映画専門家レビュー一覧
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朝が来る
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映画評論家
北川れい子
実の母だというまだ若い女性とまっすぐ向かい合い、相手の言い分をしっかり聞こうとする育ての親夫婦の姿勢——。一にも二にもこれに尽きる。河監督は、恋をして望まない妊娠をしたその少女のいきさつや、6年後に脅迫まがいの行動に出るまでの状況も丁寧にフォロー、誰が悪いという描き方をしていない。“特別養子縁組”に関する情報が多いので、そのPR映画的側面もあるが、涙や泣かせを排した展開はなかなか。映像も徒に抒情に走らず節度がある。子役の素直な演技もいい。
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編集者、ライター
佐野亨
大森立嗣もそうだが、描くべき物語を自身の裡にかかえる映画作家は、いかなる原作を得ても「自分の映画」をつくりあげてしまう。血のつながらない子を授かる夫婦と血のつながった子を手放す少女のあいだで展開される物語は、明らかに8ミリ時代の作品から河直美が一貫して描きつづけてきた「承認」をめぐる思索の延長上にある。日本の映画ジャーナリズムはいよいよ河作品に本気で向かい合わなければならない時期に来ているのではないか。そしてここでも蒔田彩珠が輝いている。
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詩人、映画監督
福間健二
サスペンスを感じさせる導入部だが、事件がおきるから怖いのではなく、この世界のあり方に怖さがあるのだと気づかされていく。永作博美演じるヒロイン佐都子の戸惑いの表情にまず引きつけられた。いまを生きる不安。人物たちそれぞれの自然な声も、寄りの決まる画も、ただ「ありうる」をつみかさねる以上の大胆で細心な構成も、それに結びつく。河監督と共同脚本の高橋泉、なぜフィクションなのかを考え抜いていると思う。人が願っていいこと、まだある、と励ます力をもつ作品。
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おもかげ
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映画評論家
小野寺系
物議を醸した自作の短篇映画を基に、さらに倫理観を揺るがす物語を今回くわえているように、映画が話題となる術を知っている頭のいい監督といえる。また、描かれる事件や切迫した演技に対して、わざと落ち着いてスマートな印象を保つ演出は、むしろリアルで効果的だ。その一方で、「ベニスに死す」のタジオを連想させる登場人物を持ち出し、母子の愛情とも恋愛ともつかぬ曖昧な関係を描くことに妥当性があったのかは疑問に思う。この親子の性別が逆転すれば、成り立たない話だろう。
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映画評論家
きさらぎ尚
可愛い盛りの息子が旅行先で行方不明になったまま10年。この容赦ない状況におかれた母親の心情は想像するだに辛い。監督のロドリゴ・ソロゴイェンは、母親に息子の面影がただよう少年との出会いを用意しているが、それは母性愛を癒すためか、あるいは年上の女性の少年愛か。はたまた全く別の何かがあるのか。いずれにせよその正体は分からずじまい。監督の「目的をもって撮ったわけではない」というコメントを何かで読んだが、見終わって残るもやもや感はここに起因している。惜しい。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
感情の揺れと人物の動線を極限点まで計算した長回しにより初期設定を一気にセットアップしてしまう超絶技巧を冒頭から見せつけ、その後も緩むことなく紡がれてゆく痛々しい喪失の物語はいつしか女性と母性がもつれ合った地獄のような悲恋物語に姿を変え、それが幸せに見えるほどに結末の悲しみが増してゆくと分かっていながらも彼女が笑うことを祈ってしまうのは自分ばかりではなく、残酷なる創造主の眼差しにもかくなる優しさの片鱗が見え隠れしていることにわずかの救いを感じた。
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キーパー ある兵士の奇跡
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映画評論、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
冒頭のダンスシーンと戦場シーンとの対比から、次第に戦場シーンがサッカーシーンへとスライドしていく様。三態とも命を燃やし消耗していく。ある意味「生命の輝き」そのものの現象として描写。敵対関係から甘い恋愛に落ちていく様相から、喪失や悲劇まで経験の物語の振り幅は、『愛の不時着』や「博士と彼女のセオリー」などの要素を彷彿させるオカズ満載の満足感を感じさせる。最大公約数的に共感を得る作品。戦争による国家間の喪失は、男女の人生における代償とも重なる。
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フリーライター
藤木TDC
