第48回城戸賞準入賞作品シナリオ「ひび」全掲載

1974年12月1日「映画の日」に制定され、第48回目を迎えた優れた映画脚本を表彰する城戸(きど)賞。本年度は、対象359作品から準入賞に「ひび」と「ぼくたちの青空」の2作品が選ばれました。

35歳、失恋して心が“ひびだらけ”の浅沼深子。一度ひび割れた心は果たして修復できるのか? 「ひび」のシナリオ全文を掲載いたします。

タイトル「ひび」竹上雄介


あらすじ

 浅沼深子。35歳。恋人に捨てられてから全てが億劫だ。着替えるのも、髪をとかすのも、部屋を片付けるのも。ボサボサ髪で街を歩き回り、スーパーの値引き商品を漁り、ケガで飛べない鳥にエサをやる。フラれてからの3年間、心を閉ざし、喜怒哀楽を忘れ、生きる楽しみを失った女は、ひび割れた心をなんとか保ちながら過ごしている。
 そんな時、隣の部屋に蟻田陽平(45)が引っ越してくる。手土産を持って挨拶してくるなり、怒濤の質問攻めで深子の世界にズケズケと侵入。深子の心はさらにひび割れていく。
 ある夜、深子はカギをなくして立ち往生する蟻田に遭遇。自分の部屋へ入れてあげるも、部屋を漁られる。すると元カレから届いた結婚式の招待状が出てくる。一週間後に迫った元カレの結婚式。深子は恋の終止符を打つべく、出席で返事をしていた。しかしやっぱり行けない。その現実を目の当たりにしたら、自分が壊れてしまいそうで。
 そんな深子に対し、無神経に質問攻めを繰り返す蟻田。深子は否応無しに人生を振り返る羽目になる。悲しくなり、怒りも募り、なんだか笑ってしまうことも。深子は蟻田に振り回されるうちに、感情を吐き出すようになる。
 その最中、蟻田が「見れば嫌なことから解放される」という怪しげなソフトを売りつけていることを知る。蟻田が深子に近付いたのも、それを買わせるためだった。嫌なことだらけの深子はつい買ってしまう。しかしソフトに映っていたのは、ただただ蟻田が物を破壊する映像であり、気持ちが晴れるわけではない。深子は蟻田に文句を言うも、「あんたみたいに自分で壊せない人の代わりにやっている」と言い返されてしまう。
 迎えた元カレの結婚式当日。深子は、ケガしていた鳥が懸命に空を飛ぼうとする姿を見る。アタシはこのままでいいのだろうか……。
 人は誰でも簡単に心にひびが入ってしまう。しかしそれを壊さないように耐え忍ぶのではなく、時には感情を吐き出して、気持ちをリセットし、再出発すればいい。
 深子は、ひびだらけの自分をぶっ壊すべく、結婚式場へと走り出した。

 


◆登場人物

浅沼 深子 (35) フリーター
蟻田 陽平 (45) 隣人

佐野 匠  (9) 小学3年生
徳永 美海 (27) エステティシャン、俊介の妻
乾 一郎  (40) スーパーの店長

桜 いちご (9) 小学3年生、匠の元クラスメート
リリカ   (20) スーパーのバイト

徳永 俊介 (32) 深子の元カレ

いちごの父
いちごの母
リリカの彼氏
エステの女店長
警察官
住人の女
タクシー運転手

○アパート・201号室
   昼下がり。
   脱ぎ捨てられた服やスーパーの袋で散らかった部屋。
   カーテンの隙間から差し込む光が、布団で寝ている女の背中を寂しく照らしている。
   すると外からピーッピーッと車のバック音。耳障りな人の声。ガタンガタンとうるさい作業音が響き始める。
   ようやくその背中がもぞもぞと動く。
   髪をくしゃくしゃに掻き乱す。
   はぁーあと大きなあくびをする。
   その女、浅沼深子(35)。
   ×   ×   ×
   隣の部屋からドンドンと物を運ぶ音がする中、薄汚いスウェット姿で部屋を物色している深子。   
   床に捨てられたレジ袋から、真っ黒になったバナナを見つける。
深子「(見て)……」
   と、スマホのバイブ音。
   美容院からのクーポン情報が待ち受け画面に表示されている。
   その待ち受け画面には深子と男(俊介)のプリクラ写真。
   『2019・1・21』と昔の日付け。
   『ミコ』『シュンスケ』の名前がハートマークで囲まれている。
   そこに写っている笑顔の深子。

○スーパーマーケット・外観
   住宅街にある小さなスーパー。
   入っていく深子。
   ボサボサ髪。スウェット姿のままで。

○同・中
   深子、安売りコーナーを物色中。
   カゴの中には値引きシールが貼られた賞味期限ギリギリの食べ物たち。
   ウロウロと漁り続ける深子。
   やる気なくレジに立つリリカ(20)が蔑んだ目で見ている。
   と、奥から小太りの店長・乾一郎(40)がやってきて、
乾「深子ちゃん……いいのあった?」
   深子、カゴの中から黒くなりかけたバナナを掴む……が、弁当コーナーに積み上がった焼肉弁当が視界に入り、
深子「……焼肉弁当」
乾「そ、今日からまた発売開始」
深子「……いくらですか」
乾「英世ちゃんだったかなぁ」
深子「……余ったらこん中に入りますか?」
乾「売り切れると思うけどねぇ……(耳打ちして)けど、サービスしてくれんなら取っておくよ?」
深子「……サービス?」
乾「ちょちょいのペロッって」
   乾、ニンマリと笑う。

○川沿いの土手
   深子、岩の下を覗き込んでいる。
深子「ご飯だぞ……シュンスケ」
   そこにいたのはセキセイインコ。
   元気がないのか、その場から動かない。
   深子、黒いバナナを小さくちぎって、
深子「食べれるか、ほれ、ほれ……」
   が、じっと座ったままのインコ。
   すると、ほかの鳥たちが深子目がけて飛んでくる。
   あっという間に囲まれる。
   頭をつつかれ、さらにはバナナも奪われる。
深子「ちょっ……シュンスケの……返して、返してよ……」

○アパート・前
   さらにボサボサ髪になった深子、アパートへ戻ってくる。
深子「(ちらっと見て)……?」
   駐車場にとまっている薄い黄色の車。

○同・201号室~玄関
   寝転がっている深子、スマホの待ち受け画面を見ている。
   深子と俊介のプリクラ写真。
   ハートマークを指でなぞってみる。
   何度も何度もなぞってみる。
   と、インターホンの音。
深子「……」
   さらにインターホンが連打される。
深子「……シュンスケ?」
   深子、玄関へ急ぎ、ドアを開ける。
深子「シュンスケ!」
   しかし立っていたのは蟻田陽平(45)。
   薄らヒゲの生えた不潔感が漂うおじさん。
蟻田「どうも、隣に越してきた蟻田っす」
深子「……」
蟻田「仲良くしましょうね」
   シシシッと笑う蟻田。
   顔が引きつる深子。ちょっと苦手なタイプだ。
蟻田「あ、これどうぞッ」
   蟻田、白い箱を見せる。
深子「……なんですか」
蟻田「まぁまぁまぁ開けてみなはれ」
深子「いやぁ……」
蟻田「遠慮しない遠慮しない。開けて結構、コケコッコ〜」
   そう言って自分で箱を開ける蟻田。
   入っていたのは大きなバームクーヘン。
蟻田「この前結婚式行ったんすよ、友達の。そしたら引き出物がこれ。でもボクってバームクーヘン嫌いじゃないっすか? だからプレゼントフォーユーっす」
   シシシッと笑う蟻田。
    さらに顔が引きつる深子。やっぱり生理的に無理だ。
蟻田「あれれバームクーヘン嫌いでした?」
深子「あ、いや……」
蟻田「どこが嫌いっすか? 色? 食感?」
深子「いや、嫌いとかではなく……」
蟻田「ボクはあの形っす」
深子「……形」
蟻田「ボクって数学得意じゃないっすか?」
深子「……知らないです」
蟻田「なのに間違えたんすよ、高校受験で。大きい円柱から小さい円柱をくり抜いた図形の体積を求める問題」
深子「……はい」
蟻田「それで志望校に落ちちゃって……それ以来、バームクーヘンの形を見ると身体にイボイボが」
深子「……そうですか」
蟻田「でも女の人でバームクーヘン嫌いなんて珍しいっすね」
深子「……別に嫌いってわけじゃ」
蟻田「え、嫌いじゃないんすか? え、どっちっすか、どっちっすかもうッ!」
深子「……嫌いです」
   深子、ドアを閉める。
     ×   ×   ×
   敷きっぱなしの布団に寝転がっている深子、相変わらずスマホの待ち受け画面を見ている。
   SNSを開く。
   慣れた手つきで『徳永俊介』と検索。
   俊介がアップした写真一つ一つに目を通す……と、俊介と女(美海)が焼肉デートに行った写真が一枚。
   写真を拡大し、女をくまなくチェック。
   露出多めの服、オシャレな巻き髪、可愛い笑顔……そして肉を持ち上げる女の指には結婚指輪が。
深子「(指輪を見て)……」
   しかし身体は肉に反応。
   お腹がグーッと鳴る。
   ハァと溜め息をついてスマホを放る。
   と、放った先、誰かと目が合う。
   散らかったタオルの下から、野口英世がこっちを見ていた。

