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桜桃の味 ニューマスター版 [DVD]
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フォーマット | 色, ドルビー, ワイドスクリーン |
コントリビュータ | アブドルホセイン・バゲリ, ホマユン・エルシャディ, アフシン・バクタリ, ホセイン・ヌーリ, アリ・モラディ, アッバス・キアロスタミ |
言語 | ペルシア語 |
稼働時間 | 1 時間 39 分 |
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商品の説明
2016年に死去したイランの巨匠、アッバス・キアロスタミ監督の代表作が4Kニューマスターを使用してDVD再リリース
【ポイント】
★第50回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞
★最新の4Kニューマスターを使用
【作品内容】
1997年カンヌ国際映画祭パルムドール受賞
巨匠アッバス・キアロスタミの名前を不動のものにした不朽の名作!
【あらすじ】
土埃が舞う道中、一台の車を運転する中年男バディ。
彼は、街ゆく人々に声をかけ、車のなかに誘い入れてはある奇妙な仕事を持ちかける。
「明日の朝、穴の中に横たわった自分に声をかけ、返事があれば助けおこし、返事がなければ土をかけてほしい。
そうすれば大金を君に渡そう」。
人生に絶望したバディの自殺幇助の頼みを、車内に招かれた、クルド人兵士、アフガン人の神学生らはみな拒絶する。
だが最後に乗せたひとりの老人は、生きることの喜びをバディに語って聞かせるのだったーー。
一台の車のなかで展開される生と死をめぐる果てない会話。
自殺という深遠なテーマを扱った物語は、やがて思いもかけぬラストと共に、見る者に生の喜びと人生の美しさを教えてくれる。
【キャスト】
ホマユン・エルシャディ
アブドルホセイン・バゲリ
アフシン・バクタリ
アリ・モラディ
ホセイン・ヌーリ
【スタッフ】
監督・脚本・製作・編集:アッバス・キアロスタミ
撮影:ホマユン・パイヴァール
録音:ジャハンギール・ミルシェカリ/モハマッド・レザ・デルパック
助監督 ハッサン・イェキタ/バフマン・キアロスタミ
【DVD仕様】
1997年/イラン・フランス/カラー/本編99分/ビスタサイズ/片面1層/音声:ドルビーデジタル2.0ch/日本語字幕/1枚組
※仕様は変更となる場合がございます。
(C)1997 Abbas Kiarostami
発売元:TCエンタテインメント
販売元:TCエンタテインメント
その他:提供:ザジフィルムズ
登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- 言語 : ペルシア語
- 製品サイズ : 30 x 10 x 20 cm; 82 g
- EAN : 4562474199179
- 監督 : アッバス・キアロスタミ
- メディア形式 : 色, ドルビー, ワイドスクリーン
- 時間 : 1 時間 39 分
- 発売日 : 2019/3/6
- 出演 : ホマユン・エルシャディ, アブドルホセイン・バゲリ, アフシン・バクタリ, アリ・モラディ, ホセイン・ヌーリ
- 字幕: : 日本語
- 言語 : ペルシア語 (Dolby Digital 2.0 Stereo)
- 販売元 : TCエンタテインメント
- ASIN : B07K463VK4
- 原産国 : 日本
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 108,758位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 10,400位外国のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
キアロスタミ監督の他の何作品かもそうですが、「車を走らせる人」のふつうの感じからさりげなく始まり、いったいどういう状況かわからない。そこにとても吸引力があって、本作の場合「典型的におじさんな、そして少し重い感じの男の人(バディ氏)はいったい何?」ということが、次々と出会う人へのバディ氏の「依頼」の中から少しずつ分かってくるのがとても面白いのです。「依頼内容」は決して軽くないのですが、笑わせようとはしていないところから滲み出る可笑しさ、そのムードが本当にたまらない。
バディ氏の車が「目印の木のある地点」を行ったり戻ったりグルグルする不思議ロードムーヴィーであるこの話に関わってくる人たちは、皆ふつうの日常を肩ひじ張らず生きていて・・・最後に出てくる博物館で剥製を作る仕事のお爺さんはプロの俳優さんで『友だちのうちはどこ?』のコブ爺さんと似たタイプですが、他はほぼ素人の方なのか?自然なホッとする雰囲気をキアロスタミ監督はとても上手く引き出されますね。