映像が美しく後味の良い感動実話。しかしスポーツの才能で戦争の怨讐を克服する核心のテーマに関しては、実際になし得た優秀な選手がいた事実=現地の常識に依存しすぎ、物語でその困難な過程の再現に成功していない。とくにトップリーグに転じて以後、ドイツ人主人公がいかに英国大衆の支持を得たかの重要な部分が大幅に端折られている。戦時に敵国どうしだった男女の恋愛が簡単に成就するのもテレビドラマ的で安直。スポーツ好きにはサッカーの技術描写の乏しさも寂しい。
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映画評論家
真魚八重子
確かに目立った人生を送った有名人かもしれないが、約2時間の映画として描くには魅力的な逸話が乏しい。セリフで世界観を埋めるとか、些末に独特な演出を施すなど引き延ばしにも方法があるだろうが、本作は心を?むような個性がなく平凡に終わっている。イギリスで暮らすことになる元ナチス兵士を巡る葛藤は、もっと深く考察できるのでは。トラウマとなっている戦時中の出来事も確かにつらい過去なのだが、まどろっこしい匂わせ編集のせいで鮮烈さが消えて予測を超えない。
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ストレイ・ドッグ(2018)
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映画評論、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
ニコールのここまでの汚れ役「ペーパーボーイ?真夏の引力」以来か。日系監督のクサマの素晴らしい演出は、脚本段階から練り上げられた。ウィリアム・エグルストンやフレッド・ヘルツォークなど一級の写真家の影響が、色濃い撮影。風景や皮膚の肌理によって物語を雄弁に語り尽くそうとする映像。もはやクサマの映像哲学の結晶、集大成とも言える傑作だ。原因(ドキュメント)と結果(痕跡)との因果関係が映像の本質だとすると、映像と記憶を犯罪によって縫合していったようだ。
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フリーライター
藤木TDC
今はなき銀座シネパトスでの上映が似合うB級アウトロー刑事もの。ところが主役は女性、ウィレム・デフォー風に老けメイクしたN・キッドマンがアル中の女刑事役で驚愕のヨゴレ演技。70年代ハードボイルドの無頼な雰囲気が濃く、ジェンダーレス時代を象徴する警察映画としてジャンルのファンは観る価値が充分ある。ただ、私の好みではあと20分カットし100分弱で終了が望ましかった。終盤、流れがダラダラしてイーストウッドの映画みたいに説教くさくなり★ひとつ減らした。
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映画評論家
真魚八重子
N・キッドマンが刑事役を演じてこなかったのは、美貌が無駄な意味を持ってしまうからだと、険のある顔立ちになった特殊メイクで気づく。色気が必要とされない演技の切迫感に引き込まれ、主人公の幼少時にまつわる駆け足な説明も許せる。のの字を描くような巧みなストーリー展開と、細緻な編集でちりばめられた重要なショットの回収を、観客に委ねたミステリー構造にも虚を突かれた。撮影の苦いような侘しい陽光の効果も大きい。ニューシネマの再来といった感触だ。
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ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった
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映画、音楽ジャーナリスト
宇野維正
今なお絶大な影響力を誇りながら、活動期間は1967年から76年と実は10年にも満たないザ・バンド。その片鱗をリアルタイムで実感したのは、ロビー・ロバートソンのソロ作が初めてだったような自分の世代としては、作られただけでもありがたい作品。あくまでもロバートソンの視点から語られる構成なので、少々フェアさに欠けるところもあるだろうが。「ザ・バンドのすごいところは、天才的なシンガーが同じバンドに3人もいたこと」というスプリングスティーンの発言は目から鱗。
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ライター
石村加奈
副題の「かつて僕らは兄弟だった」という過去形の重みに、胸が痛んだ。ザ・バンドのなつかしいメロディに乗せて「いまは、もう兄弟じゃない」と歌われると、人生に“再び”はないのだという当たり前のことが、わがことのように感じられてセンチメンタルな気分に。スコセッシ監督のドキュメンタリー「ラスト・ワルツ」でも有名な解散コンサートでリヴォンが歌う〈オールド・ディキシー・ダウン〉から、エンドロールの〈オフェリア〉への運びにロビーの愛を感じて、グッときた。
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映像ディレクター
佐々木誠
「ザ・バンド」をリーダーのロビーとその他4人という構造で描くドキュメンタリーだが、「ラスト・ワルツ」を監督したスコセッシが製作(と出演)で関わっているからか、固い絆で結ばれた男たちの栄光と終焉の物語としても捉えられる。監督は弱冠24歳、スピード感ある編集で、ディラン、クラプトン、ハリスンら超大物の証言を交え自分が生まれる遥か昔の「歴史」を立体化すると同時に“同年代”の視点で「若者の青春」を等身大に綴っていく。ただ、良くも悪くも美しすぎた感はある。
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スタートアップ!
