略歴 / Brief history
(アニメーション作家)「来たるべき世界」をはじめとする手塚マンガに親しみ、少年雑誌を手本にしてペン画に熱中したり、中学時代には原田三夫の宇宙旅行協会に入会するなど、後年のアニメ演出家の“目”を感じさせる少年期を過したのち、映像への興味を抱いて日大芸術学部映画学科へ進む。64年に卒業し、就職したのが虫プロダクション。半年ほど制作進行として働きながら、アニメの現場というものを観察。特に林重行(りんたろう)からは学ぶところが多かったという。やがて演出部へ移り『鉄腕アトム』の後半二年間にわたって各話演出を担当。終了後、引き続き『リボンの騎士』のスタッフとなるが、手塚治虫の天才に依存せざるを得ない虫プロの体制に企業としての限界を感じ、67年退社。CM制作会社につとめるかたわら、東京デザイナー学院の講師もつとめる。しかし収入は半減。見かねた虫プロの友人の紹介で、再びアニメの絵コンテを切るようになった。この時期、実写とアニメを合成したコマーシャル・フィルムを演出しているが、CM界の水に合わないと判断。一年で会社を辞め、初のシリーズ番組のチーフ・ディレクター(「夕やけ番長」)を皮切りにフリーの“出戻り”演出家としてアニメの仕事に没頭していく。“絵コンテ千本切り”などと冗談めかして言われたのもこの頃で、虫プロ作品をはじめ膨大な数の、そして実に多種多様なTVアニメの絵コンテを手がけた。それは生活のためであると同時に、アニメの監督としての、その作家性の基本となるのは絵コンテである、とする彼自身の信念による。この間に多くの同業者と仕事を共にしたことも、後の大きな支えになったようだ。こうした雌伏の時を経て富野喜幸(当時)の名が大きくクローズ・アップされてくるのは72年の『海のトリトン』あたりから。戦いを通じて少年が成長していくというストーリー、最終回で視聴者の意表をついたような善悪の図式の否定など独特の富野イズムが顔をのぞかせ始める。そして『新造人間キャシャーン』や『勇者ライディーン』などを通じて、折から成長しつつあったアニメのファン層--同人誌を作るなど、積極的にアニメと関わっていこうとする中、高、大学生に至る若者たち--とシンクロするかたちで、急速にオリジナリティを確立させていく。77年『無敵超人ザンボット3』に始まり『無敵鋼人ダイターン3』を経て「機動戦士ガンダム」へと至るサンライズのリアルロボット路線を開拓。おもちゃを売るためのスポンサード・アニメという制約を逆手にとり、きわめてドラマ性の強い作風を打ち出して、それまでの巨大プロレスというロボットアニメに対する偏見を打ち破った。それ以後の活躍はめざましく「ガンダム」の劇場用再編集版(三部作)を大ヒットさせてアニメ・ブームの立役者となり、『聖戦士ダンバイン』『重戦機エルガイム』など、ロボットものに固執しながらも一作ごとに新機軸を打ち出して、ある種カリマス的な人気を得るに至っている。88年には、アニメ界全体の不振という声をよそに映画「機動戦士ガンダム・逆襲のシャア」をヒットさせ改めてその実力を示した。しかし、四半世紀におよぼうとする富野のアニメ歴において、これが初めての劇場用オリジナル作品であることを考えれば、アニメ監督としての富野由悠季の評価は、むしろこれからと言うべきではないだろうか。なお、82年の『戦闘メカ・ザブングル』より本名の喜幸を由悠季と改名。最近は小説家としても多忙で、『ガンダム』シリーズの小説版をはじめ『リーンの翼』『オーラバトラー戦記』『破嵐万丈・薔薇戦争』『ガイア・ギア』などを発表。また自伝的著書に『だから僕は……』があり、本項の記述は一部このエッセイに基づいている。さらに井荻麟のペンネームで自作の主題歌の多くを作詞するなど、多才を発揮。71年結婚。二女がある。
映画専門家レビュー
今日は映画何の日?
NEW今日誕生日の映画人 3/6
- 岩田剛典(1989)
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名も無き世界のエンドロール
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新解釈・三國志
「今日から俺は!!劇場版」の福田雄一監督・脚本の下、『三国志』を新解釈で描く歴史エンターテインメント。今からおよそ1800年前。中華統一を巡り、魏・蜀・呉の三国に分かれて群雄割拠していた時代。民の平穏を願う男、劉備が立ち上がるが……。出演は「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」の大泉洋、「ヲタクに恋は難しい」のムロツヨシ、「罪の声」の小栗旬。
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