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  • 敵こそ、我が友 戦犯クラウス・バルビーの3つの人生

    制作年: 2007
    元ナチスで、アメリカ陸軍情報部のスパイ活動を経て南米に渡り、チェ・ゲバラ殺害にも関与していたクラウス・バルビーの人生を通して、戦後史の裏側を描くドキュメンタリー。監督は「ラストキング・オブ・スコットランド」のケヴィン・マクドナルド。トロント国際映画祭、サン・セバスチャン国際映画祭正式出品作品。1913年10月25日ドイツに生まれたクラウス・バルビーは、1987年にフランスで“人道に対する罪”で終身刑を宣告されるまでに“3つの人生”を生きた。1つ目は、“リヨンの虐殺者”と言われたゲシュタポとしての人生。彼は22歳でナチス親衛隊に入隊。そして1942年11月リヨンで、政治犯を取り締まる親衛隊保安部第4課、いわゆるゲシュタポの責任者となる。1943年6月21日、全国抵抗評議会の創設者であるジャン・ムーランを逮捕。1944年の晩夏、リヨンからドイツに逃亡し、家族と合流する。2つ目は、アメリカ陸軍情報部(CIC)のスパイ活動を行うエージェントとしての人生。1947年、バルビーはCICに入隊し、反共産運動専門の工作員としてアメリカの庇護を受ける。しかし1948年に、フランス警察から事情聴取を受ける。その後もフランスはCICへバルビーの身柄の受け渡しを要求する。そのため、CICはバルビーを南米に亡命させる。そのとき重要な役割を果たしたのは、バチカン右派でクロアチアの戦犯でもあるドラガノヴィッチ神父だった。1951年3月、バルビーと家族は、北イタリア・ジェノヴァからボリビアに向けて出発した。そしてボリビアに到着したバルビーは、“クラウス・アルトマン”と名乗り、3つ目の人生を生きる。彼は製材所を営みながら、ボリビアの有力者と密接な関係にある在ボリビア元ドイツ人将校たちと交流を持つ。そして武器の輸出入に手を染め、ゲリラ封じの方法を伝授して、軍事政権の誕生を陰で支えた。1967年、政府軍の襲撃を受け処刑されたチェ・ゲバラの暗殺計画も、彼によるものである。

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