端的にそれは『絶対映画』というもの。
ながらく時代せいもあって、おもにとくていのある一定の観客がひつようとした、そのことでの軌道しゅうせいと読みこみのうえでの再認識(理由としてはおおよそはんだんしかねる釈ぜんとしないものへの疑問符が多々あるばあいによくおもうこと)。だからこそ新作の公開がまちのぞまれるつねにゆるぎない『(絶対)ベクトル』。本作は映画監督ジャン・リュック・ゴダール氏のながい作品履歴からいっても制作とうじ正規上映によって配給こうかいされた、ソフトのVTRはじゅんとうにおおくが市場にでまわったことからも、メジャーであり比較てき近年の作品です。
(映画における)『作家』の古典であるゴダール氏のそのねづよい支持は旧作へのげんきゅうがほとんどであり、じっさいには職業てきデレクターとしてげんえきでありつづけその時代じだいにつねにいっせきの啓示をしめすことでの、最大の才能であり最高のアイコンでイコンであることに違いはないものの、それをライブとして劇場でみるうえで観客はいったいどれほど、あくまで純粋に映画として、うけとめたりえるものかはむずかしいです。
いっこうにおこたらず更新されつづける工学(技術)における『映像言語』はまずは目にするだんかい(映像)と耳にするだんかい(音響)に二分されます。
そのかたいルクスによる透明度のたかいあくまでパステル調のぶたいとなる地域(スイス郊外)の光線をとらえたフィルムによるいうまでもない『きちょう(光景)』にふかい造詣による『(境地としての)人物像』、従来からの原色系をもちいた小道具などの『色彩』と困難きわまるなやましくもきびしい(カメラにのみつきるきょくどの)『ながまわし』と『描写(構図)』、そして『編集(カッティング)』。
録音には作家による(ゴダール氏)初のフルのドルビー方式で、がんらいテクストのことばに(観客における)『内在』することのふかい発露と(かたられるそれにたいし)、耳につきただうるさいだけの端的な(換骨奪胎されもはやられつされるだけでしかない)『スラング(のろわしくおろかでしかない歴史てき語句のかずかず)』をいまだきろくすることでの円熟した(もはや手法としてかんせいされつくした)構造の『脱構築』、だんぜつしあいいれずへいこうせんをたどることの映像と音響そうほうの事情に(悟りきづくこと)、まったくことなった劇映画の世界をあくまでていきょうする手腕は、唯一このデレクターの作家せいこそをしめすはずが、ほんさくではそれはすでにべつじんであってそのとうじしゃはもはやいないも同じなのだと語られているもどうぜんなのです。
『西洋』ということ。やはり必然てきにひとはとしおいるものかもしれない。どの時代にどのような事情があるのかそれすら。ほんぺんの序盤にげんきゅうされる『ロマネスク』というものに『(劇映画においてはまさにすべてにひとしい)メロドラマ』いじょうのものをほっするという告白と発言からいまだ『きざし(というもの)』のそんざいをかくしんする近況をいまだおぼえます。
三つのペルソナ、それは映像によっては三つの段階、三つのひとの人格における心境と品格、かりに『マインド』、超越てきにいっぽうからただとおりすぎるだけでの、私たちがふだん目する世界において、その位格を、ありのまま直線てきに真相としてとらえるとき、混乱だけがノイズとしてのこる(ものかもしれない)。
だったらなにが記録のうえにあるのか。
たとえばありふれた夫婦の会話。彼女(ラシェル)は貞淑に夫とのなかをいつもおもう。そのひ夫はでかけていてすくなくとも今夜はかえってこない。ひとりでまつつもりだった。とうぜんのように。けれども(それだけをきにとめながらも)なぜかその夜はふしぎと夫のようでありそれにちがわない(じっさいシモンとなのる容貌のおなじ)見知らぬおとこと顔をあわせすごすはめに。まったくその理由がわからずじまいのままにいつものようにふるまっていた。
(原作)戯曲にたいしもはやそこでかたられている出来事をあらためて調査するというありふた常套句でもっとも高度で超越てきな『探偵』というものに人妻のじじょうと不貞のできごとをさいげんする。