○スーパーマーケット・中
   千円札を握り締めた深子、早足で弁当コーナーへ。
   焼肉弁当がラスト一個残っている。
深子「(小さく頷き)……」
   さらに早足で近付き、見事ゲット。
   嬉しそうに小さく笑う。
   が、隣にいた男の子・佐野匠(9)と目が合う。
匠「オラの焼肉弁当」
深子「え……」
   途端に泣き始めた匠。
   それを見ていた品出し中のリリカ。
リリカ「譲ったら」
深子「でも……アタシが先に」
リリカ「泣いてんじゃん」
深子「……」
   深子、仕方なく弁当を匠の胸へ。
匠「(泣きながら)……いいの?」 
   深子、頷いたような、いないような。
   しかし匠、弁当を受け取ろうとした瞬間、ニヤリと笑う。
深子「……!」
   嘘泣きとわかった深子、瞬時に手に力を込め、弁当を渡さない。
リリカ「(呆れて)おばさん」
   が、その言葉に力が抜け、匠に弁当をとられてしまう。
匠「ありがとう、おばさん!」
   匠、レジへ走っていく。
   ガックリ……いや、モヤモヤしている深子、リリカの前にそろっと立つ。 
リリカ「なに」
深子「アタシ、まだ35……」
リリカ「それがおばさんだっつってんの」
深子「……」
リリカ「早く着替えろよ」
   スウェット姿で立ち尽くす深子。

○ゲームセンター(夕)
   大学生たちがパンチングマシンで遊んでいる横で、メダルゲームをしている深子。
   「おりゃ、おりゃ」と小さく声を出しながらメダルを流し込む。
   しかし呆気なくメダルがなくなる。
   そしてやっぱり、お腹が鳴る。   

○アパート・2階の廊下(夕)
   深子、お腹をさすりながら201号室の前へ。
深子「?」
   ドアノブに紙袋が掛かっている。
   中を覗くと、見覚えのある白い箱。

○同・201号室(夕)
   バームクーヘンにがっついている深子。
深子「……悪いかよ、35で悪いかよ、なんだよ、なに着たって自由じゃんかよ、なんだよ……これうまいじゃんかよ」

○狭い路地(夜)
   アジアンエステ・『さみしがり』の小汚い看板。
   
○『さみしがり』・小部屋(夜)
   深子、紙パンツを履いたうつ伏せの男を施術中。
深子「……はい、仰向けです」
   仰向けになる男、乾である。
乾「ねぇ、そろそろいいんじゃない?」
深子「……はい?」
乾「サービス」
   乾、股間を突き上げる。
乾「入れておくからさー、焼肉弁当。明日の朝、値引きのカゴに」
深子「いやぁ……」
乾「少しでいいからさぁ。少し少し、アリトル、アリトー」
深子「……それってどこまでですか?」
乾「だから、ちょちょいのペロッって」
深子「……それはアリトーじゃないです」 
乾「えー……ってかなんで買えないの?」
深子「……はい?」
乾「焼肉弁当。たかが1000円じゃん」
深子「……お金がないので」
乾「もっとシフト入ればいいじゃん」
深子「……そんな元気ないです」  
乾「じゃあ他で働くとか?」
深子「ここしかないんで……家の近くにあるエステ」
乾「エステじゃなくていいじゃんって」
深子「……エステじゃないとダメなんです」
乾「なんで?」
深子「元カレの結婚相手がエステティシャンだから……」
乾「え? ……あいたたたたッ!」
   思わず力が入ってしまった深子。
深子「あ……すみません」
乾「痛かったー……でもなんか気持ちかったかも」
深子「きっとお疲れなんじゃ……?」
乾「確かにストレスも溜まってるからねぇ。店長なのに少ない給料でずーっと働かされてさ……あーあ、あんな店、いっそ台風で吹き飛ばないかなぁ」
深子「……台風?」
乾「今夜来るじゃん。こんぐらいデカいの」
   股間を突き上げる乾。

○アパート・2階の廊下(夜)
   大雨。
   深子、へし折れた傘を閉じて2階へ。
   と、202号室の前に蟻田が座っている。
深子「(目が合ってしまい)……」
   が、ゆっくりと目を逸らし、そそくさと部屋に入ろうとする。
蟻田「ちょいちょいちょ〜い」
   動きを止める深子。
蟻田「お隣さんなら、どうしました?くらい言うでしょもうッ」
深子「……どうしました?」
蟻田「どうしたもこうしたもないっすよ」
深子「……」
蟻田「なくしました、カギ」
深子「……カギ」
蟻田「どっかに落としたんすかね?」
深子「……知らないです」
蟻田「あぁもうどーすれば」
深子「……管理人さんに電話は?」
蟻田「あー、その手があったっすね」
   スマホを取り出す蟻田。
蟻田「やべ」
   と、手が滑ってスマホを床に落とす。
蟻田「この瞬間って怖くないっすか?」
深子「……はい?」
蟻田「こういう、裏っかわというか、うつ伏せの状態でスマホを落としたとき」
   液晶画面が下の状態で床に落ちているスマホ。
蟻田「パッと拾えばいいだけの話なんすけどなんか勇気がいるというか……もしデータが飛んでたり、画面にひびが入ってたら、ガン萎えするじゃないっすか」
深子「……はぁ」
蟻田「じゃいきますよ、いきますよ……」
   蟻田、「えいッ」とスマホを拾う。
蟻田「……セ〜フ」
   と、綺麗な液晶画面を見せて、シシシッと笑う。
   深子、部屋に入ろうとする。
蟻田「ちょいちょいちょ〜い」
深子「……まだなにか」
蟻田「部屋入れてくれないっすか?」
深子「……はい?」
蟻田「ベランダ開けっぱなんすよ。だから飛び移りたくて」
深子「……ヤです」
蟻田「え、なんでっすか?」
深子「部屋に入れたくないといいますか」
蟻田「まさか汚いんすか?」
深子「まさか……(苦笑い)」
蟻田「どんなに汚くても絶対に、きたなっ!なんて言わないっすよ?」
深子「別にそこを気にしてるわけじゃ……」
蟻田「あ、まさかそっちっすか?」
深子「……はい?」
蟻田「困るなぁ、そっちの心配とは……安心してください。ボク若い子好きなんで」
   少しムッとした深子、今度こそ部屋に入ろうとする。
蟻田「それに食べましたよね? バームクーヘン」
   動きが止まる深子。
蟻田「なのに見捨てるんすか?」
深子「……食べてないです」
蟻田「(ドアノブを見て)なくなってるじゃないっすか」
深子「……邪魔だったので捨てました」
蟻田「いや、その顔絶対食べましたよね?」
深子「いいえ……」
蟻田「ボク、嘘は嫌いです」
深子「アタシも……嘘は嫌いです」
   蟻田、顔をグッと近付けて、
蟻田「美味しかったですか?」

○同・201号室(夜)
   深子、ベランダのドアを開ける。
深子「どうぞ……」
   しかし部屋を見渡している蟻田。
蟻田「きたなっ」
深子「……」
   蟻田、部屋を漁り始める。
蟻田「なにがあったらこんな生活に?」
深子「あの……早く飛び移ってください」
蟻田「これなんすか?」
   蟻田、深子の名刺を見つける。  
深子「……勝手に触らないでください」
蟻田「ここで働いてんすか?」
深子「……昔の名刺です」
蟻田「え、なんでやめたんすか?」
深子「……なんでもいいじゃないですか」
蟻田「気になります」
深子「……気にならないでください」
蟻田「そういえば気になってたんすけど、ここら辺にカフェってあります?」
深子「……質問ばっかりしないでください」
蟻田「それ聞いたら飛び移りますから」
深子「……駅前にドトールがありますけど」
蟻田「あ、これなんすか?」
   蟻田、今度は白い封筒を見つける。
   『浅沼深子様』と書かれた封筒。
深子「(焦って)ちょっと……」
   蟻田、躊躇なく封筒を開ける。
   出てきたのは結婚式の招待状。
   『○月××日(日曜日)挙式 12時……』とある。
蟻田「一週間後じゃないっすか」
深子「……返してください」  
蟻田「トクナガシュンスケさん……」
   招待状の差出人は『徳永俊介』。
蟻田「男友達っすか?」
   封筒を奪いとる深子。
深子「……誰でもいいじゃないですか」
   と、スマホのバイブ音。
   光っている深子のスマホ。
   ネイルサロンからのクーポン情報が待ち受け画面に表示されている。
蟻田「(スマホを拾い)お、ネイルサロンからクーポンが……って、へー、意外とネイルとかするんすね」
深子「だから……」
蟻田「ってかこれ彼氏さんっすか?」
蟻田、待ち受け画面の深子と俊介のプリクラ写真を見る。
深子「いい加減に……」
蟻田「彼氏さん、イケメンっすね……え、これあなたっすか? 写り良いっすね。目細めればボクでもギリいけ……あ、え、2019年?」
   『2019・1・21』の日付け。
蟻田「ってことは3年前……」
深子「……だから勝手に見ないでください」
   深子、蟻田からスマホを奪う。
   が、蟻田、プリクラに落書きされた『シュンスケ』の名前を見ていて、
蟻田「シュンスケ……あれ、さっきの招待状も確か……あ、ってことはもしかして元カレっすか? で、元カレから招待状が届いたってことっすか?」
深子「……いいえ」
蟻田「あれ、嘘は嫌いなんじゃ?」
深子「……」
蟻田「え、行くんすか? 式」
深子「……」
蟻田「え、もしかしてまだ好きなんすか?」
深子「……早く飛び移ってください」
蟻田「もうもうもう〜、その感じ未練たらたらじゃないっすかもうッ」
深子「もう……警察呼びます」
   深子、スマホで『110』を押す。
蟻田「警察ってもう……わかりやしたよ〜」
   蟻田、ようやくベランダへ。
   雨が激しく降っている。
蟻田「これ、足滑ったら死ぬっすね……」
深子「はい」
蟻田「はいって」
深子「死んだらそこらへんに埋め……あ」
   何かを思い出す深子。
   慌てて部屋に戻ってテレビをつける。
   ニュース速報。
   各地の河川状況が映っている。
テレビ音声「不要不急の外出は控え、家で安静に過ごしましょう」
   『大雨警報』の文字。
深子「……死んじゃう」
蟻田「え?」
深子「……シュンスケが死んじゃう!」
   深子、ダッシュで玄関へ。
蟻田「?」
   バタンとドアが閉まる。

