郊外の鳥たちの映画専門家レビュー一覧

郊外の鳥たち

1980年~90年代に生まれた中国第8世代の新たなる才能、チウ・ションの長編デビュー作。地盤沈下のために「鬼城」(ゴーストタウン)となった中国地方都市に、原因究明の地質踏査に訪れた青年ハオは、廃校となった小学校の机の中から、自分と同じ名前の男の子の日記を見つける。やがて、二つの物語は複雑に絡み合い、ハオの測量機、少年たちの双眼鏡を通して、廃墟の街と暮らしの場所、現在と過去が交差する。2018年度ロカルノ国際映画祭オフィシャルセレクション、2019年度サンフランシスコ国際映画祭審査員特別賞などを受賞。
  • 映画監督/脚本家

    いまおかしんじ

    男がホテルの部屋に帰ってくる。そこに電話がかかってくる。次のシーンはもう半裸の女とベッドの中にいる。何が起こるかわからないワクワクに満ちている。小学校に忍び込み机の中のノートを見る。いきなり子どもたちの話になる。とにかくみんな異常に生き生きしている。枝をつないで鳥の巣を突く。いちゃついたり抱き合ったりの描写が素晴らしい。子どもたちは小さな旅に出る。一人ずついなくなっていく寂しい感じ。夕暮れの河原で女の子が立ち尽くす。その後ろ姿の美しいこと。

  • 文筆家/俳優

    睡蓮みどり

    始まりからずっと、この映画が好きだなぁとしみじみ感じ、それが無理なく続いていく。どのシーンも言葉にし難いのだが、さざ波が押し寄せるように胸を震えさせ、きゅっと熱くさせる。記憶としての映像が入り混じり、におい立つ木々の香りと鳥の声を感じる。とてもノスタルジックなこの感じ。夢を見ているような、そして終わってしまうことを知っているような寂しさが少しだけ残る。あの子たちは確かにそこにいたのだ。チウ・ション監督の名前を胸に刻みつけた。紛れもない大傑作!

  • 映画批評家、都立大助教

    須藤健太郎

    18年製作の本作と清原惟「わたしたちの家」(17)の同時代性。しかしチウ・ションの場合、別世界との交通を可能にするのは「家」(空間を保証するもの)ではなく、空間の歪みをもたらす「地盤沈下」が始まりにあり、むしろ家の解体こそが主題となる。だから、監督がズームの使用をホン・サンスの影響だとか、測量機の模倣というのは照れ隠しなのだろう。ここでのズームは空間の歪みを視覚化する便宜的な技法だからだ。なお、劇中の謎々の答えは私にはわからずじまいだった。

1 - 3件表示/全3件