シャンタル・アケルマンの代表作が、ザ・シネマ(CS)、ザ・シネマメンバーズ(ミニシアター系作品のサブスク配信)にて、この2月に放映される。アケルマン作品中、もっとも強い強度に縁取られたこの作品は、孤高の輝きを放ち続けている。

 

1980年代、ぼくたちはシャンタル・アケルマンを知った

シャンタル・アケルマンの作品を、ぼくたちが最初に目にしたのは『ゴールデン・エイティーズ』(1986)だった。

カラフルでポップなミュージカルは、1980年代末の空気のなかに躍動し、ひと息にシャンタル・アケルマンという名前が刻まれていった。続く『アメリカン・ストーリーズ』(1988)は辛口の社会批評を湛えていたが、『カウンチ・イン・ニューヨーク』(1996)でふたたび時代の感性を画面にさらりと掬いとってみせる。だからぼくたちは、彼女の作品にどこかお洒落でコスモポリットな触感を得ていたのだった。

軽やかに辛辣に世界を私的な感覚をもってまなざし撮っていたアケルマン作品について、やがて彼女の1970年代の作品との出合いを通して、ぼくたちは知る。ぼくたちはまだ、アケルマン映画のおもしろさをすべて知っていたわけではなかったことを。シネクラブでの上映で、そして昨年の「シャンタル・アケルマン映画祭」でようやく明らかになっていったアケルマン作品の真髄。なかでもその中心にあるのが、『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル 1080 コメルス河畔通り 23番地』(以下、『ジャンヌ・ディエルマン』と略す)だ。

 

正確に再構築されたひとりの主婦の日常

そのファースト・シーン:
スモーキーなブルーのスモックの下にブルーのカーディガンを羽織った女性がキッチンで料理をしている。そこに来客。彼女は客の相手をしたあと、先ほどのキッチンに戻ってくる。その間のことは、画面がフェイドし、なんら告げられることはない。

フェイド・イン/アウトによってシーンはつながれているが、その黒味のあいだを推測させるようなものは示されない。がしかし、そこで行われていることはすべて、ごく平凡な日常でしかないのは、仕草が、そして行為が繰り返されてゆくたびに確信される。

アケルマンのカメラは、正確に日常をたどってゆくひとりの主婦(平凡と言ってしまっては演じるデルフィーヌ・セイリグに失礼かもしれない。が、彼女はどこにでもいるような主婦のひとりを表象しているにすぎない)のたたずまいと仕草を見つめ続ける。それが、この映画のすべてなのだ。

といって、本作がいわゆる観察映画ではない……ということにも気をつけよう。明確な意図をもってカットが割られ、デクパージュが完成されてゆく。アケルマンは、正確無比の演出によって、ひとりの主婦の日常を再構築しているのだ。彼女の意図は、ぼくたち見る者に、文字どおり日常を見せること。そのため、ショットはほぼ真正面から撮られ、対象に向き合うことをぼくたちに要請する。

そうやって紡ぎ出されてゆく映像は、ごくごくありきたりなものであり、その反復のなかに平凡な主婦の日常が積み重ねられてゆく──彼女の息子とのふたりきりの夕御飯、食後には「エリーゼのために」が流れ、編み物をする彼女、買い物に出かけ、街を歩き、料理をする彼女……。同じ日常が、フェイド・イン/アウトによって区切られ、しかし、その黒味のなかに、日常ならざるものが忍び込んでいることに、ぼくたちは気づかざるを得ない……。

そして日常のふと歪んだ折目から、なにか常ならぬものがぼくたちをとらえてしまう。そのとき、なにかが壊れ、なにかがぼくたちを打ちのめす。恐るべし、シャンタル・アケルマン映画。この慄きを全身で受けとめるべし。

 

文=杉原賢彦 制作=キネマ旬報社

 

 
「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」

作品概要:
ジャンヌは思春期の息子と共にブリュッセルのアパートで暮らしている。湯を沸かし、ジャガイモの皮を剥き、買い物に出かけ、“平凡な”暮らしを続けているジャンヌだったが……。アパートの部屋に定点観測のごとく設置されたカメラによって映し出される反復する日常。その執拗なまでの描写は我々に時間の経過を体感させ、反日常の訪れを予感させる恐ろしい空間を作り出す。主婦のフラストレーションとディティールを汲み取った傑作。ジャンヌを演じるのは『去年マリエンバートで』(61)『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(72)のデルフィーヌ・セイリグ。

シャンタル・アケルマン Chantal Akerman
1950年6月6日、ベルギーのブリュッセルに生まれる。両親は二人ともユダヤ人で、母方の祖父母はポーランドの強制収容所で死去。母親は生き残ったのだという。女性でありユダヤ人でありバイセクシャルでもあったアケルマンは15歳の時にジャン=リュック・ゴダールの『気狂いピエロ』を観たことをきっかけに映画の道を志し、18歳の時に自ら主演を務めた短編『街をぶっ飛ばせ』(68)を初監督。その後ニューヨークにわたり、『部屋』(72)や初めての長編『ホテル・モンタレー』(72)などを手掛ける。ベルギーに戻って撮った『私、あなた、彼、彼女』(74)は批評家の間で高い評価を得た。25歳のときに平凡な主婦の日常を描いた3時間を超える『ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地 ジャンヌ・ディエルマン』を発表、世界中に衝撃を与える。その後もミュージカル・コメディ『ゴールデン・エイティーズ』(86)や『囚われの女』(99)、『オルメイヤーの阿房宮』(2011)などの文芸作、『東から』(93)、『南』(99)、『向こう側から』(2002)といったドキュメンタリーなど、ジャンル、形式にこだわらず数々の意欲作を世に放つ。母親との対話を中心としたドキュメンタリー『No Home Movie』(2015)を編集中に母が逝去。同作完成後の2015年10月、パリで自ら命を絶った。

●2月よりザ・シネマメンバーズ(ミニシアター系作品のサブスク配信)、ザ・シネマ(CS)にて

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●監督・脚本:シャンタル・アケルマン 撮影:バベット・マンゴルト
●出演:デルフィーヌ・セイリグ、ジャン・ドゥコルト、ジャック・ドニオル=ヴァルクローズ

●1975年/ベルギー・フランス/カラー/202分
© Chantal Akerman Foundation

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