そうした人たちがバディ氏のとてつもない「依頼」を聞いてもちろん皆断るのですが、その人たちのリアクションがどの人も決して派手でなくふつうにありそうに自然なのが本当に面白く・・・また、バディ氏は何かの「悩みが勝ってしまった」らしい世界に入り込んでいて重苦しいのがかえって可笑しくなってしまい、映画が進むにつれてバディ氏の考えていること、頼みたいことの全貌が明らかになって行くよう上手く工夫されています。
<内容に触れます>
まずop、バディ氏は職探しの人で混雑する市街地を車で行き、人々はバディ氏の車に近寄って「仕事ありますか?」と聞いてきますがバディ氏はここはすり抜けてしまい、街を出て廃材などあるゴミ捨て場のようなところへ向かうとそこには・・・
廃車で運転ごっこをしている小さい男の子ふたりをとても自然に使うキアロスタミ監督の腕が見られたり・・・☎️公衆電話ボックスと、☎️する男の人の声と、そこを行ったり戻ったりのバディ氏の🚘を絡めて、☎️内容から「お金がいる」らしいと分かるこの人が被依頼人の第一号となりますが、バディ氏はあっさり断られ・・・次の人にも、「こうやってプラスチックを集めている方がいい」と断られ・・・ここではまだ「以来内容」は全く❓ですが、「お金になる」ことだけ分かります。
こうしたバディ氏と相手との係わり具合が滑らかにクレッシェンドし、最終人物の「剥製爺さん」へと向かってゆく技が本当に素晴らしい。
やがて車は山道を登り始め、クルド人の若い兵士が「乗せて欲しい」。バスもなさそうで、こうした移動がふつうなのだと思います。あとで剥製のお爺さんもこうしてバディさんの車に乗ったのだと思いますが、このクルド人のシーンでそれと分かるのでそこは大胆に省略されています。
バディ氏の「詳しい事情」については最後まで語られませんが・・・バディ氏のちょっとした気持ちについてもやはりクレッシェンド的にだんだんと、(相手の職業、立場、年齢などに沿った)バディ氏のセリフで積み上げられてゆくのですが、この3番目の兵士にバディ氏は「お金になるゾ!」とだけいうので、そういう美味しい話には裏がありそうな気持ちの悪さが兵士の困ったような感じによく出ていてすごく面白い。
<ネタバレします>
バディ氏はこの兵士に「目印の木」のところにある自分の入る「穴」を見せて・・・明日の朝ここへ来て「バディさん!」と2回呼んでくれ。返事したら「穴」から引き上げてくれ。なければ「穴」に土をシャベルで20回かけてくれ。そのお礼に車の中に20万ある。シャベル1杯で1万だがどうだ?と、畳み掛けるような説明。これでいったい何事かがわかるわけですが・・・(こんなことはふつう誰もが断ると思われ)車から慌てて飛び出した兵士は脱兎のごとく兵舎めがけてまっしぐらに山を駆け下り豆粒のように小さくなって行くのを呆然と見ているバディ氏・・・
このあと山道での脱輪を作業中の緑色の服の人たち(ここにひとり「たまらないお爺さん」がいる)に救ってもらい、そのあとコンクリートを練る大きな機械を「見張っている」というアフガン人と出会います。この4番目の「被依頼人候補」は、アフガン戦争から逃れてここイランへ来たらしい。「イランにもイラクとの戦争がある。」というバディ氏を遮って「それはイランの人のこと、自分の問題ではない」と、そして「アフガン戦争は大変だった」という。いずれにしろ戦争というのは大変すぎます。バディ氏はこの人の友らしいもうひとりのアフガン人を誘って再びロード・ムーヴィー。
彼が神学生であることからバディ氏の話は「依頼」だけでなく、自殺が宗教的にどうかというところなどに話が及び、バディ氏は「私を助けて欲しい。」と、土をかけることになるかもしれない件を持ちかけ、当然神学生は「そういう助けはムリです。」そうこうするうち先の「見張り番」のところに車は戻り・・・
さてそうして、山の道に大きな土木工事用機械付きの車が工事しているシーン。これが視覚的に素晴らしく面白い効果があって(埃っぽいが)美しい。バディ氏のシルエットに大きなシャベルからの土が覆い被さってゆくようにに見える映像・・・本作全体はドキュメンタリ的に客観的にバディ氏と彼が関わる人たちを見せていますが、この工事現場シーンは「穴の中で上から土を被せられる自分」を思い浮かべているバディ氏の心象風景のようで興味深いのです。
⭐️私が思うに、❶ 名を呼ばれて自分が返事をしたら・・・ ❷ 名を呼ばれて自分が返事をしなかったら・・・ というバディ氏の「依頼内容」。この人は「100% 死にたい人」ではないのではないかと。
工事シーンから大胆な省略を経て最終人物「剥製爺さん」との車中となり、ここでタイトルの「桜桃の味」のフレーズがお爺さんのセリフの中に出て来ますが、お爺さんは自分の体験など話してバディ氏になんとか・・・と、「依頼」についてはさらりと引き受けた上でバディ氏を和ませようと話し続けるのがとても印象的です。
「桜桃の味」というのは、(少し画質の異なるエピローグのような「映画内映画」の撮影シーンのラスト・カット)撮影が終わった「兵士役」の人たちの「弾けるような笑顔」に繋がるという気が私はするのですが少し見方を変えて・・・戦争映画の撮影でなく本当の戦争のoffならもっといいのに、という感じでもありそうに思えます。
本作のラストをアッバス・キアロスタミ監督はどういうふうに考えられたかは知らないのですが・・・
