〈愛する〉という一言を遂に言えなかったイタリアの若い恋
いま落日に消えなんとするその美しい幻影を
栗色のカメラが、心打つ音楽が抱きしめる!
何てロマンチックなフレーズでしょうか(笑)。これは本作『シシリアの恋人』が日本公開された時のキャッチコピーです。
マフィア発祥の地としても知られ、独特の風土と文化、封建にしばられ、貧困に喘ぐシシリア島を舞台に描かれる悲しい恋の物語。キャッチコピーからは、何だか現代版ロミオとジュリエットのような印象を受けてしまいますが、実はかなり社会派色が強い、実録タッチのシリアスなドラマです。
貧しい農家の娘、フランチェスカ(オルネラ・ムーティ)は、ビートという青年(アレッシオ・オラーノ)に見染められる。しかしビートはマフィアのボスの甥だった。ビートはフランチェスカに求婚するが、虎の威を借り、好き放題の行動をとるビートに彼女は首をたてに振ろうとはしない。やがてビートは彼女を誘拐し、力ずくで自分のものにする。
そしてフランチェスカがとった行動は・・・。
この映画の独特の雰囲気のひとつに、シシリア島を舞台にしている、という設定があります。山岳地帯が多い土壌が独特で、町のすぐ後ろにごつごつした岩山がそびえている風景がすごくエキゾチック。タイトルにもあるように、シシリアならではの恋物語、という感じがすごく良く出ています。
あと、人々の生活の貧しさ・・・羽振りの良いマフィアたちと、主人公の少女・フランチェスカの家族、貧しい農家の生活の格差の対比が痛々しいほど伝わってきます。
シシリアを舞台にした映画で知られるのは、マイケル・チミノが実在した山賊ジュリアーノの半生を描いた『シシリアン』ですが、あの映画は主人公をヒロイックに描きすぎていて、シシリア社会の貧困の様子がいまひとつ伝わってこなかった(作品としては傑作なのですが)。同じ題材をとったフランチェスコ・ロージの『シシリーの黒い霧』は、ドキュメンタリーを観ているかのような、息苦しいばかりの貧困層の描写が一度観るや忘れられなくなるような映画で、本作を観ている時、『シシリーの黒い霧』が脳裏をよぎったものです。
監督のダミアーノ・ダミアーニは傑作マカロニウェスタン『群盗荒野を裂く』で知られる硬派の職人監督。彼の撮る映画は、基本はエンターテイメントをベースにしているのですが、社会派的な目線と強烈なニヒリズムを特徴としていて、非常に苦い終わり方をする映画が多い(苦笑)。まずハッピーエンドで終わる作品はほとんどなく、本作も皮肉、というか切ないラストが待っています。
ダミアーニは、シシリア生まれではないけれども、シシリア島の独特の風土に惹かれて、ここを舞台にした映画を多数撮っているとのことです。
しかし、本作を名品たらしめているのは、何よりもヒロインを演じたオルネラ・ムーティの存在感。そして本作は、ムーティのデビュー作でもあります。
実は彼女は女優になるつもりなどなかったらしく、この映画のオーディションに出た姉に付き添って行ったら、監督に見染められてしまったとのこと。お姉ちゃんにとっては可哀想な話ですが、'70年代のイタリア映画を代表する女優の一人が、こうして誕生したのであります。
上記のエピソードからも判るように、本作出演時はほとんど素人同然。しかし、その素朴さがこのヒロインの存在感に光を与えていて、演技なのか素なのか、無表情というか無愛想というか(笑)、ちょっと切れ長でネコ科を思わせる眼も相まって、後に彼女のトレードマークにもなる、独特の倦怠感あふれる「ムーティ・フェイス」がたまらなく、いい。
この映画の撮影時は、おそらく14歳くらいだったと思われますが、この年頃の少女にありがちな「自分を可愛く見せたい」というオーラが全くなく、現実をただ静かに受け止めて生きている、何ともダルな表情に不思議な魅力というか、オーラが漂っています。
その素朴な演技を、演技力と呼ぶべきか天性を呼ぶべきか、本作でオルネラ・ムーティは鮮烈なデビューを飾ったのです。
どんよりと曇り湿った、シシリアの空気を背負って、耐え忍び生きていく薄幸のヒロイン・フランチェスカ。オルネラ・ムーティー伝説はここから始まる。
最後に、本ソフトの画質ですが、フィルムの色はやや褪せ気味で、画面も暗い。まあ、この映画の雰囲気に合っているといえば合っているのですが、「栗色のカメラ」って、まさかこの色あせたセピア調の画面のことじゃないでしょうねぇ(笑)。
とにかく、もっといい画質での再発を願うばかりです。この時代のイタリア映画って、一見地味で小品のようでも、何とも心に滲みるいい映画がたくさんあります。どんどん発掘してもらいたいものです。