今年85歳を迎えるポール・ヴァーホーヴェンだが、制作意欲は衰えることなく、現在、2作品の新作を鋭意制作・開発中。本作も自ら指揮を執り、4Kレストア版を完成させた。30年前の公開当時、シャロン・ストーンを一躍世界的なセックスシンボルとしてブレイクさせた本作は、今日に至るまで全世界で3億5300万ドルの興行収入を記録。一世を風靡した〝究極〟のエロティック・スリラーが再び劇場に登場する。

ポール・ヴァーホーヴェン監督作品「氷の微笑」は、製作から30年を経た今もまったく古びてはいない。まぁ30年程度でカビ臭くなるような映画はハナからしょうもないのだが。いやそれはともあれ、齢84歳のヴァーホーヴェンが発表した、本年度屈指の傑作「ベネデッタ」(21)を見た後では、その原点とも言える先進性、先鋭性に改めて舌を巻き、堪能することこの上ないのである。

「氷の微笑」の日本公開は1992年6月6日。日本ヘラルド映画によって配給されている。「ロボコップ」(87)、「トータル・リコール」(90)の大ヒット監督待望の新作として注目を集め、そしてなにより、女優シャロン・ストーンの出世作として話題沸騰であった。そう、取調室で美脚を組みかえる、あの映画史上の〝名〟シーンである。ドラマの設定上、シャロン扮するキャサリンはノーパンだ。当時はまだ、レンタルDVDが普及前夜でビデオテープの時代。劇場公開後レンタルが開始されると、誰もがその場面でビデオを一時停止してコマ送り、〝真相〟の確認をしたため、そこだけテープが弛んだとか弛まなかったとか(笑)。見えたかどうかはともかく、そういえば同時期、ジャック・リヴェット監督「美しき諍い女」(1992年5月23日日本公開)も、裸体絵画のモデル役、エマニュエル・ベアールの陰毛修整云々のヘア論争が巻き起こっていたな。ちなみに、同年度のキネマ旬報ベスト・テン外国映画 第1位が「美しき諍い女」、「氷の微笑」は第24位に入賞している。初公開時は、一般映画制限付き(今でいうR15+ 指定) 、ボカシありでの上映だったが、今回の4Kレストア版はR18+無修整での上映となる。はたして日本の社会が進化したのかどうかは微妙だが、作り手の意思は尊重された、か。尺も少し長くなったとの話もあるが、正直どこがどうなったのかは分からなかった。

分からないといえば、やはり真犯人は誰か!?という謎は今回も解明されず、見る人によってさまざまな答えが出るだろう。そのへんを逆手にとり、日本ヘラルド映画は宣伝の一環として〝犯人は誰でしょう、何故でしょう?〟キャンペーンを展開したほど。かくいう私も、30年前のこの映画のパンフレットを紐解くと、『謎とき「氷の微笑」──真犯人はいったい誰?』と題した拙文を寄せていたではないかいな(笑)。キャンペーンの正解(!?)によると、犯人はキャサリン=シャロン・ストーンとのことヴァーホーヴェン監督自身、インタビューでそう答えているそうである。

だがしかし、本当にそうなのだろうか?

私の見立てとしては初見より、さまざまな状況証拠からして、犯人はやはり市警付きのサイコロジスト、ベス・ガーナー(ジーン・トリプルホーン)だと睨んでいる。動機!? 腑に落ちない点は多々あるが、学生時代の同性愛相手キャサリンへの嫉妬と、署内での保身からだ。

じゃあ、ラストカットのアイスピックはどうなんだよ。そう、開巻の殺害シーンと、本篇中のキャサリンやベスの濡れ場を見比べても、おっぱいのシルエットからして(笑)、犯人はキャサリンとして撮られている。ジョー・エスターハスの脚本上では。

しかし、ヴァーホーヴェン監督はハナから犯人捜しなどには関心がないのではないだろうか。そうとしか思えない演出の仕方だ。私もフーダニット(who done it) 謎解き映画には興味を持てないタチだが、ヴァーホーヴェンも明確に犯人を断定させるつもりなら、キャサリンとニック刑事 (マイケル・ダグラス)との激しいセックスの後、いったん真っ黒のカットを挟み込んで!からアイスピックに寄ったりはしないはずである。

そもそも単独犯であるという確証もあるまい。現に同性愛相手のロキシー (レイラニ・サレル)はニック刑事殺害を試みている。誰が犯人なのかではない。女は皆犯人、誰もが心の中にアイスピックを隠し持っているのだ! これが私の見解である。就中、ベッドの上ではご用心召されよ。騎乗位好みはより危険。雌が雄を食い殺す、カマキリこそは
BASIC INSTINCT。エクスタシーは死に近く、セックスとは小さな死である。エロスとタナトスは常に背中合わせなのだ。ヴァーホーヴェンはこのことをずっと描き続けてきた作家である。まさに「氷の微笑」は、その後の「ショーガール」(95)「ブラックブック」(06)「エルELLE」(16)そして「ベネデッタ」へと続く、善も悪も踏み越えて、敢然と男社会に伍してゆく、危ないまでに魅力的な女を讃える主題の発火点となった、記念すべき作品なのだった。同性愛モチーフは鮮やかに「ベネデッタ」へと結実しているではないか。

30年前には、邪悪な魅惑に惹き込まれるゾクゾクする関係性を、前年に創られたジョナサン・デミの傑作「羊たちの沈黙」と、キャラを反転させた比較で楽しんだ。今回は、これも本年屈指の傑作であるパク・チャヌクの「別れる決心」と比較するのも一興か。美しき女容疑者の沼に嵌まる刑事。その硬軟の描写の差あれど、どちらも死に至るほど官能的な作品なのである。
                                                                                                            
 文=塩田時敏 制作=キネマ旬報社(キネマ旬報2023年6月下旬号より転載)                                           


 

『氷の微笑 4Kレストア版』

BASIC INSTINCT
1992年・アメリカ・2時間8分
●監督:ポール・ヴァーホーヴェン
●製作:アラン・マーシャル
●脚本:ジョー・エスターハス
●撮影:ヤン・デ・ボン
●美術:テレンス・マーシュ
●編集:フランク・J・ユリオステ
●音楽:ジェリー・ゴールドスミス
●出演:マイケル・ダグラス、シャロン・ストーン、ジョージ・ズンザ、ジーン・トリプルホーン、デニス・アーント、レイラニ・サレル
●配給:ファインフィルムズ 
◎6月16日(金)より新宿ピカデリー、丸の内ピカデリーほか全国にて
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