狐塚佳宏

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  • KING OF TOKYO O FILME

    Jリーグが開幕した1992年にブラジルから来日したアマラオは、日本でのキャリアをアマチュアリーグからスタートさせ、ついにはチームをJ1に導いた。“キング・オブ・トーキョー”と呼ばれる彼の姿を、サンパウロ、東京、平塚、高崎と追い、彼をよく知る人物たちへのインタビューで描き出すドキュメンタリー。監督は、「花のこえ」の太田綾花。ブラジル・サンパウロ郊外で生まれたアマラオは、1987年、サンパウロ州3部に所属していたコメルシアンと契約し、プロのサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた。その後、2部のカッピバリアーノ、イトゥアーノを経て、1992年に名門パルメイラスの一員となる。元ブラジル代表マルコスなど多くの代表選手と共にプレーするが、怪我のためにリハビリ生活を余儀なくされる。リハビリ生活中、当時JFLに所属していた東京ガスフットボールクラブからの勧誘を受け、来日。来日後もアマラオは、持ち前の責任感の強さから努力を重ね、1998年のJFL優勝に貢献する。1999年にはFC東京が発足する。アマラオはチームをJ2からJ1へ導く。こうしてアマラオはチームの中心的存在となり、サポーターとの絆も強固になっていく。横浜Fマリノスへの移籍話が浮上したときは、友人のラモス瑠偉の呼びかけにサポーターが立ち上がり、移籍をとどまらせた。“キング・オブ・トーキョー”と呼ばれるようになっていたアマラオは、ツゥットなど多くの外国籍選手たちからも厚い信頼を集めた。2003年FC東京を退団し、2004年以降はJ2の湘南ベルマーレ、JFLのFCホリコシ(現・アルテ高崎)に所属。アルテでは監督も兼任し、2007年4月現役を引退した。現在、アマラオの故郷オルトランジアでは市役所の支援を得て、貧しい子供たちにサッカーを教えるプロジェクトが始まっている。これはアマラオの貢献と意向によって実現した。また日本ではJFAアンバサダーとして、子供たちへ直接指導を行うなど、日本のサッカー界へも尽力している。

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