赤木圭一郎での検索結果

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  • 赤木圭一郎

    歯科医・赤塚俊之の2男。兄1人、姉2人、妹2人の6人きょうだいの4番目。戦時中、家族が鎌倉に疎開し戦後も定着したため湘南の海に親しんで育つ。湘南学園小学部、栄光学園中等部、県立鎌倉高校を卒業後、船乗りを志望して商船大学を受験したが合格せず、58年成城大学文学部へ入学、その夏、日活第4期ニューフェイスに応募して日活入社。数本の作品でたちまち人気を得てスターとなる。60年からは石原裕次郎、小林旭に次ぐ日活“第3の男”と呼ばれ、この年、映画製作者協会の新人賞を受けスターとして急成長しつつあったが61年、事故で急死し、伝説的な短い活躍期を終えた。赤木圭一郎のデビューは59年4月公開の「拳銃0号」である。これは1挺の拳銃が次々と人手に渡っていく間に起こる事件をオムニバスふうに描いた小品で、圭一郎はその中の1挿話の主人公を演じた。(それ以前、「紅の翼」(58)で遭難救援機の離陸を見送る群衆の中に彼の顔が見られる)。このあと61年2月公開の「紅の拳銃」まで24本、2年弱の彼の短いスクリーン・キャリアは修業時代と、スターになってからの“第3の男”時代に分けて考えることができるだろう。修業時代と呼べるのはデビューから「大学の暴れん坊」(59)までで、彼はこの間の約9カ月に主演、共演とりまぜて11本の作品に起用された。この中でとくに注目されるのは初主演作「素っ裸の年令」(59)で、これは2本立て添え物用のモノクロームの小品ながら、初期の鈴木清順監督の異色作としても記憶に残る1編である。圭一郎は米軍基地の中に見捨てられたカマボコ兵舎で一種のユートピア的な共同生活を営む非行ロー・ティーンたちの指導者を演じ、そのユートピアが崩壊しかかったとき無謀なオートバイ競走を行って崖から転落死をとげる。この設定は、今にして思えば、日活アクションの夢の終わりを見るのを嫌うかのようにゴーカートで事故死した彼の最期を暗示するかのようだ。この作品で注目された圭一郎は、次ぎの「清水の暴れん坊」(59)で裕次郎と共演する。このときの彼は、ラジオのプロデューサーである裕次郎の麻薬ルートの取材を妨害する麻薬組織側のチンピラであった。最後に拳銃を持って逃走した圭一郎が警官隊に包囲され、裕次郎に説得されて降伏するのだが、このとき警官隊のサーチライトの光の中に進みでた圭一郎の姿には、負け犬的な役でありながら、舞台のスポット・ライトを浴びたようなスター性があった。続いて「大学の暴れん坊」に主演するが、これは大学の柔道部の選手がキャバレーの用心棒として働くうちに悪事の内幕を知って悪玉と戦うというお話で、前作で発揮された彼の甘さの中にもかげりのある個性をとらえそこなった凡作であった。次ぎに「鉄火場の風」(60)で再び裕次郎を助演するが、このときは、すでに大スター裕次郎とじゅうぶんに拮抗するだけの華やかさを身につけていた。裕次郎がバーのカウンターの脇を通りかかると、止まり木にいた圭一郎がパッと脚を出して進路をふさぎ、挑むように笑いかけるのだが、この登場の瞬間には、それまでにない個性的存在感があった。こうして急成長をとげた赤木圭一郎は60年から“第3の男”と呼ばれ、裕次郎、旭に和田浩治を加えた、いわゆるダイヤモンド・ラインの一員として連続的に13本の作品に主演する。ダイヤモンド・ライン参加の第1作「拳銃無頼帖・抜き射ちの竜」(60)は、その後の赤木圭一郎のイメージを決定した佳作であった。圭一郎の演じる抜き射ちの竜こと剣持竜次は、決して相手を殺さず肩を射ちぬいて利き腕を失わせるだけで勝負をつける拳銃使いである。