリイの政界進出を志す野望に対しては何の考慮も払わなかった。翌日パーネルは下院で政治家2名の暗殺事件の黒幕として糾弾されたが、彼は新聞に掲載された証拠物件は偽造であると告げた。彼の政敵である宰相グラッドストーンは事件を裁判に付することを提議し、パーネルは敢然としてこれを承諾した。アイルランドに帰る前に彼はケティに愛を訴えたが、彼女は二人の名誉のため将来会わぬ約束をして別れた。しかし再びアイルランドから戻ったパーネルが心臓麻痺に襲われるとケティは彼を自宅に移して看護した。彼は再びケティに結婚を求めたが、彼女は夫と離婚が成立した後でと約束する。その間にも裁判はパーネルに不利に進行したが、ケティがパーネルの未開封の手紙を発見し、それが証拠となって彼の無罪が立証された。その結果グラッドストーンはアイルランドの自治法案に同意した。同法案の通過とともにパーネルの内閣組織は必然なので、ウィリイは閣僚の一人として自己推薦をしたがパーネルに拒絶され、その復讐としてケティとパーネルの関係を告訴した。何の罪なきパーネルは次第に不利の立場に置かれ、党もまた彼を一女性のために国を売る者として排斥した。党大会でパーネルは再び心臓麻痺に倒れた。再起不能を知った彼は、党員にアイルランドの自由のために奮闘せよと懇請し、ケティの腕に抱かれたまま不帰の客となった。