アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督〈自己検閲〉版の映画専門家レビュー一覧

アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督〈自己検閲〉版

「アーフェリム!」のラドゥ・ジューデが監督、コロナ禍を背景に偏見や個と公などについて問いかけ、第 71 回ベルリン国際映画祭金熊賞に輝いた三部仕立てのブラックコメディ特別版。名門校の教師エミは夫とのセックスビデオが流出してしまい、非難される。第一部ではエミが歩き回る姿を追いながらコロナ禍の人々や街の顔を捉え、第二部では膨大なアーカイブ映像やコラージュ、格言やジョークを挙げ、第三部では保護者たちによる異端審問さながらの終わりなき“裁判”の模様を描く。監督〈自己検閲〉版にはぼかしやカットが追加され、ウィットに富んだメッセージが映し出される。オリジナル版は第94回アカデミー賞国際長編映画賞ルーマニア代表作品に選出され、イメージフォーラム・フェスティバル 2021にて特別上映された。
  • 映画監督/脚本家

    いまおかしんじ

    冒頭からびっくりする。監督の自己検閲版とはいえ、ふざけすぎやろ。実験精神あり。野外ロケでみんなマスクしていて、コロナ禍の話だとわかる。街の看板とかやたら撮っていて、今なんだなあと実感する。主人公の女の人が、みんなに責められる話し合いのシーンがじりじりして仕方なかった。みんなホント意地悪で嫌な気分になる。彼女が応戦するとこでホッとした。人を食ったようなふてぶてしい演出は、不快なんだけど笑っちゃうとこもあって、やっぱ真面目より不真面目と思う。

  • 文筆家/女優

    唾蓮みどり

    第1部の風船のようなカメラの動きに誘われて、どこに連れていかれるのか戸惑いながらも、興味をそそられる。主人公エミが街をひたすら歩いている姿は、そのうち画面を超えてこちらに出てくるのではという奇妙な錯覚に陥る。第2部では言葉の羅列が繰り広げられ、言葉と言葉をつなぎ頭の中で編集する作業を観客に委ねてくる。第3部でエミは好奇の視線、暴言の渦中にいて身動きができない。観客の視線や感覚を常に刺激し挑んできている。この映画の根底にあるのは怒りなのだろう。

  • 映画批評家、東京都立大助教

    須藤健太郎

    コロナ禍に生まれた造語の一つ「ソーシャル・ディスタンス」、示唆に富む言葉だ。コロナ禍が多くの人にとって社会を再考する契機になったのは、社会との間に「距離」が生まれたからだ。社会を、革命を、戦争を、歴史を、モラルを問い直すべく、ラドゥ・ジューデはそんな距離を生み出す力をポルノに求めた。オーラルセックスを隠す〈自己検閲〉はあたかも現在の日常に必須となったマスクか。要するに、これはブレヒトである。第2部はさながら「戦争案内」のパロディの赴きだろう。

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