アンドレイ・タルコフスキー

  • 出身地:ソ連、モスクワ(現ロシア)
  • 生年月日:1932年4月4日
  • 没年月日:1986年12月28日

略歴 / Brief history

【深い精神性を探求した“ロシア”の名匠】モスクワ生まれ。父はウクライナの詩人として有名なアルセニー・タルコフスキー。学生時代に絵画、音楽を学ぶが、1954年に全ソ国立映画大学に入学。ミハエル・ロンムに師事し、後に同じく監督となるアンドレイ・コンチャロフスキーとも親交を結ぶ。卒業製作の短編「ローラーとバイオリン」(61)がニューヨーク国際学生映画コンクールで第1位に選ばれて注目され、ウラジミール・ボゴモーロフのベストセラー小説を原作とした「僕の村は戦場だった」(62)で長編デビュー。戦争に巻き込まれた少年の悲劇が、叙情的な回想シーンと戦場の激しい描写とのコントラストの中に鮮やかに描かれ、ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞。早くも国際的に注目されるようになった。続く「アンドレイ・ルブリョフ」はロシアの伝説的なイコン作家の生涯を描いた3時間に及ぶ歴史大作で、シナリオ執筆に2年、予算不足や検閲に悩まされながらも67年に完成。国内では“反愛国的”とされて5年間上映されなかったが、69年のカンヌ国際映画祭で上映され、国際映画批評家連盟賞を受賞した。72年にはポーランドのSF作家スタニスラフ・レムの原作を映画化した「惑星ソラリス」、自伝的な作品「鏡」(75)、SF映画「ストーカー」(79)と製作を続け、“水”や“火”といった自然現象、“夢”といったモチーフが独自の映像イメージを作り出す詩的スタイルを築き上げ、海外でますます高い評価を受けていった。その一方で、芸術家の自立性と表現の自由を求める姿勢はソヴィエトの検閲システムと衝突を繰り返し、国内での創作活動を断念せざるを得ない状況になっていく。【故郷に戻ることなく死去】83年にはイタリアで「ノスタルジア」を製作。外国に旅するロシア人の癒しがたい故郷へのノスタルジアを描いた。ロンドンでオペラの演出をした後、84年にソヴィエト当局からの帰国要請をはねつけて事実上の亡命を宣言。スウェーデンで製作した「サクリファイス」(86)は、地球最後の日をテーマに人類救済の祈りを詩的な映像に込めた深遠な作品で、同年のカンヌ国際映画祭で上映され審査員特別大賞、国際映画批評家連盟賞など史上初の4賞同時受賞を果たす。だが、タルコフスキーは撮影時に末期の胃ガンであることが判明して完成後に病床に伏す。海外での高い評価にも関わらず国内ではずっと不遇であったのが、晩年になって名誉回復の声明も出されていた矢先、故郷に戻ることもなく12月28日、パリで54歳で亡くなった。日本への関心は高く、「惑星ソラリス」の未来都市のイメージのために来日し、首都高速道路の光景を撮影している。『日記』『映像のポエジア』などの遺された著作からも、古くから俳句や日本映画に深い関心を抱き、黒澤明や溝口健二に傾倒していたことが伺える。実際に黒澤明とは「デルス・ウザーラ」の撮影で黒澤がソ連に行った際に歓待し、その後も長く親交を結んだ。

アンドレイ・タルコフスキーの関連作品 / Related Work

作品情報を見る

  • 虹のアルバム 僕は怒れる黄色’94

      制作年: 1994
      処女作「悪夢の香り」が77年のベルリン国際映画祭批評家賞を受賞し、一躍世界にその名を知られるようになったフィリピンの映画作家キドラット・タヒミックが、ドイツ人の妻との間に生まれた3人の子供たちの成長過程を追いながら、家族と国家、歴史を問い直すドキュメンタリー。81年から撮影を始め、86年より「僕は怒れる黄色」のタイトルで上映され、上映の度ごとに新たな撮影部分を加え、再編集している作品の94年版(監督は“終わりのないドキュメンタリー”と呼んでいる)。資材の欠乏や恒常的な停電といった困難にもめげず、天分のユーモアと創造力で製作を続ける監督の姿勢が感動を呼ぶ。製作・監督・脚本はキドラット・タヒミック、撮影はタヒミック、ロベルト・イニゲスほか、音楽はボーイ・ガロヴィロとシャント・ヴェルドゥン。ナレーションは監督の長男のキドラット・ゴッドリーブが担当。アンドレイ・タルコフスキー、小川紳介といった映画作家たちも登場する。日本公開に当たり、一般公開に先立って監督のパフォーマンス付きの全国巡回上映が行われた。第一部『とるにたらない緑』では、ジョン・フォードが「駅馬車」で舞台としたモニュメント・バレーで、子供たちが監督と“第三世界”について対話する場面から始まる。そして母親の故郷であるドイツ、映画祭で訪れたアメリカから日本への旅行記がつづられる。第2部『怒れる黄色』は、黄色を反独裁者運動のシンボルとした政治プロテストの渦中にある子供たちを記録。第3部『好奇心の強いピンク』は、マルコス政権の独裁統治終了後の矛盾を扱う。第4部『惨たんたる灰色』は、火山の爆発・台風の襲来などの天災に見舞われ、政治的にもますます矛盾を露呈していくアキノ政権といった、苦難と絶望感の濃い80年代の社会情勢をとらえる。この後さらに、『植民地色の赤、白、青』『調和のとれないディズニー色』『インディオ先住民の茶色』と続き、フィリピンの先住民族イゴロト族の豊かな文化と精神に接し、失われた大陸レムリアへ思いを馳せ、映画は増殖していく。
    • サクリファイス(1986)

