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武重邦夫の関連作品 / Related Work
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父をめぐる旅 異才の日本画家・中村正義の生涯
制作年: 2012戦後、“日本画滅亡論”まで登場した日本画壇において、新しい時代の新しい日本画の創造を目指して活躍した中村正義の生涯を追うドキュメンタリー。神奈川県に設立された「中村正義の美術館」を守り続けてきた正義の娘・倫子さんが、自分の未だ知らない本当の父の姿を探して旅をしながら、人間・中村正義とその生きた時代を描き出す。今村昌平とともに今村プロダクションを設立し、「楢山節考」の監督補や「女衒」のプロデューサーを務めた武重邦夫と、数々のTVドキュメンタリー等を手がけてきた近藤正典が共同監督。日本画壇の重鎮・中村岳陵の画塾に入門し、本格的に画家としての道を歩み始めた正義は1946年、22歳で日展に初入選。たちまち頭角をあらわし、早世の天才日本画家・速水御舟の再来とも言われ将来を嘱望された。26歳で特選を受賞、36歳という若さで日展審査員に推挙され、若くして日展の頂点に登り詰めながらも、古い体質の画壇、権威主義的体質に異を唱え、日展を脱退。それ以降は画風を一転させ、絵具に蛍光塗料を混ぜて描いた《男と女》や《舞妓》のシリーズ、現代社会に生きる人間の《顔》に現れた心の闇を描いた作品群、ポップアートかと見紛う肖像画など、日本画の既成概念を遥かに超越した多様多彩な作品を次々と発表していく。謎の浮世絵師・写楽の実像を画家の立場から探求することにも精力的に取り組んだ。だがそんな正義の生涯は病との闘いでもあった。二十代で結核を患い、後年癌を発症。52歳という若さで逝去。旧勢力からの圧力や妨害を受けながらも、自らの信念を曲げず、死と向き合いながら真の創造を求め続けて生涯を終えた……。 -
だんらんにっぽん 愛知・南医療生協の奇跡
制作年: 20111959年の伊勢湾台風で多数の犠牲者を出したことをきっかけに発足した名古屋市南区の南医療生協。6万人にも及ぶ会員たちの自由な意見交換によって活気あふれる運営を行なっているこの組織の姿を通して、現代における地域社会のあり方を模索するドキュメンタリー。監督は「葦牙 あしかび こどもが拓く未来」の小池征人。 -
葦牙 あしかび こどもが拓く未来
制作年: 2009岩手県盛岡市の児童養護施設「みちのくみどり学園」の子どもたちを追ったドキュメンタリー。「いのちの作法 沢内「生命行政」を継ぐ者たち」の小池征人監督が、虐待を受けた子どもたちの再生を紡ぎ出す。撮影は「バオバブの記録」の一之瀬正史。盛岡市の北に位置する閑静な住宅地の中にある「みちのくみどり学園」。現在、在園児童の約7割が被虐待児といわれ、県内各地域の親元を離れた子どもたちが集団生活を営んでいる。選んでここを訪れる子どもはいない。ましてや選んで託す親もいない。必然的介入を余儀なくされた家族が分離し、ここから再生のための一歩に踏み出すのである。施設職員は岩手県の様々な地域と連携し、子どもたちの“こころ”の回復に取り組んでいる。一関市室根の太鼓合宿、西和賀町の生活体験合宿、そして、職員と子どもたちの共同作業から生まれる弁論大会。彼らは“人・自然・文化”のつながりを活かしながら、子どもたちの“こころ”を再生させていく。そしてそこには、冬の厳しさを越え鮮やかな生命を芽吹かせる葦の若芽“葦牙(あしかび)”の如く力強く生きている子どもたちの姿があった……。 -
いのちの作法 沢内「生命行政」を継ぐ者たち
制作年: 2008豪雪・貧困・多病多死の三重苦を克服し、“日本一の保健の村”として生まれ変わった岩手県西和賀町(旧沢内村)の姿を通して、日本人が忘れかけた本当に価値あるものを映し出す。「掘るまいか」プロデューサー武重邦夫主宰のスーパースタッフプログラム研究生の企画を映画化。監督は「白神の夢 森と海に生きる」の小池征人。