映画の冒頭、彼はある組織のボスを、例によって肩を狙って射つが、物陰から同時に発射された弾丸が相手を殺す。この隠れた殺人者を追った主人公は麻薬の禁断症状で倒れるが、宍戸錠の演じるコルトの銀という拳銃使いに救われて入院し、麻薬中毒から全快する。彼はこの機会に拳銃を捨てようとするが、コルトの銀を通じて入院費用を出したというボス・西村晃に借りを返すために雇われ、麻薬組織間の争いに巻きこまれて再び拳銃の引き金を引くことになる。この作品はシリーズ化され「電光石火の男」「不敵に笑う男」「明日なき男」(60)と合わせて計4本がつくられた。主人公・竜が拳銃を捨てたがっているのに捨てきれないのは4本に共通した設定で、圭一郎の甘さの中にもかげりのあるマスクは、この心ならずも暗い過去にひきずられていく若き拳銃使いをロマンティックなヒーローとしてスクリーンに定着した。一貫してライヴァル役を巧みに演じた宍戸錠の支えもあって、このシリーズは荒唐無稽なうちにも大人の童話としての虚構的リアリティを感じさせることで日活アクションの絶頂期を代表する作品群となった。「打倒(ノツク・ダウン)」(60)は圭一郎が電気工学の研究者である兄を救うためプロのボクサーとなってチャンピオンに挑戦するボクシング映画で、試合のシーンに迫力があり彼の新しい魅力を見せた。圭一郎は「邪魔者は消せ」(60)で麻薬Gメンとなって暗黒街に潜入し、「男の怒りをぶちまけろ」(60)では社会部記者となってダイヤ強奪事件を探ったが、この2本は比較的平凡な作品に終わった。続く「霧笛が俺を呼んでいる」(60)では船員となって旧友の死の秘密を探るが、ここではマドロス姿がよく似合ったうえに、霧の流れる埠頭で死んだ友人の妻である歌手・芦川いづみと恋のささやきを交わすという設定が彼のロマンティックなイメージをさらに拡大した。また、圭一郎は「拳銃無頼帖・抜き射ちの竜」(60)いらい、自ら主題歌を歌っていたが、この「霧笛が俺を呼んでいる」(60)の主題歌がはじめてかなりのヒットになった。「海の情事に賭けろ」(60)で圭一郎は自分そっくりの拳銃使いと間違えられ、その謎を探るため相手になりすましてギャングの世界に入る。「幌馬車は行く」(60)では強盗団の一味となって傷つき、養蜂業の馬車隊に救われたのち、むかしの仲間と縁を切るために戦いを挑む。「錆びた鎖」(60)では、父を謀殺して荷役会社を乗っ取ろうとするギャングの陰謀をあばく。以上3本は、また比較的平凡な出来だった。「俺の血が騒ぐ」(61)は主人公が、父が殺される原因となった船の保険金詐欺の黒幕をつきとめるという物語で、ミステリー的興趣の大きい佳作だった。遺作となった「紅の拳銃」(61)は圭一郎が垂水悟郎に殺し屋として育てられ、暗黒街に売りこまれるという話で、拳銃のテクニックを分析して見せる殺し屋教育の過程に奇妙なリアリティがあるうえ、華麗なガン・プレイがストーリーと必然性をもってからみ合う点で、殺し屋物の集大成的魅力があった。また主人公と盲目の少女・笹森礼子との恋も哀愁をこめて描かれており、その甘い雰囲気も捨て難い。61年2月14日、デビューいらい25本目の「激流に生きる男」を撮影中、圭一郎は撮影所内でゴーカートに乗り遊んでいるとき操作を誤って倉庫に激突、ただちに慈恵医大病院に運ばれたが、2月21日午前7時50分、21歳の短い生涯を終えた。赤木圭一郎の存在はその劇的な死によって神格化されており、そのことに対する批判がないでもない。しかしかなり醒めた眼で見ても、彼の天才の恵まれた体躯と容貌を考え、その短い活躍期が日本映画が大衆娯楽の王座であった最後の時期に重なり合った偶然を考えあわせると、彼は神話に価するまれな選ばれた存在であったと考えるのに、そう無理はない。