吉永みち子とキネマ旬報編集長が語る、子どもたちに伝えたい映画の魅力と可能性

映画との出合いで「次世代」の人たちが豊かな思いを広げてくれますように、「映画の力」は時には果てしないはず。そんな願いを込めて、「次世代」を担う人たちに見てほしい映画を推薦するのが「次世代への映画推薦委員会」だ。そして、「映画が育む、ココロとコトバ。」をスローガンに、全国の小学生・中学生の皆さんから、映画を見て思ったことを文章にして応募してもらう「映画感想文コンクール」は今年で10年目。「次世代映画推薦委員会」と「映画感想文コンクール」、それぞれの活動に携わる二人に、映画が持つ素敵な可能性への熱い思いを語ってもらった。

映画の魅力、映画館の迫力


三浦 僕が初めて映画館に行った記憶は小学生のときですが、親に聞くと「学校に上がる前に連れていったよ」って。そのとき、僕は覚えてないんですけど、母親が言うには「その映画を見て怒り狂っていた」と。

吉永 (笑)怒り狂った? 何の映画に?

三浦 覚えてないんですが、『人魚姫』の話らしいんです。「王子様がひどいヤツだ!」と怒っていたそうで(笑)。正義感の強い子だったつもりもないんですけど。

吉永 へえ〜。『人魚姫』がかわいいと思った子もいただろうに(笑)、映画から受け取るものが人によって違うという証拠ですね。私が小さい頃は「子どものために」なんてことはまったくなく、父は自分が見たい東映チャンバラ映画に、母は自分が好きな洋画に私を連れて行ってました。字幕も半分くらいしか読めないし、妙なところですごく怖くなったりしてね。

三浦 へえ、よく覚えてらっしゃいますね。

吉永 「赤い風船」(56)というフランス映画は、かわいい映画なんだろうけど、私は怖かった記憶が鮮明。しばらくは風船を見ると逃げ出していたくらい。「禁じられた遊び」(52)も怖かったなあ。自分と歳の変わらない子どもなのにお父さんとお母さんが殺されちゃう。戦争ですからね。ああいう映画を見て、私はもう本当に確固たる反戦主義者になった気がしますから(笑)。

三浦 なるほど。

吉永 今の時代は、子どもに恐怖を与えるのはよくない、安心して見られるものを、という傾向でお父さんお母さんは選ぶのかな。だけど子どもにはちょっと難しいかも、という映画でも、子どもなりに何かを感じているのだと思います。

三浦 映像の美しさとかとか、おかしさとか。映画で育ってほしいという思いはありますよね。

吉永 子どもって案外たくましかったりもするし、日常では出合えないことを見て驚いたり、心がときめいたりしますよね。今は家でもDVDや配信で見られるから、それをきっかけに映画に親しめる良さもある。どこで見るかよりもまず「見る」っていうことが大事。でもやっぱり映画館の迫力は楽しんでほしいですね。今の時代だからこそ、やはりきちっと映画館で映画を見るということは意識したい。

三浦 映画館はちょっと違う特別な空間ですよね。集中しなきゃいけない。一時停止も早送りもできませんし(笑)。

吉永 家では自由に早送りも巻き戻しも勝手にできるし、今は大画面テレビなら結構迫力もある。だけど「私の勝手」っていうのは「私の世界」の中にしか収まらないこと。映画館で「勝手」にならない時間の流れの中に身を置くことで、いろんな考えが広がったりもするんじゃないかな。それは「私の世界」から「あっちの世界」に繋がること。それを感じてもらうのが映画鑑賞だと思います。

三浦 映画の時間が流れるから、作品によってはずっと海の景色を眺めているだけとか、セリフのない時間が流れていくだけ、とか。

吉永 だけどそれもまた作品の中の重要な一部だから、飛ばさないでほしいよね。若いときには難しい映画だろうと何だろうと見たらいいと思いますよ、体力あるし(笑)。あ、でも今の子ってあまり耐えられないのかな?