げんにデレクターがいちどもおこたらなかったはずの『ストーリー(脚本)』というものに自分てきなたいおうのわるさにうんざりしたのかほんぺんによる劇的で臨場てきな『出現(の場面)』は、もちろん最低げんそのすじょうとゆえんをかんがえるときに、まさに焦点こそはあくまでヘビーであるのだと確信します。
ぜんぺんに(いつものごとくのそのチンピラめいた演出手腕で)『コント』としてすべてをしめたとき、なぜかあの完璧だったころの、例えばルヴィッチの作品、『(じじょうとしてのそのセックスにまつわる極限じょうたいでのモラルにのみつきる場合の)コメディー』をけっていてきにそうきする印象と記憶がまだ観客にあるものであるのなら(はたしていぜんにそんな顛末はあったのだろうか?。今回は万事すべてとりとめたといえるのか?)。
物語は夫妻がねんがんのかいもの(ホテル)のこうにゅうのためのチェックをきったことで幕をおろします。すでに出来事はそれいぜんのものでおよそにいまにいたってしるよしもないと断定されているだけでしかない。
つまり観客はまたしてもメロドラマ(ダンディズム)における台詞と心情をただいだくだけのことでしかない。すくなくともある世界では不条理と金勘じょうはまさにせぼねのようであり有効で老成したうえでのがいねん『モラル』と『青春』だけがある。
かりにもふりかえるおもいかえすことがある場合。それはある世代には特権てきゆえんで必然てきな出来事である(記憶)。けっしてすべてわすれているわけではない。まったくことなっていながらもことのしんいはいまだ(それにこそ)そんざいするものだからです。
ゴダールの決別 デジタルリマスター版 [DVD]
フォーマット | 色, ドルビー, ワイドスクリーン |
コントリビュータ | ベルナール・ヴェルレー, ロランス・マスリア, ジャン=リュック・ゴダール, ジェラール・ドパルデュー |
言語 | フランス語 |
稼働時間 | 1 時間 24 分 |
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商品の説明
レビュー
製作: アラン・サルド 監督・脚本: ジャン=リュック・ゴダール 撮影: カロリーヌ・シャンプティエ 出演: ジェラール・ドパルデュー/ロランス・マスリア/ベルナール・ヴェルレイ/ジャン=ルイ・ロカ
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- 言語 : フランス語
- 梱包サイズ : 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 83.16 g
- EAN : 4947864903121
- 監督 : ジャン=リュック・ゴダール
- メディア形式 : 色, ドルビー, ワイドスクリーン
- 時間 : 1 時間 24 分
- 発売日 : 2005/8/26
- 出演 : ジェラール・ドパルデュー, ロランス・マスリア, ベルナール・ヴェルレー
- 字幕: : 日本語
- 言語 : フランス語 (Dolby Digital 2.0 Stereo)
- 販売元 : TCエンタテインメント
- ASIN : B000A1EFN2
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 160,029位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 15,911位外国のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
-
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上位レビュー、対象国: 日本
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2024年3月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昔観た時はピンと来なかったのですが、あらためてIVCのBlu-ray盤で観ると、鮮明な映像と立体的な音響の効果も高く、とても楽しめました。1980年代に商業映画で復活を遂げたゴダールが、映像と音響の極北を目指して突き進んだ傑作のひとつです。