バディ氏はお爺さんを博物館に送ったあと再び引き返し、「あのウズラ(剥製用)をたくさん持っていた人」と受付の人に言ってお爺さんの仕事場を教えてもらいさらにお願いしたことは、「返事がなくても眠っているだけかもしれないので石を投げてくれ!」。これはやっぱりバディ氏は「100%死にたい人ではない」と思えて⭐️、ラストについてはジャケットの説明にあるようなのが良いと思うのです・・・(が、あのエピローグの前の「ブラック・アウト」を見たときどちらとも取れる気がして・・・するとあのエピローグのようなラストはバディ氏の想い or 夢であったとして・・・そのあとにバディ氏に真のブラックアウトがあった可能性もあると思えてしまい何と恐ろしい映画かと思ったりもしたものです)。
映画というのは映像表現が重要なポイントだと考えておりますが、こちらの映画もまたそのことを思い出させてくれる作品でした。
車内の固定カットを中心に、俯瞰した映像を加えた終始削ぎ落とされたミニマルな表現。そして終盤での土埃に霞む桜桃の果肉のような夕焼け、想いに耽りつつ眺める夜景、雲の切れ間に見る月明かり。おそらく日常の中で見過ごしていたであろうそんな景色にバディは何を思ったか。
ストーリーもまた様々な示唆を含みつつ緩やかに進んでいきます。
若きクルド人兵士やアフガンからの神学生そして博物館に勤めるトルコ人の老人。きちんと把握してはおりませんが、イランとその周辺国を取り巻く民族問題なども登場人物に奥行きを与えているのではと感じます。
そういった背景を匂わせつつも押し付けないまま、主人公バディは時に警戒され、また時に気遣いを受けながら物語が進んでいきます。
イスラム圏では罪とされる自殺願望を叶えたいバディの心境がどのように変化していったのか。観客が身を委ねるべきレールを敷く事なく、ラストはメタ表現とも言える結末へ。
多くはないものの、あらゆるタイプの映画を見ている人間としては特に抵抗感はありませんでしたが、慣れない場合は受け付けにくいものなのかもしれませんね。。
最後に。
触れている人がいないようですが、バディが最初に話をもちかける電話ボックスの男性は終盤にも登場し、再び接触する機会があります。そこでもバディは何を思ったのでしょうかね。
自殺に人助けを求めること自体、そもそも生きたい証なのだが笑
しかし、たったこれだけの話...と言ったら失礼なのだが、
人の弱さと強さ、人生の儚さと美しさを感じさせてくれる作品。
キアロスタミ作品は、これで7作品。どれもとても普遍的だ。
人間や人生の本質的な部分に迫っているからだろう。
CGやデジタル技術が当たり前になるほど、逆に凄さが際立つ巨匠だ。
”ルーマニアの哲学者E.M.シオランの言葉“自殺の可能性がなかったら、私
はとうに自殺していただろう”があります。自殺の可能性がある(死はいつ
でもすぐそこにある)からこそ人生が貴重なものになる。私は、自殺を人生
における出口であると考えます。出口がないと思うと人生は息苦しい。しか
しいつでも出ていけるドアがあると考えるだけで、人生はより大切なものに
なるのです。”(監督インタビュー)
自分の死に関わってくれる人を金で雇おうと探し回るが、その行為自体が生きる意味になっている。
若い兵士は若いころを思い出させてくれたはず。
アフガンから来た神学生はよりひどい状況にある他者への思いやりと宗教的倫理観を。
そして最後の博物館員からはこの世界の美しさを…。
本当に死にたい男ならどれもうっとうしくってしょうがないはず。そもそもそんな関わりなどしたくもないだろう。穴で死ぬ、あとは腐る、死んだあとのことなんかどうだっていいとなるはずだ。
男は生きるだろう。少なくとも男は絶望していない。現段階では甘ったれた金持ちのワガママ野郎だ。しかしもし睡眠薬が多すぎて死んだとしても、最後の瞬間、月を美しいと思い、感謝に満ちて死んでいったことだろう。
キアロスタミの映画の大半はリアルとフィクションが混在している。この映画も最後にメイキングシーンを入れた件について賛否両論あるが、「どうです、これが現実です。みんな今を生きていますよ」というメッセージのように思う。映画館を出たら暗闇から街の喧騒に戻るように、この映画を見終わったら窓を開けて空を見よう。いろいろある毎日だけれども、私たちはいま生きている。
自殺願望を抱える主人公の心理描写や感情移入させるような発言は少なく、広漠とした大地の中で、人々が甲斐甲斐しくもたくましく労働する姿がよく捉えられている。厳しい環境だからこそ協力し合うというイラン人の精神を際立たせているようにも思われる。
生きる目的に自殺を据えた主人公は、出会う人びとのもてなしや優しさを受け入れられず、また出会う人々も彼の自殺に与しない。それは、人間は生き抜くために互いに協力してきた、というシンプルなメッセージの表出でもある。
ラストの入れ子構造的な終わりかたは是非が分かれるところだろうが、「物語」としては、終着がなくがっかりしてしまうのも頷ける。
しかし、「映画」として型にはまることなく、あれほどまでに「生」を鮮やかかつ祝福に満ちたものとして強く描ききるのは素晴らしい。
連れていってもらった寿司ざんまいのサーモンが旨すぎて死ぬのをやめようと思った事があります
何でも良いからこの世への未練があることを自覚することで救われるのかも