○川沿いの土手(夜)
   激しい雨。
   へし折れた一本の傘に入って歩いている深子と蟻田。
蟻田「どこ行くんすか?!」
深子「……ついてこないでください」
蟻田「警報出てるっすよ?!」
深子「……だから助けに来てるんです」
蟻田「助けにって……シュンスケさんがこんなところにいるんすか?」
   二人、言い合いながら川へ到着。
   川の流れが速い。
深子「シュンスケ……」
   深子、川に駆け寄る。
蟻田「……危ないっすよ?!」
   深子、岩の下を覗き込むも、インコはいない。
深子「シュンスケ、シュンスケどこ……シュンスケ!」
   深子、スマホを放って川に入っていく。
蟻田「ちょっ……なにしてんすか!」
   浅瀬で溺れる深子。
   不器用に助ける蟻田。

○屋根付きベンチの中(夜)
   蟻田、頭をトントン叩いて耳に入った水を抜いている。
蟻田「(ちらっと見て)……」 
   びしょ濡れのまま座っている深子。
蟻田「平気っすか?」
深子「ケガしてたんです……」
蟻田「え?」
深子「シュンスケ……」
蟻田「シュンスケ……えっと、どっちの?」
深子「インコのほうですよ……なんでわからないんですか」
蟻田「鳥に元カレの名前つけるからっすよ」
深子「だからシュンスケは飛べないんです。もし流されたら……」
蟻田「そんなに大事なインコなんすか?」
深子「……仲間です」
蟻田「仲間?」
深子「実は……結婚しようって言ってくれてたんです」
蟻田「インコが?」
深子「元カレが」
蟻田「(モヤモヤ)……」
深子「でも5年も付き合って、結婚式の話もしてたのに、急に別れようって……なんか他に付き合ってた人がいたらしくて、どうやらアタシは二番目の女で、それはつまり、嘘をつかれていて……」
   頭を叩きながら片手間に聞く蟻田。
深子「けど諦められなくて、いつか戻ってきてくれるかもって待っていたら、結婚式の招待状が届いて……それからは、働くのも、着替えるのも、髪とかすのも、全部面倒臭くなって、もう死ぬのもありかなぁって川に行ったら、シュンスケがいたんです」
蟻田「……」
深子「すぐ意気投合しました。傷を負った者同士、心が通じ合ったのかなって……」
   頭を叩いていた蟻田、ようやく耳から水が出てシシシッと笑う。
蟻田「引きずりすぎじゃないっすか?」
深子「……」
蟻田「別れたの、3年前っすよね?」
深子「……そんなすぐに断ち切れないです」
蟻田「でも浮気されてたんすよね? なのにまだ好きなんすか?」
深子「……5年付き合ってたんですよ? 5年……アタシは本気だったんです。シュンスケと結婚するって決めたんです」
蟻田「元カノを式に呼ぶような無神経な男でも?」
深子「でも、深子は俺にとって大切な存在だから来て欲しい……って言ってくれました」
蟻田「沼ってますねぇ……ならもうこの際、取り返せばいいじゃないっすか」
深子「……え?」
蟻田「結婚式までは一週間。まだ猶予があるじゃないっすか」
深子「でも取り返すって……?」
蟻田「シュンスケの家に押しかけるとか?」
深子「そんな無礼なことしたら嫌われます」
蟻田「もう嫌われてんじゃ?」
深子「……はい?」
蟻田「あぁいや……じゃあ逆に女のほうに会いに行って、宣戦布告でもしてくればいいじゃないっすか」
深子「……宣戦布告?」
蟻田「取り返しにきたぞー!って」
深子「取り返しにきたぞー……?」
蟻田「ちなみに相手の女のことは知ってるんすか?」
深子「少しだけですが……」
蟻田「少しだけ?」
深子「……27歳の乙女座でB型。月火休みのエステティシャン。結婚するまでは麻布住み。麻布といっても、ユニットバスの激ダサ物件。犬を一匹飼っているが、これがまた絶妙にブサイクでざまあみろ」
蟻田「……ざまあみろ?」
深子「趣味はピラティスだがヒップラインを見せたいだけのミーハービッチ。麦焼酎が好きで頭の悪そうな友人とバーに行くこともしばしば。しかしお酒以上に自分が好きで、結婚したのに百年の孤独を呑んでる自分に酔いしれる」
蟻田「……全部調べたんすか?」
   深子、スマホでSNSを開く。
   慣れた手つきで『mimi』と検索。
   美海のアカウントを見せる。
   麻布の風景、家の写真、犬の散歩の写真、身体のラインが強調されたピラティスの写真、『百年の孤独』のボトルを片手に友人と微笑む写真など。
蟻田「なるほど……でも綺麗な人っすね」
深子「……え?」
蟻田「顔もスタイルもよくて」
深子「顔とスタイルがいいだけです」
蟻田「その二つって大事」
深子「はい?」
蟻田「あぁいや……さすがにこれは相手が悪いというか、やっぱりやめたほうがいいっすね。宣戦布告なんて」
深子「……」
蟻田「ここは大人しく引き下がりましょう。引き下がって寝ましょう。メシ食って風呂入ってクソして寝れば、大抵のことは忘れられるっすよ?」  
深子「……」
蟻田「聞いてます?」
深子「はい……そうですよね。宣戦布告なんて……」
   雨雲に覆われた夜空を見上げる深子。      

○高層ビル・前(日替わり)
   高層ビルを見上げる深子。
   高級エステ・『Happy Beauty SPA』の綺麗な看板。
深子「(小さく頷き)……」   

○『Happy Beauty SPA』・待合室
   ふかふかのソファに座っている深子。
   緊張した様子で待っている……と、徳永美海(27)が入ってくる。
美海「お待たせしましたぁ。担当の徳永美海で~す」
   可愛くてスタイル抜群の美海。
   おまけに萌え声。
美海「本日はよろしくお願いしまぁ~す」
美海、深子の真向かいに座る。
   胸の膨らみが目立つ。
   深子、負けじとグッと胸を張る。
美海「えっと~ご予約した深子さんですね。え〜ミコって名前可愛い〜!」
深子「……」
美海「あ、美海の名前は美海で~す。あれ、なんかヘン? あ、美海、自分のこと美海っていうんですよ~!」
深子「……」
美海「ってか~、なんか美海たちって卓球のペアみたいですね~。深子と美海で、ミコミミペアみたいなぁ……サーッ!」
深子「……」
美海「あ、すみませ~ん、なんか盛り上がっちゃいましたね~。さ、仕事仕事!」
   しばし圧倒される深子。
美海「えっと~、深子さんは~、どうして今日エステに来たんですか~?」
深子「……忘れられなかったからです」
美海「忘れられなかったぁ?」
深子「……メシ食って風呂入ってクソして寝たのに、忘れられなかったからです」
美海「クソ食ってメシ入って……?」
深子「メシ食って風呂入って」
美海「クソ食って風呂入って……?」
深子「メシ食って風呂入って」
美海「クソ食って……」
深子「もういいです」
美海「えええ、どゆこと~? 美海、わかんなぁ~い」
深子「とにかく……取り返しにきたぞー」
   弱々しい宣戦布告をした深子。

○同・小部屋
   美海、うつ伏せの深子を施術中。
美海「深子さんは〜、普段は何をされてるんですかぁ〜?」
深子「普段は……特に」
美海「え、何もしてないんですか〜?」
深子「強いて言うならインコにエサを……」
美海「インコ〜? えええ、もしかしてペットショップの店員さんですか〜?」
深子「違いま……」
美海「可愛い〜。美海もやってみた〜い。ペットショップの店員さんって〜……」
深子「あの、違います」
美海「え〜?」
深子「ペットショップの店員じゃないです」
美海「あ、すみませ〜ん。美海、こういうところあるんですよ。おっちょこちょいっていうか〜、ダーリンにもよく怒られて」
深子「……ダーリン」
美海「あ、そうなんですよ〜。(小声で)実はここだけの話、美海、最近結婚して〜」
深子「結婚……」
美海「ありがとうございます〜」
深子「……どんな人なんですか?」
美海「え〜?」
深子「その……ダーリンは」
美海「う〜ん、どんな人かなぁ〜」
深子「……どこが好きなんですか?」
美海「え〜、どこかなぁ〜」
深子「……どうして結婚したんですか?」
美海「え〜、なんでだろう〜」
深子「結婚して良かったですか? お互い不満はないですか? 別れる気は……」
美海「怖い怖い怖い〜、質問ばっかり〜!」
深子「あ、すみません……質問ばっかりは怖いですよね……でも教えてください。少しでいいんで教えてください……!」
美海「少しって言われても〜」
深子「少し少し、アリトル、アリトー」
美海「そんなにぐいぐい聞いてくると、美海もぐいぐいしちゃいますよ〜?」
深子「え? ……あいたたたたッ!」   