三浦 人によってはそういうこともあるかもしれません。でもがまんして退屈なところも向き合って、それで大きな感動を得ることだってある。すごくいい体験にもなりうるので、ぜひ味わってほしいです。

吉永 活字だけの本とはまた違う受け止め方になるしね。映画は目の前に映像として提供されるから。

三浦 そうですね。僕も子どもの頃は本をあんまり読んでなかったんで(笑)。もちろん読書はしたほうがいいし、自分の子どもにも読ませますけど、やっぱり同じお話でも本だと何日もかかっちゃうのが映画は2時間程度で見られる。なので、そっちから入るのというのは一つのいい方法なのかもしれません。

吉永 読書には読書感想文を書くというのがありますよね。書かされるという意識だったかもしれないけど、何となく感じていたことを言語化することで自分の発見があったりもする。映画だって感想文を書くことで映画の深みに気づくこともあるんじゃないかな。

三浦 そうですね。

吉永 本で読んだものが映画化された時は、比べてみるのも面白い発見があります。本ではこういうふうに解釈したけど映画ではこんなふうに表現されていた、なんてことがあれば、もしかしたら「監督とあなたの解釈の違いだなんだね」みたいな気づきがあるかもしれない。

三浦 そういうのも面白いですね。


映画で突かれた「矛盾」「激励」

吉永 私が大学生の頃は、安いからもっぱら名画座通い、京王名画座とか人生坐、文芸坐地下オールナイト5本とかね。「気狂いピエロ」(65)を見たときは「何だろうこの映画、わけわかんないな」と思いつつ、友人たちが「よかったよな」なんて言うから、エッこいつらはわかってるんだ、悔しいから私も「ほんと、よかったね」とか合わせたりして(笑)。長年経ってからその頃の友だちと話をすると、「あれ、わけわかんなかったよな」「何よ、すごく良かったって言ってたじゃない」(笑)。みんな見栄張ってましたねえ。

三浦 それも刺激になるのがいいですよ。口に出して話すからわかることですね。

吉永 わからなかったけどなぜか忘れられなかったな、とかね。「合評」と呼べるほどの立派なものじゃなくても、感想を言い合うことで、ものを考える力になる。自分はこの一面しか見てなかったけど、多面的にセリフの良さ・面白さとか映像の良さ・音楽の良さも気づかされてもう一度見たくなる……とか。

三浦 映画は総合芸術といわれるだけあって、どの角度から見てもいろんな感覚に刺さっていくのはあると思います。

吉永 子どもの頃、「映画の会」という上映会で見たあと、作文を書かされたり、ホームルームで話し合ったりしましたよ、そういえば。初めて学校で映画館に連れていってもらって見たのは「にあんちゃん」(59)でした。「ボタ山がこわかった」とか「あの子がつらそうだった」とかみんなで話して。

三浦 まず喋り合うことから、という。

吉永 うん、自分が何となくいいなと思ってる、その「何となく」って、「何がいいと思ったんだろう?」ともう一歩考える。

三浦 その気づきが必要なんですね。

吉永 三浦さんは、学生の頃はどういう映画がお好きだったんですか? 何度も見た映画といえば?

三浦 僕は「ロッキー」(76)ですね。最初は小学生のときに「2」か「3」をビデオかテレビで見て、それから第1作を見たのかな。人生に迷って落ちぶれて、もう一度自分なりの方法で立ち直っていく。「やり直せるんだ」と感じたんだろうなあ。僕だってやっぱり何かを成し遂げたい、でも田舎にいるとどうせできないんだろうなっていう負け犬根性が、子どもの頃は田舎で育ったせいもあって、結構強かったから。


吉永 都会との距離感がやっぱりあったんだ。

三浦 でも「ロッキー」を見て励まされました。吉永さんが励まされた映画というと?

吉永 励まされる、というか開き直れた、ふっきれたというのなら、石坂洋次郎原作の映画ですね。「若い人」(62)とか。私が育った昭和20年代30年代って、まだ親は頭が古いし、とにかく男優先の時代なわけ。学校でも何かと男子が先、それに対して誰も疑問を持たない。女は引っ込んでろとか、女に教育はいらないとか、そんな時代です。

三浦 今だったらありえませんが。

吉永 男はできても女はできない、やらせてもらえないこと、やってはいけないことが山のようにあるんだなっていう状況を、何となく受け入れさせられて疑問にも思わなかった、そんな社会。それが、「若い人」のヒロインの江波恵子に「えーっ」て思わされた。何だ、いいんじゃんこのぐらい言ったって、とか、こういうことは可能なんだな、って気持ちが弾けましたね。ちょっとした開き直り、自分の世界が、そして世の中に対する「自分と男の子との位置取り」みたいなものが、完全に変わっていった気がします。

「個性的な文章」を書くには?