2010年12月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ゴダールの映画に娯楽性を期待するというのも酷な話。しかし、『軽蔑』、『男と女のいる舗道』、『女は女である』などは心底胸にせまる娯楽性というか魅力があるのに対し、本編はあまりにも独りよがり、かつ暴力的に断片的でわかりづらい。せっかくのドパルデューも活かされていない感じは否めない。景観描写が極めて美しいことは認めるが、それだけがこのフィルムの見所と言っても過言ではない。
2004年11月14日に日本でレビュー済み
改めて久しぶりに見たが、おそらく小説などからの引用と思われる唐突なセンテンスの挿入は私には理解できないものがほとんどだが、ストーリーの骨格と思われる、男女の性と(キリスト)信仰の類似性というテーマは比較的分かりやすい。
私なりの解釈だが、一貫してゴダールは男女の関係性を主たるテーマとして映画を作り続けたと思うが、その時々のゴダールの私的な男女関係のあり方がゴダールの男女関係の認識に色濃く反映し、その認識がその時々の作品のテーマとなっているのではないかと推測している。
乱暴な分析をあえてすれば、初期は運命的な悲劇性、中期は共産主義との関連、そしてここ最近はキリスト教との関係性を通して男女関係を表現していると推測する。
この「決別」という作品は、これもまた私的な解釈だが、古典的な1枚の絵があるとして(想定するのは物語性のある宗教画だが)、そういった絵画が表現する世界は、個別の男女関係から神との関係性まで語っているように受け止められることがある。そういったことを映画として表現しようとしたのがこの作品ではないかと思う。
映画という方法は当然いろいろ制約があるが、従来の宗教画が表現してきたものと最も近い形の映画がこの「決別」ではないか。
内容が分かりづらいことが足かせになってなかなか大通りで評価されるのは難しいかもしれないが、映画という表現方法のある意味でひとつの頂点であると思う。
私なりの解釈だが、一貫してゴダールは男女の関係性を主たるテーマとして映画を作り続けたと思うが、その時々のゴダールの私的な男女関係のあり方がゴダールの男女関係の認識に色濃く反映し、その認識がその時々の作品のテーマとなっているのではないかと推測している。
乱暴な分析をあえてすれば、初期は運命的な悲劇性、中期は共産主義との関連、そしてここ最近はキリスト教との関係性を通して男女関係を表現していると推測する。
この「決別」という作品は、これもまた私的な解釈だが、古典的な1枚の絵があるとして(想定するのは物語性のある宗教画だが)、そういった絵画が表現する世界は、個別の男女関係から神との関係性まで語っているように受け止められることがある。そういったことを映画として表現しようとしたのがこの作品ではないかと思う。
映画という方法は当然いろいろ制約があるが、従来の宗教画が表現してきたものと最も近い形の映画がこの「決別」ではないか。
内容が分かりづらいことが足かせになってなかなか大通りで評価されるのは難しいかもしれないが、映画という表現方法のある意味でひとつの頂点であると思う。
2016年7月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
★5つを付けておいて、こう書くのもヘンだが、‘私とって痛恨(←本作の原題)’な事にこの映画は何度観てもワカラない。 でも、何度も観る・・・まるで ‘神の言葉’ のようだから。(又はソニマージュ・・・らしいから)
と、イキナリ 無茶 なことから書き出す前に、この 紀伊国屋版DVD (2014発売)についてから書きたい。(本作は、このソフトが初見なので旧ソフトとの違いは残念ながら不明です)
画質は息を呑むほど(!)素晴らしい。音質もクリア。1993年の映画としては最高レベルの品質だ。 よく字幕の不出来で物議を醸す ‘STUDIO CANAL’ のソフトだけど、こと画質に関してはハズレがない気がする (うーむ、ブルーレイならもっと良かったか?)。で、このソフトの 字幕の出来は ・・・よくワカラないです・・・(理由は下記)。