○道
   腰を押さえながら歩いている深子。
深子「痛ってぇ……」
   渡された名刺を見る。
   『徳永美海』の名前と『またのご来店お待ちしてまぁ〜す』のコメント。
深子「……二度と行くか」
   名刺をくしゃくしゃに丸めて向こうに投げる……と、向こうの洋菓子店に長蛇の列。
深子「?」
   列の先頭に蟻田の姿。
   バームクーヘンを買っている様子。 
   その満足げな顔。
深子「バームクーヘン嫌いなんじゃ……」
   と、身体がバームクーヘンに反応。
   お腹がグーッと鳴る。
深子「あぁ……」
   腰と腹を押さえながら歩く深子。

○スーパーマーケット・中〜外(夕)
   深子、安売りコーナーを物色中。
   レジ当番のリリカ、相変わらず蔑んだ目で見ている。
   深子、ウロウロと漁り続ける……と、弁当コーナーに焼肉弁当がラスト一個残っている。
   ポケットに手を突っ込むと、あの時の千円札が入ったまま。
深子「(小さく頷き)……」
   一歩踏み出す。
   が、またしても匠がやってくる。
深子「あ」
   匠、悠々と焼肉弁当をとる。
深子「あぁ……」
   しかし不審な動きで周りを見渡している匠。
   次の瞬間、弁当を服の中に入れた。
深子「!」
   リリカの前を堂々と歩く匠。 
   が、仕事中にも平然とスマホをいじっており気付いていないリリカ。
   匠、店を出る。
   深子、サササッと追い、匠の腕を掴む。
深子「ねぇ……」
匠「(振り返り)……」
深子「盗った……よね?」
匠「……」
深子「……君いくつ?」
匠「なーんだ、おばさんか」
深子「……え?」
匠「ってかセクハラ」
   深子、匠の腕を放す。
匠「いきなり腕をわし掴み、舐め回すように身体を見ながら、君いくつ?って……署までご同行願えますか?」
深子「……は、なんでアタシが警察に」
匠「ヤなら泊めて」
深子「……泊める?」
匠「今家出中。だから泊めて」
深子「そんなの無理に……」
匠「じゃ警察行きましょう」
深子「え、いや……罪逃れたいからって適当なこと……」
   途端に泣き始める匠。
深子「……どうせまた嘘泣きでしょ」
   が、通りかかったサラリーマンに怪訝な顔で見られる。
   深子を指差して泣きじゃくる匠。
深子「わかった、わかったから……見逃したことにするから……」
   匠、一瞬泣き止んで、
匠「じゃあ泊まってもいい?」
深子「それは……無理」
   再び泣きわめく匠。
   サラリーマンが深子に近付いてくる。
深子「……」

○アパート・201号室(夕)
深子「……」
   呆然としている深子。
   視線の先、ムシャムシャと焼肉弁当を食べている匠の姿。
匠「感謝しろよ。被害届け出さなかったんだから」   
深子「……で、君は誰?」
匠「君って言う人嫌い」
深子「だって名前知らないし……」
匠「だって聞かれてないし」
深子「じゃあ名前は?」
匠「え、言う必要なくね?」
深子「……聞かれても答えないじゃん」
匠「これうっめぇ〜」
深子「親に連絡は?」
匠「家出中なのに?」
深子「……じゃあなんで家出してんの?」
匠「じゃあマイナンバー教えてくれたら言ってあげる」
深子「じゃあ……結構です」
匠「じゃあ家泊めてくれる代わりに一口あげるよ」
深子「……え?」
匠「好きなんでしょ? 焼肉弁当」
深子「(迷うも)……いらない」
匠「そ」
   見せつけるように肉を頬張る匠。   
   お腹がグーッと鳴る深子。
深子「やっぱ一口……」
匠「もうダメ」
深子「……」  
匠「ってか好きなら自分で買えば良いじゃん……っていう暮らしでもないか」
   部屋を見渡す匠。
匠「なんか可哀相になってきたから、ご飯ならあげる。肉ワンバンさせたご飯」
深子「……」
匠「肉はダメだよ」
   匠、深子に弁当を渡す。
   深子、タレがついた白米を一口分とって、しばし眺める。
   そしてゆっくりと口に入れる。   
深子「美味しい……美味しい美味しい」
匠「(笑い)そんなに?」
深子「……思い出の味だから」
匠「え?」
深子「……シュンスケと食べた思い出の味」
匠「……シュンスケ?」
深子「付き合った1年目の記念日に、牛角行って……けど、激混みで入れなくて、でもお腹空いてたから、この焼肉弁当買って、公園のベンチで食べたの……」

○(回想) 公園(夜)
   ベンチに座っている深子と俊介(32)、焼肉弁当を食べようとしている。
俊介「あんなに混んでるとはなぁ」
深子「予約すればよかったね」
俊介「な……結局こんな小ちゃい弁当かぁ」
深子「また今度行こうよ!」
俊介「よしっ……今日はこれで我慢してやるか! いただきまーす!」
深子「……いただきます!」
   焼肉弁当を一口食べる二人。
   瞬間、口に含んだまま、すぐに目を合わせて、
深子・俊介「うっめぇ〜!!」  
深子の声「それがすごい美味しくて、美味しくて、美味しくて……」

○元の201号室(夕)
深子「……楽しかった」
   米を口に含んだまま、思い出す深子。
匠「もう別れちゃったんだ」
深子「……」
匠「恋ってムズかしいよね」
深子「……知ったような言い方」
匠「おばさんよりは知ってると思うけど」
深子「ってか……おばさんってやめて」
匠「おばさんはさ、シュンスケのことまだ好きなの?」
深子「……」
匠「まだ諦めてないの?」
   少しの間。 
   深子、答えず、ふらっと立ち上がる。
匠「どこ行くの」
深子「バイト……それ食べ終わったら、お家帰りなよ」
   バタンとドアが閉まる。

○狭い路地(夜)
   『さみしがり』の小汚い看板。
   数カ所にひびが入っている。

○『さみしがり』・小部屋(夜)
   深子、うつ伏せの乾を施術中。
乾「え、その……元カレの結婚相手に会ってきたの?」
深子「……はい」
乾「なんでまた?」
深子「……宣戦布告をしに」
乾「宣戦布告?」
深子「……でも、ボロ負けでした」
乾「そんな強敵だったの?」
深子「はい……頭はぶっ飛んでて、声はかっ飛んでました。おまけに、またのご来店お待ちしてまぁ〜すとか……二度と会いたくもないのに、仰向けです」
乾「仰向け? あぁ……」
   乾、仰向けになる。
乾「でも、会うじゃん」
深子「え?」
乾「結婚式で。招待状来たんでしょ?」
深子「あぁ……」
乾「行ったら会っちゃうね。しかも3万も払わなきゃいけないし」
深子「3万……」
乾「ご祝儀。相場は3万でしょ? 3万も払って元カレの結婚式はキツいなぁ」
深子「……」
乾「なんか深子ちゃんの気持ち考えたら、すんごい萎えてきた。ほら」
   乾、股間を振る。
乾「サービスは?」
深子「……」
乾「焼肉弁当、もう余ったやつ無料であげるからさ、サービスしてよ」
深子「あ……」
乾「食べたいんでしょ?」
   思い出して口を拭う深子。 
深子「じゃあ……サービスしたら、焼肉弁当もらったことにしていいですか?」
乾「うん……ん? もらったこと?」
深子「じゃあ……いきますよ」
乾「え……あ、うん!」
   股間に意識を集中させる乾。
深子「では……ごちそうさまでした……!」
   深子、思い切り乳首をつねる。
乾「いたぁぁぁぁあい!!!!!!」