三浦 映画感想文コンクールは、映画を見る必然性をつけられたらと思って始めました。なぜ主人公がああしたのかな、とか、どうしてあんなことを言ったのかな、とか。

吉永 なぜあんなに怒ったのかな、とかね。映画を見たとき、本を読んだとき、日記でももちろんいいんだけど書き留めてみる、ということに、すごく意味があると思うんです。後で読み返して、今は違う感じ方をしていることに気づくかもしれない。気持ちの中に「何かモヤモヤしたもの」ってあるから。

三浦 確かに。「何なんだろう? この感情」と。

吉永 「モヤモヤしたもの」を素通りするか立ち止まるか。ただ何となく考えてるだけだとなかなか整理できない、ぐちゃぐちゃになったまま「何となく嫌だった」とか「何となく楽しかった」で終わっちゃう。その「何となく」感じていることを掴むには、言語化していくことは大事だと思う。言葉に置き換えられたときに、ああこういう感情だったんだ、となると思うから。それは例えば5歳は5歳の言葉、10歳は10歳、20歳になれば20歳の言葉で表現できるでしょう。いろんな経験を積んで、ものを見たり聞いたり読んだりする行為でいろいろなことが蓄積されていくわけだけど、蓄積するために「言葉にする」のはかなり有効な手段だと思いますね。

三浦 確認、認識していくこと、映画感想文コンクールが、そのきっかけになれば嬉しいですね。どんどん見てどんどん書いてほしいものです。

吉永 私、作文コンクールの審査をすることもけっこうあるんですが、読んでいていつも思うことがあるんです。「すごく感動しました」って書いてある、じゃあ「何にどう感動したの?」と。「このシーンがすごく良かったです」で終わっちゃってるのを読むと、「どこが良かったの? どう良かったの? あなたはどうしていいって思ったの? そこを書いてよ!」ってもどかしくなっちゃう。そこを言葉にして届けてほしい。

三浦 「そこが知りたいんだ!」と。

吉永 それが書ければ、どれも個性的になりますよ。個々で感じ方が違うんだから。文字量の制限なんかもあるけど、突っ込みが弱いと抽象的な言葉だけで個性がなくなるよね。自分の内側に突っ込むしかないじゃないですか、個性って。

三浦 感動したシーンを細かく説明する、と?

吉永 いや、「細かく」じゃなくて、「なぜそう思ったのか?」ってことを書いてほしい。ほら、三浦さんが「人魚姫」の映画を見て怒った、じゃあ「何をそんなに怒ったの?」って。

三浦 なるほど(笑)。

吉永 その映画のどのシーンで、どの言葉で、どの表情に怒りがブチキレたの? っていうことなのよ。それを見たときは何となく、わからないままに過ぎ去ってしまう。でも感想文を書くとなったら、思い返すでしょう。

三浦 確かに。

吉永 ブチキレたんだよな、じゃあどうして、どこのシーンで、なぜそれでキレるんだろうって。三浦さんは「人魚姫」の何に怒ったんですか?

三浦 王子様が自分勝手だったから。自分本位だったからということでしょうね。

吉永 へえ、なるほどね(笑)。

三浦 僕の母親がきっと日常的にアタマにきてたんじゃないかな。まあそれで見せたわけじゃないと思いますけど(笑)。何かの気持ちがわいたのかな。

吉永 それだけ大きな感情の動きがあったかもしれない。後で考えるとね。子どもの頭じゃわからないし。でも作文を書けるぐらいの年齢になってくると、文章や言葉で表現する能力が出てくるから、それを何年か経って考えるのもいいんじゃない?

三浦 なるほど(笑)。自分が子の親になったとき考えてみる、とかね。

吉永 「自分ならどうしただろう」と自分の内面に向かうことをする。書くとか話すときに、そういうことが必要。「何となく」だとどうとでも書けるじゃないですか。派手なシーン、印象的なシーンがいいなと思うのはみんなそうでしょ。でも、そこで「なぜいいなと思ったか」は、人それぞれ違うはずなのよ。

三浦 そこが知りたい、と。確かに。テクニックじゃないですからね、個性って。

吉永 だから文章が少々つたなくても、「てにをは」が違ったり「句読点がないなあ」っていう文章もあるけど、でもそんなことも越えるくらいの面白い文章って、あるんですよ、ほんとに。きちっと書かれて「あ、これは指導されて書いたんだな」っていう見事な作文でも感動しなかったりするわけ。反対に、文章は全然ハチャメチャなんだけど、この子、ほんとに楽しかったんだろうなってみずみずしく伝わってくるのもある。それはやっぱり文章のテクニックを超えた、自分の内面の面白さとか自分の感動した部分っていうのを、言葉でちゃんと表現できているんだと思う。うまく表現しようということじゃなくていいと思いますよ。