仕様 について書くと、映像特典は予告編のみ。他に56ページにわたる 恐ろしく詳細 な解説リーフレットが封入される。このリーフレットが素晴らしい、と言うか・・・はっきり書けば ‘助かる’。
本作は、回想部分とそれ以外の部分 (夢等の幻想的な部分を含む) が入り組み、時制も混乱した複雑な構成になっている。恐らく同時代の他ゴダール作品よりも複雑だと思う。 なのに、説明は一切無いので普通は訳がワカラなくなる。私など、リーフレットの解説頼りに一時停止を繰り返しながら本作を観てしまったほどだ。 その情けない鑑賞スタイルは、もはや 映画鑑賞 というより パズルを解いている に近かった・・・そのとき私はパズラーだった。しかも、そこまでしてもワカラないし・・・。まあ、ゴダール最新作 『さらば、愛の言葉よ(2014)』 のワカラなさ、よりはマシな気もするけど・・・(余談だが、『さらば~』は本作の続編?なんて話もある →引用元 『ゴダール原論』)。
とか言いながら、パズル気分で本作を観るもの オツなもの ではあった。パズルの攻略本(←解説リーフレットのこと)も便利だったし・・・。
と、ここでレビュー終了 でも、ある意味 正しい気がする・・・のだが、これでは ‘私とって痛恨’ な事に★5つにした本当の理由が書けていない。もうすこし粘ろうと思う。
ただ、ワカラないのは同じだから 気分的 なことしか書けないだろう。 ココからは、まさに蛇足だ。
・・・・・・(以下・蛇足)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記のように私は 物語としての 本作を楽しめた訳ではない。‘ストーリーも、状況も、時制も、ついでに誰が主人公かも(!)、イマイチわからない’ のだから楽しみようもない。 初見の方は粗筋くらい読んでおいた方がいいと思う (それくらいじゃ、ワカラないと思うけれど)。
多分、演ってる方 (俳優) も同じじゃないだろうか。本作の主人公役 (←推定) のジェラール・ドゥパルデューは本作のプロモーションに一切(!)協力しなかったというが、その辺り ‘も’ 原因のような気がする (現場でゴダールと折り合いが悪かった・・・そうなので、それが主な原因かもしれないが)。因みに、本作のフランスにおける興行成績は失敗だったという。一般的娯楽映画として受けるか?といえば・・・さもありなん、といったところだろうか。
しかし、私はこのDVDを何度も観ている。 ワカラなくても観ている。 楽しいからだ。
楽しいのは ‘美しい画面と音響・音楽のミックス’ ぶり。それには、引用に満ちた (私には全く理解不能な) ダイアローグ・モノローグの 入れ込み方 も含まれる。正に ‘ゴダール的’ と言いたくなる感覚(映像+音響の世界)だ。これは神業のように思える感覚だが本作は特に刺激的。ワカラない分、感覚だけで観ている からかもしれない。どのみち 神の言葉 などワカラないのだ (字幕いらないかも・・・どうせ、ワカラないのだから・・・だから、このソフトの字幕が良いか悪いかもワカラない・・・)。
この感覚、60年代ゴダール作にもあるが、80年代以後さらに鋭くなる。色彩だって60年代のようなポップな色使いはない。ポップさ・・・というかある種の 映画に対する無邪気さ が消えて極度に洗練された、というべきか。これが ‘(音+映像の実践→)ソニマージュ’ ってやつだろうか?。とにかく、本作のそれは神業的領域に達しているように感じられる (そう 感じるだけ・・・ホントはワカラない・・・ソニマージュってヤツもワカラない)。
そんな調子で、本作を観ていると ‘コレって娯楽映画なのかしら?’ という疑問も吹っ飛び、ただ ‘神の言葉はワカラない’ となるが、神々しさ だけ は 感覚 としてワカる。・・・美しい画面と音響・音楽のミックス・・・クラブミックスCDのようのような刺激・・・理屈じゃない(理屈でワカラない)気持ちよさ・・・本作は、その頂点のひとつなのだろう。
ここでゴダールの発言を再度引用したい。 (以前も『右側に気をつけろ(1987)』レビューで引用しました)