      制作年: 1986
      言葉を話せなかった少年が話せるようになるまでの1日を、その少年の父の行動を通して描く。製作はカティンカ・ファラゴー、エグゼキュティヴ・プロデューサーは、アンナ・レーナ・ウィボム、監督・脚本は「ノスタルジア」のアンドレイ・タルコフスキーで、これが彼の遺作(86年死去)となった。撮影はスヴェン・ニクヴィスト、音楽はJ・S・バッハ(マタイ受難曲BWV244第47曲)他スウェーデン民族音楽と海音道宗祖の法竹音楽 、美術はアンナ・アスプ、編集はタルコフスキーとミハウ・レシチロフスキーが担当。出演はエルランド・ヨセフソン、スーザン・フリートウッドほか。
    • ノスタルジア(1983)

      制作年: 1983
      自殺したあるロシア人の音楽家の足跡を追って旅を続ける詩人の愛と苦悩を描く。エグゼキュティヴ・プロデューサーは、レンツォ・ロッセリーニとマノロ・ボロニーニ。監督・脚本は「アンドレイ・ルブリョフ」「鏡」「ストーカー」のアンドレイ・タルコフスキー、共同脚本は「エボリ」「サン★ロレンツォの夜」のトニーノ・グエッラ、撮影はジュゼッぺ・ランチ、べートーヴェンの〈交響曲第9番〉、ジュゼッペ・ヴェルディの〈レクイエム〉他の音楽を使用し、マッシモ&ルチアーノ・アンゼロッティが音響効果を担当。美術はアンドレア・クリザンティ、編集はエルミニア・マラーニとアメデオ・サルファ、衣裳をリーナ・ネルリ・タヴィアーニ、メイク・アップをジュリオ・マストラントニオが担当。出演はオレーグ・ヤンコフスキー、エルランド・ヨセフソン、ドミツィアーナ・ジョルダーノ、パトリツィア・テレーノ、ラウラ・デ・マルキ、デリア・ボッカルド、ミレナ・ヴコティッチなど。2024年1月26日から『ノスタルジア 4K修復版』が劇場上映(配給:ザジフィルムズ)。
      85
    • ストーカー(1979)

      制作年: 1979
      ある小国を舞台に不可思議な立入禁止の地域である“ゾーン”に踏み込んだ三人の男たちの心理を描くSF映画。監督・美術は「鏡」のアンドレイ・タルコフスキー。アルカージーとボリスのストルガツキー兄弟の原作「路傍のピクニック」を基に彼ら自身が脚色。撮影はアレクサンドル・クニャジンスキー。音楽はエドゥアルド・アルテミエフが各々担当。出演はアレクサンドル・カイダノフスキー、アリーサ・フレインドリフ、アナトリー・ソロニーツィン、ニコライ・グリニコなど。
      94
    • 制作年: 1975
      スペイン戦争、第2次世界大戦、中ソ国境紛争などの記録フィルムを挿入しながら、主人公の母に対する愛慕、別れた妻と息子の関係を過去と現実を交錯させながら描く。監督は「惑星ソラリス」のアンドレイ・タルコフスキー、脚本はアレクサンドル・ミシャーリンとアンドレイ・タルコフスキー、撮影はゲオルギー・レルべルグ、音楽はエドゥアルド・アルテミエフ、美術はニコライ・ドヴィグブスキー、ナレーターはインノケンティ・スモクトゥノフスキーが各々担当。出演はマルガリータ・テレホワ、オレーグ・ヤンコフスキー、イグナート・ダニルツェフ、フィリップ・ヤンコフスキー、アナトリー・ソロニーツィン、ニコライ・グリニコなど。
    • 惑星ソラリス

      制作年: 1972
      広い宇宙にはさまざまの生命形態がある。惑星ソラリスも星自体が一つの生命体であり、この異質の生命体と初めて接触した一人類を描く、ファースト・コンタクト・テーマのSF作品。72年カンヌ映画祭審査員特別賞受賞、国際エヴァンジェリー映画センター賞受賞作品。監督は「僕の村は戦場だった」のアンドレイ・タルコフスキー、脚本はフリードリフ・ゴレンシュテインとアンドレイ・タルコフスキーの共同、原作はスタニスラフ・レム(「ソラリスの陽のもとに」早川書房刊)、撮影はワジーム・ユーソフ、音楽はエドゥアルド・アルテミエフが各々担当。出演はナターリヤ・ボンダルチュク、ドナタス・バニオニス、ユーリー・ヤルヴェト、ウラジスラフ・ドヴォルジェツキー、アナトリー・ソロニーツィンなど。