三浦 上手下手は気にせず、とにかく見てほしいし、書くことにチャレンジしてほしいですね。

吉永 子どもなら、素直に書けばいいと思うの。たとえストーリーに感動しなくたって「このシーンに感動した!」でも「みんながこのシーンがいいと言ってたけどぼくは嫌いだ」でもいいと思う。

三浦 ほんとにね。

吉永 大人はいろいろ忖度しないといけないこともあるだろうけど、子どもなんだからもっと思い切り書きなよ、って思います。何の脈絡もなくても、そのシーンがなぜ良いと思ったんだろう、って自分に問いかけてみれば、例えばそれが小さいときの思い出に繋がっていたかもしれない。そういう楽しみ方でも、その映画はその子にとって大きなものになるよね。

三浦 ただ待っていてもいけないってことですね。

吉永 最近、コスパだタイパだと何でも省略してしまうけど、一枚描くのに一日考える、なんていう時間も大事なんじゃないかと思います。せっかく映画を観たり本を読んだりしたら、書き留めることによって、大人になっていくにつれていろんなものを持つことになるんじゃないのかな。気持ちを言葉に置き換える、その作業をすることで、ものの見方や読解力や感受性が育つ。他の人の発言を聞いて、「自分は全然そこには気がつかなかった」ということもあるんじゃないですか。それらがさまざまなことの気づきになるから。みんなで話し合ったり作文にしたりする時間こそが、若い世代には大事なんじゃないかなって思います。歳を重ねれば忙しくなって、そんな時間がなくなったとしても、自分の中にそういうマルチのチャンネルが育っているかもしれない。それをとても期待してます。

三浦 大事ですね。

吉永 そういえばずっと昔、子どもを連れて「ドラえもん」を見てたらわんわん泣き出しちゃった、「みんな笑ってるのに、何で泣いてるの?」って。忙しかったからついつい聞かずに連れて帰っちゃったけど、何がそんな悲しかったか、ちゃんと聞いてあげればよかったかなって今頃反省している大人の自分がいます(笑)

三浦 今、理由を聞いてみたらどうですか?

吉永 さすがにもう覚えてないでしょ! でも今度聞いてみようかな(笑)。

文・構成=高橋千秋 制作=キネマ旬報社

 

吉永みち子
ノンフィクション作家・一般社団法人映画倫理機構 映画倫理委員会副委員長。日本初の女性競馬新聞記者。『気がつけば騎手の女房』で第16回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。政府税制調査会、郵政行政審議会、外務省を変える会などの委員を歴任。                

—「次世代への映画推薦委員会」とは―
映倫*は、映画館で上映される映画の区分を指定する業務の他に、「次世代」を担う人たちに見てほしい映画を推薦しています。(ここでいう「次世代」とは、新しい未来を生み出す者、主に未成年と若者のことです)

*映倫(一般財団法人映画倫理機構)
表現の自由を護り、青少年の健全な育成を目的として映画界が自主的に設立した第三者機関。

<あらゆる世代に映画を楽しんでいただくために、映倫では4つの区分を設けています>
G : General Audience (すべての観客)の略号
PG:Parental Guidance(親の指導・助言)の略号
R : Restricted (観覧制限)の略号

 



—「映画感想文コンクール」誰かと体験を共有することの大切さ―


映画は、親子や兄弟、お友達などと同じ映画を同時に鑑賞しすることができます。
映画館から出てくる親子連れが「面白かったね」「泣いちゃったね」などと話している光景はよく見られます。それだけに当たり前の風景ですが、実はとても素敵なコミュニケーションなのではないかと思います。「どのシーンで泣いたのか」「何に感動して泣いたのか」「どこが面白かったのか」「印象に残った台詞は何か」など、感想を言い合う要素はたくさんあります。親子であれば、「あのシーンはこういう意味があるんだよ」「ああいうことができる主人公は勇気があるよね」という解説的なコミュニケーションもできるでしょう。体験を共有した誰かとコミュニケーションしながら感想をまとめていく。これが、映画を素材に感想文を書くことの第一の意義だと考えています。

「映画感想文コンクール2023」公式ホームページはこちら


 



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