『僕の映画の全てを理解したわけじゃない、などと口にする人がいる。でも僕の映画には理解すべきことなどなにもない。耳を傾けさえすれば、そして受け入れさえすればいいんだ。』
ゴダールの言う意味とは(多分)違うけれど、理屈じゃなく、ただ観て感じればいいっていうのはある。 これだけで、私は本作に★を5つ付けてしまうほど好きだ。
しかも・・・上記のように ‘パズラー的楽しみ’ も濃厚にある。つまり、二度楽しめるということだ。 コイツはお得。アーモンドグ●コ並みである。フツーの娯楽映画を楽しむ感覚からは パラダイムチェンジが必要 かもしれないけれど・・・凄まじく とっつき が悪いけど・・・コレは十分楽しい。そして、神々しさが凄い。
何度観てもワカラン本作・ 『ゴダールの決別』 は、・・・神の言葉であって・・・娯楽映画でもあって・・・気持ちよくて・・・★5つで・・・とにかく、何度も観てしまうのだ。
(と、書きつつ ‘ゴダールは好きですか?’ と問われると、素直に頷けない私でもある・・・・)
・・・・・・(蛇足・終わり)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と、イキナリ 無茶 なことから書き出す前に、この 紀伊国屋版DVD (2014発売)についてから書きたい。(本作は、このソフトが初見なので旧ソフトとの違いは残念ながら不明です)
画質は息を呑むほど(!)素晴らしい。音質もクリア。1993年の映画としては最高レベルの品質だ。 よく字幕の不出来で物議を醸す ‘STUDIO CANAL’ のソフトだけど、こと画質に関してはハズレがない気がする (うーむ、ブルーレイならもっと良かったか?)。で、このソフトの 字幕の出来は ・・・よくワカラないです・・・(理由は下記)。
仕様 について書くと、映像特典は予告編のみ。他に56ページにわたる 恐ろしく詳細 な解説リーフレットが封入される。このリーフレットが素晴らしい、と言うか・・・はっきり書けば ‘助かる’。
本作は、回想部分とそれ以外の部分 (夢等の幻想的な部分を含む) が入り組み、時制も混乱した複雑な構成になっている。恐らく同時代の他ゴダール作品よりも複雑だと思う。 なのに、説明は一切無いので普通は訳がワカラなくなる。私など、リーフレットの解説頼りに一時停止を繰り返しながら本作を観てしまったほどだ。 その情けない鑑賞スタイルは、もはや 映画鑑賞 というより パズルを解いている に近かった・・・そのとき私はパズラーだった。しかも、そこまでしてもワカラないし・・・。まあ、ゴダール最新作 『さらば、愛の言葉よ(2014)』 のワカラなさ、よりはマシな気もするけど・・・(余談だが、『さらば~』は本作の続編?なんて話もある →引用元 『ゴダール原論』)。
とか言いながら、パズル気分で本作を観るもの オツなもの ではあった。パズルの攻略本(←解説リーフレットのこと)も便利だったし・・・。
と、ここでレビュー終了 でも、ある意味 正しい気がする・・・のだが、これでは ‘私とって痛恨’ な事に★5つにした本当の理由が書けていない。もうすこし粘ろうと思う。
ただ、ワカラないのは同じだから 気分的 なことしか書けないだろう。 ココからは、まさに蛇足だ。
・・・・・・(以下・蛇足)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記のように私は 物語としての 本作を楽しめた訳ではない。‘ストーリーも、状況も、時制も、ついでに誰が主人公かも(!)、イマイチわからない’ のだから楽しみようもない。 初見の方は粗筋くらい読んでおいた方がいいと思う (それくらいじゃ、ワカラないと思うけれど)。
多分、演ってる方 (俳優) も同じじゃないだろうか。本作の主人公役 (←推定) のジェラール・ドゥパルデューは本作のプロモーションに一切(!)協力しなかったというが、その辺り ‘も’ 原因のような気がする (現場でゴダールと折り合いが悪かった・・・そうなので、それが主な原因かもしれないが)。因みに、本作のフランスにおける興行成績は失敗だったという。一般的娯楽映画として受けるか?といえば・・・さもありなん、といったところだろうか。
