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「地獄の銃火」のウィリアム・エリオットがアライド・アーチスツに移って名をワイルド・ビルと改めてからの作品(1952年作)で製作はヴィンセント・M・フェネリー。「カナダ平原」のジャック・デ・ウィットとジョセフ・ポーランド合作のオリジナル脚本をルイス・D・コリンズが監督した。撮影監督は「モヒカン族の最後(1934)」のアーネスト・ミラー、音楽はラウル・クローシァーの担当である。エリオットを助けてマイロン・ヒーリー、フィリス・コーテス、「無法地帯」のファジー・ナイト、アーサー・スペインらが出演する。
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「決闘の谷(1952)」のストーリー
北ダコタ、ファーゴの町が硝煙の匂いに明け暮れていた頃。無法な家畜業者がしかけた牛馬の大群の暴走で弟を失ったビル・マーティン(ワイルド・ビル・エリオット)は仇討のためファーゴにやって来た。穏健な家畜業者マッケンジーとその娘キャシー(フィリス・コーテス)に迎えられた彼は、到着早々町の酒場で乱暴者のレッドと殴り合いになりレッドをのばしてしまった。ビルは農耕地を荒らさずに家畜を保つには鉄条網の囲みをつくるのが最良と考え、気のいい老爺タッドの助力を得て鉄条網製造を始めた。悪辣家畜業者たちはこの仕事を妨害し、訴訟になったが彼らは敗訴した。悪の親玉オースティンはレッドたちに命じて鉄条網作業を襲撃させ、機械を破壊し、タッドを背後から撃ったが、気丈なタッドは傷をこらえて急をビルに告げた。ビルは直ちに作業所に駆けつけたが悪人どものワナにかかって捕らえられた。町の公会堂でダンス・パーティーが始まろうとしたとき、幕のかげから鉄条網の大包みが現れ、鉄線を切ると中から傷だらけのビルが出てきた。キャシーの看護で傷の回復したビルと町の人たちは鉄条網を巧みに利用して悪人一味を包囲し一斉に火ぶたを切った。不利と知った無頼漢どもは白旗を掲げて降参したが、ビルはレッドだけが見当たらぬのに気づき、岩をよじ登ってレッドを見つけ出した。レッドは降参したと見せて拳銃を発射したが、一瞬早くビルの拳銃はレッドを倒した。平和になったファーゴの町で、英雄ビルのかたわらにはキャシーの微笑があった。
「決闘の谷(1952)」のスペック
基本情報 | |
---|---|
ジャンル | ドラマ |
製作国 | アメリカ |
製作年 | 1952 |
公開年月日 | 1953年7月29日 |
製作会社 | アライド・アーチスツ映画 |
配給 | 日本アライド・アーチスツ映画会社=映配 |
レイティング | |
カラー/サイズ | モノクロ |
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