[ロゴパグ]はロッセリーニ、ゴダール、パゾリーニ、グレゴレッティの各監督の名前の頭文字を合成したタイトル。というだけで、このオムニバスの茶目っ気が伝わるというものだ。パゾリーニの「意志薄弱な奴」にそれが最も顕著に出ているが、全体のテーマは、ご大層なものをラディカルな茶化しによって笑いのめすということだろうか。この短編だけが、パート・カラー作品となっている。ヤコポ・ダ・ポントルモの古典的タブロー「十字架降下」を再現しようとするシークエンスで、キリストを抱く人たちが崩れて皆が笑い崩れたり、休憩時間にスタッフ、キャストたちがツイストを踊るなどという場面にカラー映像が使われる。この作品が宗教上の物議をかもしたことで、このオムニバス映画は有名になったようだが、パゾリーニにとってこうしたことは日常茶飯事でもあったようだ。まさに茶番である。
ロッセリーニの「潔白」は、CAで恋人のいるロザンナ・スキアフィーノがブルース・バラバンの執拗な求愛に悩まされるというドタバタ。唯一の外国人ゴダールの「新世界」は、パリ上空12万メートルで、人知れず核が爆発していたら…というSF的設定。そのことをジャン=マルク・ボリは、恋人のアレクサンドラ・スチュワルトの変化から察知することになる。そう思いだすと、身の回りのすべてがどれもこれもおかしなものに映りだすのだ。最後のグレゴレッティの「にわとり」もなかなか怖い。2人の子どもを持つ夫婦の戸建て住宅購入のためにドライヴする様子と、ビジネスマンのセミナーでマーケティングについて話す様子―しかも、講師は発生装置を通した非人間的な機械音!―が並行して描写される。要するに、ここで描かれていることは現代人はどうでもいいものばかり買わされているということだ!つまり、喜劇仕立てではあるが、どれもこれも観ていてほほえましいものなどひとつもない。覚悟してみなければ!というほどでもないが、一筋縄ではいかないことだけは確か。当たり前のように接しているものが、本当はその裏に別の顔があるのかもしれない。実体を透視するような黒い視点が効いている。