クライ・マッチョの映画専門家レビュー一覧
クライ・マッチョ
クリント・イーストウッド監督デビュー50周年記念作品。テキサスで孤独に生きるロデオ界スターだったマイクは、元雇い主に「別れた妻から息子ラフォを取り戻してほしい」と頼まれ、メキシコへ。荒れた生活を送るラフォを見つけたマイクは、共に米国を目指すが。主演のイーストウッドと共演するラフォ役に大抜擢されたのは、メキシコの新星エドゥアルド・ミネット。
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映画評論家
上島春彦
このところ出向して演出やりました、みたいな印象が強かった監督イーストウッドだが、これは製作マルパソ&ワーナーで、という最も「いかにも」なパターン。ただしアクション主体じゃなく、そっちは雄鶏に任せるというスタンス。マッチョとは一緒に旅をする鶏の名である。「運び屋」と「グラン・トリノ」は「リフレッシュされる車」の映画だったが、これはむしろ「乗り潰され、廃棄される車」が印象深い。そこには彼なりに老いの諦念もあるのだが基底には越境の楽天性があり、嬉しい。
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映画執筆家
児玉美月
タイトルをダブルミーニングにし、イーストウッドがこれまで向かい合い続けてきた「マッチョさ」を更新させた一本。フィルモグラフィで言えば「グラン・トリノ」や「運び屋」あたりの系譜上に位置付けられるだろうが、それらと比較してしまうとどうしても劣って見える。とくに「マディソン郡の橋」でイーストウッドが晒した弱さと老いぼれた自身の姿は忘れがたく、そんな彼だからこそ撮れる作品ではあるだろうが、ユートピア的な向きが強いので次作はまた異なる趣向で撮ってほしい。
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映画監督
宮崎大祐
いつも通り最高だったよというのでは芸がない。シナリオも粗いにもほどがあり、演出も苦笑せざるを得ない箇所ばかりだ。なんだあの亡霊のような国境の父は。だから今回も考えていた、サボテンをかじりハイウェイに打ち捨てるこの好色男がイーストウッドでなかったらどうなのだろう。しかしイーストウッドがいなければこの映画は存在しなかったはずで、それどころかイーストウッドがヨロヨロと歩むその世界にこそ映画なるものはまだ存在し、どこまでも広がっていくのだと再認し降参。
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