しかし、私はこのDVDを何度も観ている。 ワカラなくても観ている。 楽しいからだ。
楽しいのは ‘美しい画面と音響・音楽のミックス’ ぶり。それには、引用に満ちた (私には全く理解不能な) ダイアローグ・モノローグの 入れ込み方 も含まれる。正に ‘ゴダール的’ と言いたくなる感覚(映像+音響の世界)だ。これは神業のように思える感覚だが本作は特に刺激的。ワカラない分、感覚だけで観ている からかもしれない。どのみち 神の言葉 などワカラないのだ (字幕いらないかも・・・どうせ、ワカラないのだから・・・だから、このソフトの字幕が良いか悪いかもワカラない・・・)。
この感覚、60年代ゴダール作にもあるが、80年代以後さらに鋭くなる。色彩だって60年代のようなポップな色使いはない。ポップさ・・・というかある種の 映画に対する無邪気さ が消えて極度に洗練された、というべきか。これが ‘(音+映像の実践→)ソニマージュ’ ってやつだろうか?。とにかく、本作のそれは神業的領域に達しているように感じられる (そう 感じるだけ・・・ホントはワカラない・・・ソニマージュってヤツもワカラない)。
そんな調子で、本作を観ていると ‘コレって娯楽映画なのかしら?’ という疑問も吹っ飛び、ただ ‘神の言葉はワカラない’ となるが、神々しさ だけ は 感覚 としてワカる。・・・美しい画面と音響・音楽のミックス・・・クラブミックスCDのようのような刺激・・・理屈じゃない(理屈でワカラない)気持ちよさ・・・本作は、その頂点のひとつなのだろう。
ここでゴダールの発言を再度引用したい。 (以前も『右側に気をつけろ(1987)』レビューで引用しました)
『僕の映画の全てを理解したわけじゃない、などと口にする人がいる。でも僕の映画には理解すべきことなどなにもない。耳を傾けさえすれば、そして受け入れさえすればいいんだ。』
ゴダールの言う意味とは(多分)違うけれど、理屈じゃなく、ただ観て感じればいいっていうのはある。 これだけで、私は本作に★を5つ付けてしまうほど好きだ。
しかも・・・上記のように ‘パズラー的楽しみ’ も濃厚にある。つまり、二度楽しめるということだ。 コイツはお得。アーモンドグ●コ並みである。フツーの娯楽映画を楽しむ感覚からは パラダイムチェンジが必要 かもしれないけれど・・・凄まじく とっつき が悪いけど・・・コレは十分楽しい。そして、神々しさが凄い。
何度観てもワカラン本作・ 『ゴダールの決別』 は、・・・神の言葉であって・・・娯楽映画でもあって・・・気持ちよくて・・・★5つで・・・とにかく、何度も観てしまうのだ。
(と、書きつつ ‘ゴダールは好きですか?’ と問われると、素直に頷けない私でもある・・・・)
・・・・・・(蛇足・終わり)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2002年12月1日に日本でレビュー済み
神が人妻と交わるというギリシャ神話をふまえているらしい。賢く美しい女性アレクメーネを見初めたゼウスが、許婚のアンフィトリオンになりすましてアレクメーネと交わり子をなす。その子がヘラクレス。そして神の声はゴダール自身。ときおりピアノが奏でる不協和音が衝撃的で、根源的な畏怖の念のようなものをかきたてる(根源的な畏怖の念など経験したことはないのに)。
2007年2月8日に日本でレビュー済み
1993年にフランスとスイスで共同制作された珍しい映画。原作はジャン・ジロドゥの戯曲「アンフィレリオン38」。キリスト教というものが解っていないと原作も難解だが、加えておなじみのゴダールの世界。原作は5つの章に分かれているが、画像の方はさらに断片化されており、難解の二乗。レマン湖周辺に住む夫妻の夫、シモン役をジェラール・ドバルデューが演じており、これは最適役。彼は独特の世界を持っており、日本にも熱狂的ファンが多い。画像は美しく、こういうドラマ性が好きな人もかなりいると思うし、なんちゃって仏教徒でもテーマくらいは解るので「ゴダールの世界」を見る価値はあると思う。