夢半ばの映画専門家レビュー一覧

夢半ば

俳優としても活動し、「1 人のダンス」「追い風」など、勢力的に映画製作を続ける安楽涼監督による長編第三作。自身の人生を映画にしてきた安楽が、30 歳になる前日に脚本を書きあげ、これまでの創作の過程で出会った仲間たちや分かち合った喜びと向き合いながら制作した。主人公の安楽を自ら演じたほか、「1人のダンス」「追い風」に出演してきた大須みづほが恋人のみちこを演じた。
  • 映画・音楽ジャーナリスト

    宇野維正

    20代の若者が映画作りをテーマにして、半径5メートルの同棲相手との関係や仲間の肖像を、自分で脚本を書き、主役を演じて、フィックス長回しの画をひたすら繋いで135分の映画にする。タイトルは「夢半ば」。作中で準備中の作品のタイトルは「まだ行ける」。本当に不思議に思うのは、どうして他人がそこまで「自分」に興味を持ってくれると信じられるのだろう。仲間に観せるための映画ならばわかる。しかし、この主人公は自分が映画で「食えてない」ことを繰り返し嘆くのだ。

  • 映画評論家

    北川れい子

    長い。長過ぎる。いくら夢半ば、焦らず、めげず、諦めず、がモットーだとしても、冗漫な場面が多すぎる。映画が撮れない、何を撮ったらいいのかわからないという、自分の人生をまんま映画に仕立てた安楽涼の監督、脚本、主演のプライベートフィルム。町を延々と歩いたり、彼女や友人とのとりとめのないお喋りなど、確かに当人の日常なのだろうが、現実に対してはほとんど受け身で仲間たちも然り。そんな自分たちを肯定し、そっくり映画にしてしまうとは、安楽涼、かなりしたたかだ。

  • 映画文筆系フリーライター。退役映写技師

    千浦僚

    かつて聞いた脚本執筆の訓練法・書き出すための呼び水、というので日常をずっと全部書き出していくというのがあった。起き出して家を出て歩いて、を全部書いてみろと。それとは違うかもしれないが、日常を見据え、どんどん撮影回すことから始める可能性を本作に感じた。とりとめなさを補って余りあるリアルさや、歩いてゆく人物(監督自身)の背を追う画に乗る自意識、そのやむにやまれずやってる感は好きだ。この漂いはいずれ凝縮して発光する恒星となるのではないか。

1 - 3件表示/全3件