リトル・ガールの映画専門家レビュー一覧

リトル・ガール

    幼少期のトランス・アイデンティティに対する認知と受容をめぐるドキュメンタリー。男の子の身体に生まれたが、女の子になることを夢みている7歳のサシャ。社会の壁に阻まれながらも、家族の力を借りて、サシャが本当の幸せを手にするための戦いを描く。監督はジェンダーやセクシュアリティに目を向けた作品を撮り続け、カンヌやベルリンをはじめ世界中の映画祭で評価されているセバスチャン・リフシッツ。性と身体の不一致は肉体が成長する思春期に起こるのではなく、幼少期で自覚されることについて取材を始めていた過程で、サシャの母親カリーヌと出会い本作が生まれた。2020 年ベルリン国際映画祭で上映後、モントリオール国際ドキュメンタリー映画祭のピープルズ・チョイス賞やインサイド・アウトLGBT映画祭の観客賞(ドキュメンタリー長編)など、世界中で様々な映画賞を受賞している。
    • 映画評論家

      上島春彦

      自らの社会的な性別に違和感を覚える所謂トランスジェンダーと呼ばれる人々は少なからず存在する。だが、この映画の新機軸は、彼女ら本人のその自覚はこれまで考えられてきたよりも時期的にずっと早いのではないか、という点への注視にある。自分を女の子として遇してもらいたい、という主人公と、その願いを学校という場で叶えようとする家族の奮闘を描く。学校側が頑なでなかなか上手くいかない展開だが、一方の当事者である教育関係者が取材拒否したのか、誰も現れない。

    • 映画執筆家

      児玉美月

      リフシッツの審美的な映像はトランスの少女サシャの置かれた苦境にすぐさま観客を共感と同情を持っていざなっていく。多くの者はサシャのような子供を拒絶する学校側を敵対視し、不寛容な社会を悪とし、無知な自己を内省するかもしれない。しかしこの映画の果たすそんな功績の全てが、まだ成人に満たない性的少数者のサシャが映画の名のもとで未知数のリスクに曝されて初めて成り立つ事実を決して軽んじるべきではないだろう。寧ろここでは観客側の受容の態度こそが問われている。

    • 映画監督

      宮崎大祐

      まるでコマーシャルのような美しく決まった映像にさまざまな扇情的な音楽が重なり、トランス・アイデンティティを持つ7歳児サシャが現在の世界で生きることの困難と救済についてサシャの母カリーヌが語り尽くす。わたしたちがいつの間にか与えられる性別や名前、国籍といった烙印に一度も違和感を抱いたことがない方は是非とも本作を見てその暴力性についてご一考いただきたい。そう、あなたはあくまであなたであって、男でも女でも田中でも山田でもなに人でもないはずだ。

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