○アパート・2階の廊下(夜)
   深子、階段をのぼって部屋の前へ。
深子「……?」
   部屋に入ろうとするが、中からドンドンとうるさい音がする。

○同・201号室(夜)
   深子、入ってくる。
   と、蟻田と匠がプロレスをしている。
   匠、蟻田をサソリ固めした瞬間、突っ立っていた深子と目が合う。
匠「あ、お帰り」
深子「……なにしてんの」
匠「プロレス」 
   「ギブギブ」と床を叩く蟻田。
匠「よっし、オレの勝ち!!」
蟻田「痛ってぇ……」
   深子、蟻田を睨む。
深子「……なんでいるんですか?」   
蟻田「え、開いてたんで…(腰を押さえて)いてててて……」
深子「……なんでですか」
蟻田「なんでって、サソリ固めかけられたから痛いんすよ」
深子「じゃなくて、なんで勝手に入るんですか?」
蟻田「だからカギ開いてたんでちょっと覗いてみたら、このガキが出てきて入れてくれたんすよ」
   深子、今度は匠を睨む。
深子「……なんで帰ってないの?」
匠「家出中だから」
深子「……なんで入れたの?」
匠「シュンスケかと思って」
深子「……は?」
匠「見た目的にもおばさんとお似合いだったからさ」
   膝から崩れ落ちる深子。限界だ。
深子「もう……通報します」
蟻田「通報しても捕まるのそっちっすよ」
深子「……はい?」
蟻田「弁当万引きしたそうじゃないっすか。しかも子どもまで誘拐して……このゴミ部屋、その服装、ボサボサ髪、あなた疑われたら一発っすよ」
深子「万引きしたのはアタシじゃないです」
蟻田「でも食べたんすよね?」
匠「ばっくばく食ってた」
深子「いや一口……でも、弁当はさっき店長から許可を得たんで平気です」
蟻田「許可?」
深子「あと誘拐なんてしてないです。家出の理由聞いても言わないし……」
蟻田「(匠に)え、言ってないの?」
匠「このおばさんに恋愛相談してもねぇ」
蟻田「確かにアドバイスできないよなぁ」
深子「……?」
   深子を見てクスクスと笑う二人。
匠「とにかく明日よろしくね。車」
蟻田「えー」
匠「だって負けたじゃん!」
蟻田「ったよ……(深子に)あなたも明日来てくださいね」
深子「……どこにですか?」
蟻田「さっきそう決まったんで」
深子「……なにがですか?」
蟻田「だってどうせ暇っすよね?」
深子「……だから何があるんですか?」
蟻田「では迎えにきますんで」
深子「……会話できないんですか?」
蟻田「了解っす、じゃ明日!」
   バタンとドアが閉まる。
     ×   ×   ×
   布団に横になっている深子。
   タオルを布団代わりにして横になっている匠。
深子「告白?」
匠「うん」
深子「その……ずっと好きな人に?」
匠「桜いちごちゃん」
深子「まとめると、そのずっと片想いしてた桜いちごちゃんに想いを伝えるため、明日会いに行く……ってこと?」
匠「いちごちゃんは一ヶ月前に転校して、茅ヶ崎ってとこに引っ越しちゃったんだ。そんでおじさんに車出してってお願いしたら、プロレスで勝ったらいいよって」
深子「……家出は?」
匠「最初は母ちゃんに車出してってお願いしたんだけど、断りやがったから。子どもの恋愛だからってバカにして……だから子どもらしく万引きでもして、迷惑かけてやろうって思ったの」
深子「それであんな堂々と万引きを……でもちゃんと連絡しなよ。このままじゃアタシ、誘拐犯になる」
匠「……わかったよ。友達ん家泊まるってラインする」
   匠、スマホをいじる。
   と、待ち受け画面がいちごちゃんらしき女の子の写真である。
深子「(見て)……」
   匠と自分を重ねてしまった深子、しばし見つめる。
匠「……どうしたの?」
深子「ううん……(ごまかして)そのタオルじゃ痛いでしょ?」
匠「え?」
深子「これ使う? アタシが床で寝るから」
匠「その布団はいい」
   至る所にシミがついた布団。
深子「……汚いもんね」
匠「だってシュンスケの温もりがいっぱい詰まった布団でしょ?」
深子「……え?」
匠「だからオレはこっちでいい」
深子「……」
匠「おばさん、明日見せてあげるね」
深子「?」
匠「諦めなければ、絶対に成功するところ」
深子「……」
   ニッと笑う匠。
匠「おやすみ」
深子「おやすみ……」
   布団をギュッと抱く深子。

○高速道路(日替わり)
   走っている薄い黄色の車。

○走る車の中
   運転席に蟻田、助手席に匠が座っている。
蟻田「ってかよう、いちごのライン知ってんだろ? だったらラインで告白しろよ」
匠「せっかく住所聞いたんだもん。それに気持ちはビシッと直接伝えたいし」
蟻田「あーあ、手加減しなきゃ良かったよ」
匠「してなかったじゃん」
蟻田「してなかったら逆水平からのコブラツイストからのナガタロック2でスリーカウントだよ」
匠「なにそれ」
蟻田「つーか、いちごは彼氏いねぇのか?」
匠「いても奪うから平気!」
蟻田「おー……見習って欲しいもんだねぇ」
   と、バックミラーを見る。
   後部座席に深子が座っている。
蟻田「もしや久しぶりの遠出っすか?」
深子「……だったらなんですか?」
蟻田「冬眠してたクマみたいな顔して」
深子「……どんな顔ですか」
   と、眩しそうに外を眺める深子。

○住宅街
   車がとまる。

○車の中
   向こうの一軒家を見る深子、蟻田、匠。
蟻田「あの家だな」
   表札に『桜』。
蟻田「よし、行ってこい」
匠「え?」
蟻田「え?って、告白すんだろ? ほら!」
   無理矢理に車から降ろされた匠、おどおどしながら家の前へ。
   車の中から見守る深子と蟻田。
   しかし突っ立ったまま、なかなかインターホンを押さない匠。
蟻田「なにやってんだ」
深子「……?」
   と、匠が車に戻ってくる。   
匠「おしっこ」
 
○ファミレス
   トイレから出てきた匠、深子と蟻田が座っているテーブルへ。
匠「お待たせーい」
   テーブルの上にいちごパフェ。
匠「お、きたきた。いっただっきまー……」  
蟻田「ちょっと待て」
匠「ん?」
蟻田「お前、アレだな。ビビってんな」
匠「え?」
蟻田「だから逃げたんだろ?」
匠「……急に尿意がしただけだし」
蟻田「フられるのにビビって逃げたか……なにがビシッと伝えたいだ」
匠「……」
蟻田「女なんて強引にハグしてチューすりゃ一発だよ。サッサと告っちまえ」
深子「……告白って、そんなにサクッとするもんじゃないかと」
蟻田「え?」 
深子「だからそんなにサクッと……」
蟻田「もしや同情したんすか?」
深子「……はい?」
蟻田「あなたも逃げてばっかっすもんね。フられた現実から逃げて逃げて逃げて……もしかして鬼ごっこしてんすか?」
深子「……どういうことですか?」
蟻田「現実という鬼から逃げて、冬眠中のクマみたいにずっと部屋に隠れてるじゃないっすか……ってあれ、かくれんぼもやってます? 楽しそっすね〜」
   と、隣のテーブルに座る三人家族がひそひそ話をしている。
父「なんの言い合いだ?」
母「ヘンな夫婦喧嘩」
深子・蟻田「……夫婦?」
   その家族を睨む深子と蟻田。
   と、いちごパフェを食べていた匠が立ち上がる。
匠「……いちごちゃん?!」
   父と母と一緒にいた、桜いちご(9)。
   その家族、いちごの家族であった。
いちご「匠くん?」
母「お友達?」
いちご「前のクラスメート」
母「あら……お世話になっております〜」  
深子「あ、えっと……お世話になっております〜……」
母「家族でお出かけですか?」
深子「えぇ……」
   無理矢理に笑顔を作る深子と蟻田。
蟻田「あ……ちょうどよかったっす! 娘さんのこの後のご予定は?」
母「……予定?」
蟻田「(匠の肩を叩き)うちの息子から一世一代の大事な話があるみたいで」
匠「おじさん……!」
母「いちご、匠くんから一世一代のお話があるみたいよ」
   テンパる匠。     
匠「ちょっと……まだ心の準備が……あぁもう、おしっこ!」

○公園
   うじうじと立っている匠。
   髪の毛をいじっているいちご。
   その二人をジャングルジムから隠れて見ている深子と蟻田。
蟻田「いけっ、いけっ」
深子「……あんなパスじゃいけないですよ」
蟻田「あぁでもしないと告んないっすから」
深子「あと……300円いいですか?」
蟻田「はい?」
深子「ファミレスのパフェ代600円、アタシが立て替えたんで」
蟻田「割り勘っすか? それぐらい払ってくださいよ……え、まさかっすけど、あんまお金持ってない感じっすか?」
深子「持ってても払いません……あなたが負けたんですから、サソリ固めで」
蟻田「あ、始まるっすよ」
   もじもじしていた匠、勇気を出して、口を開く。
匠「あの……」
いちご「ごめんなさい」
匠「……え?」
いちご「匠くんとは付き合えません」
匠「まだ何も言ってないけど……」
いちご「告白しに来たんじゃないの?」
匠「え、まぁ……」
いちご「ってか似てないね。お父さんと」
匠「お父さん? あぁいやあれは……」
いちご「お父さん、カッコ良かった」
匠「……え?」
いちご「匠くんみたいにうじうじしてなくてさ。一世一代の話がある!って誘い方も、ザ・男!って感じがして……私ああいう男らしい人がいい。強引にハグしてチューしちゃうくらいの」
匠「……」
いちご「まぁ一世一代じゃないけどね。だって何回目? 私に告白するの」
匠「えっと……1、2、3…6、7?」
いちご「15回目」
匠「……」
いちご「しつこい!」

○海・浜辺(夕)
   どこへ向かうわけでもなく、走っている匠。
   追いかけている深子と蟻田。
蟻田「おーい!」
深子「待ってー……」
蟻田「ったく鬼ごっこかよ……にしてもまさか15回目とは」
深子「それは……まさかです」
蟻田「よくあんな発狂できんな……普通慣れんだろうよ」
   「わー!」と叫びながら走っている匠。
     ×   ×   ×
   打ち寄せる波の音。
   石段の上に並んで座っている三人。
   沈黙。
   泣いているのか、俯いている匠。
深子「……大丈夫?」
蟻田「シッ!」
深子「でも慰めてあげたほうが……」
蟻田「いいから黙って」
深子「……じゃあ今はなんの時間ですか?」
蟻田「黙って海を見る。何も語らない。それ で良いんすよ」
深子「普通逆じゃ……」
   再びの沈黙。
   と、いびきが聞こえる。
深子・蟻田「?」
   だらんと横になる匠、ずっと寝ていたようだ。