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映画、音楽ジャーナリスト
宇野維正
マ・ドンソクは自分も好きな役者だが、18年は5本、19年は4本、基本すべてが主演もしくは準主演作であることを考えると、いくらなんでも出すぎか。さすがに「これはどうなの?」という作品も日本公開されるようになってきた。「サバハ」での好演が印象に残るパク・ジョンミン演じるボンクラな不良少年が中心のドタバタコメディの本作だが、脚本や編集までドタバタしていて、途中から物語の因果がどうでもよくなる上に、最終的に「いい話」にしようとしているところが痛々しい。
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ライター
石村加奈
マ・ドンソクが、今回演じるのは、港町・群山のチャンプン飯店で、料理とケンカの腕を振るう、おかっぱ頭がトレードマークの謎のシェフ・コソクだ(TWICEファンで猫となかよし、という設定も絶妙!)。コソクたちと出会い、世界を学んでいく家出少年・テギル(パク・ジョンミン)の成長物語で、殴られてばかりのテギルを、ジョンミンが軽妙に体現して、マブリーと好タッグを組んでいる。独特のリズムの編集が、登場人物それぞれに一理ある、含蓄のあるドラマを味わい深く見せる。
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映像ディレクター
佐々木誠
目を開けて眠るドンソク、張り手をするドンソク、TWICEを踊りながら歌うドンソク……。顔面力もハンパないマブリー(マ・ドンソク+ラブリー)の魅力を強制的に味わえる決定版。取り巻くキャラクターたちとの相性が良く、バランスも取れているので、これだけ推していながらドンソクだけが浮くということがない。前半ギャグ、後半シリアスというお馴染みの構成だが、登場人物全員が変化の願望を持っている設定が軸となり、それぞれの「青春」との対峙が全篇ブレずに描かれる。
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きみの瞳(め)が問いかけている
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映画評論家
北川れい子
今どき、ここまでベタな偶然と運命で進行するメロドラマが作られたことに、逆にカンシンする。若く美しい盲目の娘と、心に傷を持つ前科持ちのイケメン青年。偶然出会った2人は、実は不幸な因縁で結ばれていたというのだが、あれやこれやの小道具を使ってのエピソードにしろ、青年の過去の話にしろ、どの場面もくすぐったいほどベタで、観ている当方はただアレヨ、アレヨ。終盤のすれ違いなど、少女漫画だって敬遠しそう。バカ真面目に演じている主役2人に秘かに同情したりして……。
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編集者、ライター
佐野亨
「罪の声」の直後に観ると、画面構成や映像の余韻になにかを語らせようとしている点が好印象。一方で物語については、元の韓国映画もそうだが、どこまでも愚直で類型的なため、画面に傾注しすぎるとかえって細部の空疎さが目立ってしまう。むしろ大元ネタの「街の灯」がその点でいかに巧いかを再確認させられる結果に。恋人を背負う場面は神代辰巳の「青春の蹉跌」、顔に触れる場面は河直美の「光」を思い出しもしたが、いずれも画面の美しさ以上のものが迫ってこない。
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