○走る車の中(夜)
   後部座席で爆睡している匠、大きないびきをかいている。
   深子、助手席から外を眺めている。
   と、運転席の蟻田が、紙パックのいちごジュースを取り出す。
蟻田「どうぞ。ファミレスのお返しっす」
深子「……現金で返してください」
蟻田「現金は生々しいじゃないっすか。あ、生々しいついでに聞きたいんすけど、貯金額ってどれくらいっすか?」
深子「……はい?」
蟻田「バイトしてたっすよね? 使い道もなさそうだし、結構貯まってんのかなって……ズバリいくらっすか?」
深子「……いきなりなんですか」
蟻田「いいから教えてくださいよ。ドライブする仲じゃないっすか」
深子「ドライブじゃないです」
蟻田「照れない照れない。で、貯金額は?」
深子「しつこいです」
蟻田「いえ、ボクは男らしいっすよ。byいちごちゃん」
   いちごジュースにストローをさしてチュッチュと飲む蟻田。
蟻田「しかしあなたも早く切り替えたほうがいいっすよ?」
深子「……」
蟻田「見ましたよね? どんなに好きでも、何回告っても、無理なもんは無理。サクッと諦めて、新しい相手を探したほうがいいんすよ」
深子「……」
蟻田「アプリでもやったらどうっすか。あ、ボクいいアプリ知ってますよ……なんてやつだっけな」
   蟻田、スマホを取り出す……が、手が滑ってスマホを落とす。
蟻田「あ、すいやせん、とってくれます?」
   深子の足元に、液晶画面が下の状態で落ちたスマホ。
深子「(見て)……前に言ってましたよね?」
蟻田「はい?」
深子「スマホを落とした時、拾うのが怖いって」
蟻田「……え?」
深子「もし画面にひびが入ってたらガン萎えするって」
蟻田「そんなこと言いましたっけ?」
深子「あれ、逆ですから……」
蟻田「逆?」
深子「ガン萎えするのはスマホのほうですよ……ある日突然地面に落とされて、ひびまで入る羽目になって……なのになんで落とした側のあなたがガン萎えするんですか? ガン萎えなのはスマホのほうですよね? ある日突然ポイって捨てられて、身体中ひびが入って……ガン萎えなのはアタシのほうですよ……」
蟻田「……」
深子「アタシは、自分が崩れないように、これ以上ひびが入らないように、なんとか保ってるんです……穏やかに休憩してるんです……それのどこが悪いですか?」
蟻田「別に悪いとは……」
匠の声「おじさん、ここら辺でいいよ」
   目覚めた匠、窓の外を見ている。
蟻田「おぉ起きたか……大丈夫か?」
匠「うん……なんかスッキリした」
蟻田「あんだけ走ってあんだけ叫んであんだけ泣きゃ、スッキリするわな」
   一方、浮かない顔で座っている深子。

○道(夜)
   向こうで手を振っている匠。
匠「またねー!」
   匠、走って帰っていく。
   見送った蟻田、車に戻ろうとするが、
蟻田「どこ行くんすか?」
   匠とは逆方向に歩き出している深子。
深子「……アタシもここで結構です」
蟻田「ここからじゃ遠いっすよ?」     
   無視して歩く深子。
   追う蟻田。
蟻田「なんすか、怒ってんすか?」
深子「……ほっといてください」
蟻田「え、まだファミレスの300円、根に持ってんすか?」 
   と、そこにカップルが通りかかる。
リリカの声「あ、バナナおばけ」
深子「(気付いて)……」
   その女、リリカである。
彼氏「なに、バナナおばけって」
リリカ「うちのスーパーにさ、賞味期限ギリギリのやつが入ってるカゴがあんの。で、その周りをさ、毎日髪ボサボサのままウロウロしててさ、結局黒くなったバナナを買ってくの」
彼氏「(笑い)それでバナナおばけ」
リリカ「同情すんじゃね? 旬が過ぎたバナナ見ると」
深子「……」
リリカ「たまには野菜食えっつーの」
   突っ立ったままの深子。   
リリカ「ってかウケる。彼氏いたんだ」
彼氏「旦那さんじゃね?」
リリカ「ないない。あんな女が結婚できるわけねぇじゃん」
   そう言い放ち、去っていくリリカ。
蟻田「知り合いっすか?」
深子「……」
蟻田「ちょっとは言い返せばいいのに……悔しくないんすか?」
   黙ったままの深子。
   深子の表情を見た蟻田、リリカを追う。
蟻田「ねぇ」
リリカ「(振り返り)なに」
蟻田「ちょっと言い過ぎじゃ……?」
リリカ「は?」
蟻田「とりあえず謝りましょ」
リリカ「なんで?」
蟻田「いいから謝りましょ」
リリカ「いや、もういないけど」
蟻田「……え?(と、後ろを振り返る)」
   既に向こうへ歩き去っていた深子。

○アパート・201号室(日替わり)
   陽が差し込んでいる。
   歩き疲れたのか、ぶっ倒れるようにして布団で寝ている深子。    
     ×   ×   ×
   深子、部屋を物色中。
   レジ袋から、黒くなったバナナを見つける。
深子「(見て)……」

○スーパーマーケット・中
   買い物カゴに白菜やらネギやら野菜を
   突っ込んでいく深子。   
   乾がやってきて、
乾「おはよー……ど、どうしたの?」
   深子、リリカのレジへ突き進み、野菜で溢れたカゴをドンッと置く。
リリカ「んだよ」
深子「バナナは……黒いほうが甘くて美味しいから……」
リリカ「……は?」
   深子、一万円札をパンッと置く。
深子「釣りはいらねぇ……!」 
 
○コンビニ・中
   ATMの前に立っている深子。
   両手にはスーパーの袋。
   ネギが何本も飛び出ている。 
深子「(画面を見て)……やっちまった」
   貯金残高は3万円ほど。 
   ハァと溜め息する深子。

○川沿いの土手
   スーパーの袋を置いて、岩の下を覗き込んでいる深子。
   インコはいない。
   さらにハァと溜め息する深子。

○道
   スーパーの袋を重そうに持って歩いている深子。
深子「(何かに気付いて)……」
   カフェのテラス席に蟻田がいる。

○カフェ・テラス席
   蟻田、向かいに座る男に熱弁中。
蟻田「ストレス溜まってないっすか? っすよね? 溜まってるっすよね? じゃあ買いましょ。毎日30分これ見て寝るだけ! 簡単でしょ?」
   蟻田、男にDVDソフトを渡す。
蟻田「そうすれば、ヤなことから全部解放されるっすよ! 解放解放!」
   シシシッと笑っている蟻田。
   物陰に隠れて盗み聞きしていた深子。

○狭い路地(夜)
   『さみしがり』の小汚い看板。
   以前よりもひびが増えている。

○『さみしがり』・控え室(夜)
   びりびりに破れかけたソファで待機中の深子。
   他にも若い女の子が数人いる。   
   女店長が入ってきて深子のもとへ。
女店長「3番にフリーのお客さん」

○同・小部屋(夜)
   深子、うつ伏せの乾を施術中。
深子「……はい、仰向けです」
   仰向けになる乾。
乾「深子ちゃんってさ、毎週何曜日にシフト入ってんの?」
深子「……特に決まってないですが」
乾「じゃあ僕たちってすごい運命だね!」
深子「……え?」
乾「僕がここ来るといつも深子ちゃんが担当してくれるじゃん? すごくない? 僕フリーで入ってんだよ?」
深子「……ですね」
乾「ねぇねぇライン教えてよ」
深子「……すみません、あまりスマホを見ないもので」
乾「えぇ、そんな人いる?」
深子「はいー……」
乾「教えてよー、お願い、お願ーい」
深子「だからあまり見ないもので……」

○アパート・201号室(夜)
   スマホの待ち受け画面を凝視する深子。
   深子と俊介のプリクラ写真。
深子「(じっと見て)……」

○(回想) 同・同(夜)
   鍋をつついている深子と俊介。
俊介「正月さ、実家帰るんだけど、来る?」
深子「え?」
俊介「いやぁ、ほら、挨拶がてら……」
深子「(遮り)行く! 絶対行く! え、なに着てこう……その前に美容院だ、あとネイルも予約しないと!」
俊介「(笑い)そんな気合い入れなくても」
深子「入れるに決まってんじゃん!」
俊介「……じゃあ俺も滝行でもして、気合い入れてこよっかな」
深子「滝行?」
俊介「祓いたまえ清えたまえ〜!って」
深子「(笑い)なにそれ」
   嬉しそうに鍋を食べる深子。
   勢い余って「あちちちッ」と唇をヤケドするも、楽しそうに笑って―。

○元の201号室〜玄関(夜)
深子「(唇を触り)……」
   おもむろに立ち上がる深子。
   キッチンへ向かい、鍋を引っ張り出す。
   懐かしそうにじっと見る。
   と、スーパーの袋が視界に入る。
   昼間に爆買いした白菜やネギなどの野菜たち。
深子「食べよ、鍋食べよ……シュンスケ、鍋にしよ、いいよね……待っててね、今作るから待っててね……」
   取り憑かれたように包丁を握り、野菜を切り始める深子。
   と、インターホンの音。
深子「……シュンスケ?」
   深子、玄関へ急ぎ、ドアを開ける。
深子「シュンスケ!」
   が、立っていたのは蟻田。
   現実に引き戻される。
蟻田「入れてくれないっすか?」
深子「……」
蟻田「お願いっす、入れてください」
深子「……またカギなくしたんですか?」
蟻田「じゃなくて、座薬」
深子「……座薬?」
蟻田「座薬を入れてほしくて」
深子「……どういうことですか?」
蟻田「寒くて寒くて……たぶんメイビー風邪っす。けど、今座薬しか持ってなくて」
   座薬を見せる蟻田。
深子「だから?」
蟻田「だからボクのお尻に座薬を……」
深子「だからそれがどういうことかって」
蟻田「ボク腰やってるんすよ。だからお尻に手が届かなくて」
深子「だからなぜそれをアタシにお願いするのか聞いてるんです」
蟻田「お隣じゃないっすか」
深子「理由になってないです」
   深子、ドアを閉める。
蟻田「ちょちょちょ……入れてくれないんすか? 座薬」
深子「当たり前です」
蟻田「もしかしてそっちの心配っすか?」
深子「はい?」
蟻田「ボクこう見えてもお尻は綺麗っすよ」
深子「……それ聞いて誰が入れる気になるんですか?」
蟻田「お尻ならアカデミー賞とれます」
深子「……意味がわかりません」
蟻田「お願いします……ボクに座薬を、座薬を!!」
   そのやりとりを他の住人(女)に見られていて、
深子「……」
     ×   ×   ×
   鍋を作っている深子。
深子「(睨み)……」
   視線の先、床に寝転んでいる蟻田。
蟻田「意外と料理できるんすね」
深子「……」
蟻田「花嫁修行してたからっすか?」
深子「……」
蟻田「怒ってます?」
深子「はい」
蟻田「今度ご飯奢るんで」
深子「結構です」
蟻田「遠慮しないでください」
深子「してないです」
   深子、鍋をテーブルに運ぶ。
蟻田「わぁ……ありがとうございます」
深子「昨日の借りを返しただけですから」
蟻田「借り?」
深子「言い返してくれたんで……クソ女に。これでチャラです。さ、どうぞ」
   なかなか鍋の蓋を開けない蟻田。
深子「どうぞ食べてください」
蟻田「鍋の蓋を開ける瞬間って楽しくないっすか?」
深子「……はい?」
蟻田「ジャーンって感じで」
深子「ジャーンって開けてください」
蟻田「でもボクが開けていいのかなって」
深子「……え?」
蟻田「作ってもらった上に、ジャーンまで奪ってしまっていいのかなと」
深子「じゃあアタシが開けます」
蟻田「待ってください……ジャンケン、ジャンケンしましょう」
深子「いや、アタシ別に開けたくないんで」
蟻田「でも本当はジャーンしたいのに我慢されてたらヤなんで」
深子「だからしてないです」
蟻田「あれ? 開けたすぎて怒ってます?」
   深子、もう疲れた。
   思い切り、蓋を開ける。
蟻田「ジャーンッ」
深子「……言うのかよ」
蟻田「うまそっすねぇ……いただきやす」
   食べ始める蟻田。
蟻田「おいしいっす。おい……ん、あれ(口をもごもごさせて)なんすかこれ……」
   ペッと吐き出す蟻田。
   フフッと笑う深子。
蟻田「まさか……」
深子「だって入れろって言いましたよね?」
蟻田「だからって……鍋に座薬入れます?」
   フフフッと笑い続ける深子。
蟻田「でも……初めてっすね、笑ったの」
   シシシッと笑う蟻田。
     ×   ×   ×  
   鍋が空っぽになっている。
蟻田「え、出席で出したんすか?」
深子「……はい」
蟻田「元カレの結婚式なのに?」
深子「ケジメつけようって思って……けど、やっぱり行けません……誓いのキスとか見たら、アタシどうにかなっちゃいそうで……痛いじゃないですか、35の、おばさんが、元カレの結婚式で泣いてたら」
蟻田「泣けばいいじゃないっすか」
深子「泣いたら余計辛くなる気がして……」
蟻田「よくないっすよ、我慢。最近多いっすよね。弱み見せたくないのか、クールがカッコイイって思ってんのか、これぞサムライ魂!って思ってんのか知んないすけど、我慢する人」
深子「……」
蟻田「走りたい時は思い切り走る。鍋の蓋を開けたいときはジャーンって開ける。笑いたい時は声に出して笑う。泣きたい時は狂ったように泣く……それだけで意外と解放されるもんっすよ」
深子「解放……(思い出して)そういえば言ってましたよね? ドトールで」
蟻田「え?」
深子「見ればヤなことから解放されるソフトがあるって」
蟻田「まさか見られていたとは……」
深子「どういうソフトなんですか?」
蟻田「いやぁ……まぁ簡単に言えば、今大食い動画とか見てスカッとする人多いじゃないっすか? 欲求を満たしてくれるというか、それみたいなもんす」
深子「……買う人いるんですか?」
蟻田「さっきも言ったっすけど、今のご時世ストレス抱えてる人多いじゃないっすか。家にいることが多くて、発散する場所もないというか……だからそれ見て気持ちをリセットする人、結構多いんすよ」
深子「へぇ……」
蟻田「今日も喜んで買ってくれたっす」
深子「カフェで話してた人?」
蟻田「えぇ。今日の人はちっさいスーパーの店長やってるって言ったかな」
深子「……店長?」
蟻田「で、面白いんすよ。普段どうやってストレス発散してんすかって聞いたら、メンエスに行ってるって」
深子「……メンエス」
蟻田「あぁメンエスってのはメンズエステの略っす。まぁ言えばエッチなサービスしてくれるとこっす」
深子「……」
蟻田「で、カネないから可愛い子期待してフリーで入るらしいんすけど、いっつも同じ女の人らしくて……それも30を越えたおばさん。しかもこれがブスのくせにガード固いから最悪だっつって。で結局スッキリできず、せめてお店の子紹介してもらおうとライン聞くんすけど……って、え、どうしました?」
   一点を見つめている深子。
深子「……買います」
蟻田「え?」
深子「……そのソフト」
蟻田「え、どうしたんすか?」
深子「だってそれ買ったら……ヤなことから解放されるんですよね?」
蟻田「まぁ……」
深子「……いくらですか」
蟻田「3万っすけど」
深子「3万? そんな大金持って……」
   財布の中を覗く深子。
   ATMで下ろした一万円札がちょうど3枚あった。
     ×   ×   ×
   蟻田はいなくなっている。
   深子、押し入れから、埃まみれのパソコンを取り出して電源を入れる。
   DVDソフトを見る。
   『ぶっ壊せ!』と書かれたパッケージ。
深子「ぶっ壊せ……?」
   ディスクをパソコンにセットする。
深子「……(じっと画面を見入る)」
   画面に小部屋が映る。
   机、イス、鏡、銅像などいろんな物が置かれた部屋だ。
   そこにヘルメットを被った蟻田が金属バット片手に登場。
蟻田「ぶっ壊せ! ぶっ壊せ! ぶっ壊せ!」
   と、叫びながらバットでそれらを壊していく、ただそれだけの30分程度の映像。
深子「……」
   「ぶっ壊せ!」と連呼する声が、部屋に虚しく響き渡る。

○道(日替わり)
   ボサボサ髪、スウェット姿のまま歩いている深子。
   目にクマができている。
   と、乾とすれ違う。
乾「深子ちゃん、おはよー……なにそれ?」
   手に紙を握り締めている深子。
乾「……どうしたの?」
   深子、乾をキッと睨んで、去る。   

○『さみしがり』・控え室
   深子、ズケズケと女店長の前へ。
女店長「……なにその格好」
   クスクスと笑う他の女の子たち。
   深子、無言のまま紙を差し出す。
   汚い字で『退職願』と書かれている。
   女店長、それを見るまでもなく、
女店長「あ、まだ伝えてなかったよね? うちの店ね、若返りを図ることにしたの」
深子「……え?」
女店長「だからお疲れ様でした。えっと……名前なんだっけ?」

○川沿いの土手
   深子、『退職願』をビリビリに破く。
深子「シュンスケ、助けてよ……」
   岩の下を覗くも、インコはいない。
深子「どこ行ったの……」   

○公園
   深子、上着を脱ぎ、木の枝にかけて、
   輪っかを作る。
   そこに首を通す。  
   が、木の枝が折れてドンッと落ちる。
   首吊り失敗。
深子「なにもうまくいかない……」
   深子、寝転がったまま横を見る。
   ベンチで焼肉弁当を食べているカップルの姿。
   リリカと彼氏である。   
   楽しそうに焼肉弁当を食べている二人。

○(フラッシュ)
   焼肉弁当を食べる深子と俊介。

○元の公園
   涙が出そうになる深子。
   が、グッと堪える。
   横になったまま、目を閉じる。

○『Happy Beauty SPA』・小部屋
   横になっている深子、目を開ける。
美海の声「また来てくれて嬉しいです〜」
   深子の背中にオイルを塗る美海。
美海「結構張ってますね〜。どこが一番お疲れですかぁ〜?」
深子「心です……アタシの心、張って張って張り裂けてると思います……」
美海「もしかして〜……恋ですかぁ?」
深子「……」
美海「やっぱり〜! 恋ってうまくいかないですよね〜」
深子「……いってるじゃないですか……好きな人と結婚できたんですから」
   フフッと笑う美海。
美海「美海、こう見えても、うまくいってなかったんですよ〜?」
深子「……え?」
美海「実は他に好きな人がいたんです。長いこと付き合ってて〜、結婚の話までしてたのに、フられましたけどね〜。なんか他に彼女がいたらしくて、美海、遊ばれてたんですよ〜」
深子「……」
美海「もうムカつきすぎて、滝に打たれにいきましたもん。祓いたまえ清えたまえ、祓いたまえ清えたまえ、えいっ〜!……って叫びながら、ボロボロに泣きました」
深子「……」
美海「そしたらなんかスッキリして……しかもその滝行した時に、今のダーリンと出会ったんです〜」
深子「……」
美海「今じゃ元カレのことなんてさっぱりですし〜、むしろダーリンのことしか考えられません」
深子「……」
美海「だから気持ちをリセットするのって結構大事なんだなぁ〜って……あ、なにが言いたいかっていうと〜、美海、今最高にハッピーで〜す!!」
   と、深子の背中をぐりぐり押す美海。
   しかし痛みも何も感じない深子。

○ゲームセンター(夕)
   メダルゲームをしている深子。
   覇気なくメダルを流し込む……と、隣から「パンパンッ」と叩く音。
   隣でゲーム中のおじいちゃんがおせんべいを割っている。
   ひびが入り、ほぼ粉々のおせんべい。
深子「(見て)……」
   と、深子の台が大当たり。
   メダルが溢れ出てくる。
   しかしふらっと立ち上がる深子。
   パンチングマシンの前に立ち、小銭を入れる。
   マシンが動き出し、小さいサンドバッグが起き上がる。
   画面に『GO!』の合図。
深子「……」
   ただならぬ雰囲気でグローブをつける深子。
   ふーっと小さく息を吐く。
   助走をつけて、思い切り振りかぶり、力一杯にパンチ! 
   が、空振り。
   くるっと回ってずっこける。

○道(夕)
   無表情で歩いている深子。
   と、前から小学生の男女が歩いてくる。
深子「(見て)……」
   その男の子、匠である。
   隣の女の子はいちごではない。
   新しく好きな人を見つけたようだ。
   女の子と夢中になって話している匠。
   深子に気付くことなく、真横を通り過ぎていく。

○アパート・201号室(夕)
   布団の上でスマホをいじっている深子。
   アルバムを見る。
   俊介と撮った写真が残っている。
   ラインを見る。
   俊介との通話履歴が残っている。
   俊介に電話をかけようか迷う。
深子「(小さく頷き)……」
   電話マークを押そうとした時、登録していない番号から着信が入る。
深子「シュンスケ……?」
   慌てて電話に出る。
深子「もしもし……!」
声「浅沼深子さんですか?」
深子「はい……」
声「警察です」

○交番(夜)
   突っ立っている深子。
   視線の先、事情聴取を受けている蟻田。
蟻田「この人に聞けばわかるっすから」
   机の上に名刺が一枚。
   深子が昔働いていた会社の名刺だ。
   そこに載っている深子の携帯番号。
深子「……」
警察官「先ほど大通り沿いにあるドトールからですね、怪しいソフトを売りつけている人がいると通報がありまして」
蟻田「だから売りつけてないっすよ…(深子に)なんかボクが無理矢理買わせたみたいになってて……助けてください」
   突っ立ったままの深子。
警察官「あなたもソフトを購入したと聞きましたが……彼に脅されましたか?」
深子「……(キッパリと)はい」
蟻田「ちょっ……違いますよ!」
   警察官、蟻田の身体を掴む。
蟻田「いや確かに最初は売ろうとしましたよ? 幸薄そうな人だから、仲良くすれば買ってくれるかなぁって」
深子「……は」
蟻田「けどしてないっす。おカネ持ってなさそうだからやめたんすよ。だってパフェ代の300円を根に持つ人っすよ? でもそしたら自分から買いたいって」
深子「違います、アタシは被害者です……何度も家に入られて、その名刺も盗まれて、終いにはただただ物を破壊してる意味不明のソフトまで買う羽目になって……どうしてあれを見たらヤなことから解放されるんですか? ああいうのは自分で壊すからスカッとするもんなんです!」
蟻田「自分で壊せないじゃないですか」
深子「……はい?」
蟻田「あんたみたいに自分で壊せない人のために、代わりにやって疑似体験させてあげてるんすよ」
深子「アタシみたいって……」
蟻田「だってそうっすよね? 元カレにフられたくらいで人生終わったみたいな顔して、うまくいかないこと全部をフられたせいにして、被害者面しながらバカみたいにずーっと引きずってて」
深子「……」
蟻田「一生元カレとの復縁を願っててください。一生鳥と意気投合しててください。一生賞味期限が切れた人生を送ってください。一生部屋でかくれんぼしながら、真っ黒のバナナになってください!」
   シシシッと笑う蟻田。
   深子、無言のまま蟻田に掴みかかる。
警察官「ちょっと……落ち着いて!」
   取っ組み合いになる二人。
   と、深子のスマホがバンッと落ちる。
深子「!」
   液晶画面が下の状態で落ちているスマホ。
   深子、拾って画面を見る。
   ひびが入っている。
深子「……」
   蟻田、走って出ていく。
警察官「ちょっとあなた……!」 
   深子、逃げる蟻田の背中に向かって、
深子「……3万返せー!」

○アパート・201号室(日替わり)
   陽が差し込んでいる。
   布団で寝ていた深子、もぞもぞと動く。
   スマホを見る。
   ひび。
   待ち受け画面のプリクラ写真、ハートマークが真っ二つに割れている。
深子「……」
   枕元にDVDソフトがある。
   『ぶっ壊せ!』と書かれたパッケージ。

○同・2階の廊下
   部屋から出てきた深子、ソフト片手に202号室へ。
   ソフトをドアに投げつける。
   201号室へ戻る。
   と、郵便受けに一万円札が3枚、雑に挟まっている。
深子「(それを引き抜き)……」
   再び202号室へ。
   ドアを叩く。
   何度も何度も叩く。
女の声「出ていきましたよ」
   住人の女が立っている。
女「それ……買ったんですか?」
   DVDソフトを顎でさす女。
女「私も売りつけられたんです。ってか、たぶんこのアパート全員。詐欺みたいなもんでしょうね」
深子「……」
女「怪しいなって思ってたんですよ。バームクーヘン片手に挨拶来たときから」
深子「……」
女「でも安心してください。管理人に連絡して追い出してもらったんで。これでスッキリですね」
深子「……キリしません」
女「え?」
深子「あの……出ていったの、いつですか」
女「ついさっきですよ。車で」

○道
   一万円札3枚を握り締めたまま、ダッシュしている深子。
   向こうに、薄い黄色の車が見える。
深子「……んな」

○川沿いの道
   走って車を追っている深子。
深子「……けんな」
   疲れて歩き始める深子。
深子「……ざけんな」
   やがて立ち止まる深子。
深子「……ふざけんな! 逃げんじゃねぇ、バームクーヘン!」
   薄い黄色の車は走り去ってしまう。
   その場にしゃがみ込む深子。
   と、真横をタクシーが通る。

○走るタクシーの中
   深子、猛烈に指示。
深子「絶対逃がさないで……前の車!」
運転手「は、はい!」
深子「もっとスピードあげて、スピード!」
   と、窓の向こう、何かが視界に入る。
深子「シュンスケ……?」
   インコが飛んでいる。
   飛んだり落ちたりを繰り返してうまく飛べない様子。
深子「……シュンスケだ、シュンスケ!」
運転手「?」
深子「ケガしてたんです……シュンスケ」
   不器用にも必死で空を飛ぼうとしているインコ。
   深子、じっと見る。

○(フラッシュ)
蟻田「自分で壊せないじゃないですか」

○元の走るタクシーの中
深子「……」
   と、ラジオの音声が耳に入る。
ラジオ音声「今日は日曜日。予定がない人は思い切って外に……」
   深子、握っているものを見る。
   一万円札が3枚。
深子「運転手さん……」
運転手「……はい?」
深子「今……何時ですか」
運転手「えー、11時半です」
深子「行き先……変更してもいいですか?」

○結婚式場・前
   綺麗な格好をした人ばかり。
   そこにタクシーがとまる。
   中から慌てて出てくる深子。
   ボサボサ髪、スウェット姿のままで。
運転手の声「ちょっとお客さん!」
   深子を追って出てくる運転手。
運転手「代金は」
深子「……今度払います」
運転手「今度って、持ってるでしょそれ」
   深子、握っている一万円札を見る。
深子「これは……ダメです」
運転手「え?」
深子「これがないと見れないんで……」
   時計台が12時を指そうとしている。
   深子、運転手に掴みかかる。
深子「お願いです……行かせてください。見ないと、誓いのキス見ないと、何も始まらないというか、スッキリしないというか、冬眠したままというか、一人でかくれんぼしたままというか……やっぱり、バナナおばけなんて言われたくないし、ただただ黒くなっていく人生もヤだし、このままだと百年…いや千年の孤独になりそうで、それはやっぱり寂しくて……もう35だけど、ネイルして、髪を巻き巻きさせて、好きな人とドライブしたり、海に行ったり、焼肉に行ったり、鍋したいから……だから、このままじゃ、こんなひびだらけの自分のままじゃ……悔しい!! すみません、よくわからないですよね……とにかく、なにが言いたいかというと、キスを見て、誓いのキスを見て、アタシを、今のアタシを……ぶっ壊したいの!!!」
   涙でボロボロな深子の顔。
運転手「(気味悪がり)わ、わかったよ……早く行け!」
   深子、結婚式場の中へ走っていく。

                   了

今日は映画何の日?

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