映画専門家レビュー一覧

  • No.10

    • 編集者、映画批評家

      高崎俊夫

      主人公の舞台俳優と共演者の女優の不倫が発覚し、嫉妬に駆られた演出家である夫が権力を笠に理不尽な報復に出る。前半は至極ありふれた三角関係の行方をサスペンスたっぷりに魅せるが、にもかかわらず、〈監視者〉を介在させつつ意味ありげ、かつ思わせぶりな不条理劇風の演出を施している狙いは奈辺にありや。などと訝しんでいるうちに不意打ちのように訪れる奇想に満ちた展開に?然となる。その壮大なる野心をあっぱれと称賛するか虚仮威しと断ずるかで評価が割れようが、私は後者。

    • 映画批評・編集

      渡部幻

      オランダの変わり種ヴァーメルダムに日本公開された作品は少ないが、71歳のベテラン。「ボーグマン」もかなり風変わりな映画だったが、この新作もそう。幼少期の記憶を持たない役者の物語。田舎劇団に所属し、監督の妻と不倫しているが、悪い人間ではない。アート映画風に淡々と進行、オフビートな喜劇のようだが、面白くなりそうな気配はない。しかし時折、彼を監視するビデオカメラの視点が挿入され……プレスにネタバレ禁止が記されていたが、実際知らない方がよい。監督は観客を信用しているのだ。

  • 毒娘

    • 文筆家

      和泉萌香

      「幸せな家族」というが、最初っから夫のモラハラ臭全開で全く幸せそうに見えないのはさておき。人間か、人ならざるものか? 警察の半端な介入描写などがあり、謎めいた少女ちーちゃんの設定と、大人たちの対応があやふやな気もするが、とことん凶暴な彼女が母と妻の座についた従順な女性と、過去の事件で傷を負った娘を「いいカンジの家庭」イメージから引き?がし、文字通り家という籠から蹴りだすさまは荒療治がすぎるが楽しんだ。はらわたをぶった斬る一大流血描写も容赦ない。

    • フランス文学者

      谷昌親

      ホラーというジャンルは、きわめて映画的と言えるかもしれない。普段なら気にもとめないシーツや壁、窓や扉が画面のなかでにわかに意味を担ってくるからだ。しかし、ホラーという枠組みは諸刃の剣ともなる。恐怖を抱かせるための表現がどうしても紋切り型となり、既視感を呼び覚ますからだ。内藤瑛亮監督が描きたかったのは、むしろ、後妻として家庭に入った萩乃と義理の娘となった萌花が、ともに抑圧から解放され、自律していく過程であったはずだが、それが背景に後退してしまう。

    • 映画評論家

      吉田広明

      毒娘が暴れまわるホラーかと思いきや(まあそうなのだが)、「家族」なるものの偽善を破壊するパンクロックみたいな映画だった。「家族ゲーム」や「逆噴射家族」を思い出した。無論アップデートはされており、「家族」の中でも強者である親にして父が、「同意」による誘導で家族の弱い成員をソフトに抑圧する様は、「家庭」が温かい居場所であるどころか監獄、また強者が弱者を搾取する構造が変えられない今の日本社会の現状を反映している。もう少し人物たちに陰影があっても良かった。

  • ミルクの中のイワナ

    • ライター、編集

      岡本敦史

      イワナについてのドキュメンタリーと聞いて、ネイチャー番組的なものを想像すると、意外なギャップに驚く。研究者、漁協参事、料理店の主人といった人々のインタビューを通して、イワナを取り巻く現状を多角的に描いていく内容が興味深い。環境問題全体にも関わる多くの示唆も与えてくれるが、だとしても、肝心のイワナの映像が少なすぎる。人間ばかり映しすぎ。鳴りっぱなしの音楽も、スローモーションの美しい映像(それもやっぱり人間主体)も、作品に必要だったかというと疑問。

    • 映画評論家

      北川れい子

      タイトルに使われている言葉の意味を、このドキュメンタリーで初めて知ったのだが、独特な進化を遂げたという渓流魚・イワナのルーツやその現状を記録した本作、実に面白く観た。タイトルにピッタリの知的な詩情とロマンがあり、渓流の流れや水中映像がまた美しい。そしてイワナほかの渓流魚について、さまざまに語る研究者や専門家の方々の、穏やかで分かりやすい言葉。切り口を変えた章仕立ての進行も効果的。ダムには“魚道”があることも今回初めて知った。

    • 映画評論家

      吉田伊知郎

      釣りにもイワナにも興味がない身としては、釣りキチの綺麗事ではないかと斜めに構えて観始めたが、食と生命を真摯に考える人たちの語りに引き込まれていく。大量に釣ってから川へ戻して生態系を維持しましょうなどと言うのは勝手な屁理屈にしか思えなかったが、そうした疑問にも答えてくれる。獲り過ぎて翌日になると魚がいなくなっていた経験を語る宮沢和史が、それを大量殺戮、沖縄地上戦のようと形容することに驚くが、決して大げさではないことがわかるようになっている。

  • アイアンクロー

    • 俳優

      小川あん

      家族愛=プレッシャー。この相関関係は難しい。それが結果、フォン・エリック家の悲劇のファミリー・ヒストリーとして刻まれてしまうのだ。ただ、映画を通して「悲劇」という言葉の背景にある当人しか計り知れない想いを知ることができる。後の世で兄弟が再会を果たすシーンは、緩やかなカメラワークに温かな自然光が差し込み、本筋より現実味があった。ケヴィンの結婚パーティーで「今だったら家には誰もいない」とちゃっかり抜け出そうとする長年の夫婦の愛が垣間見えるシーンが好き。

    • 翻訳者、映画批評

      篠儀直子

      弟がひとり減らされているなど事実とは異なる点も多いようだが、日本の80年代プロレスブームのころの人気レスラーが次々登場するだけでもオールドファンは興奮必至。ロックスターみたいに美しい4兄弟を描き分けながら快調に進行する前半には「ボヘミアン・ラプソディ」的なよさがある。一方、対戦相手を踏みつけるフリッツの表情が大写しとなるタイトルバックは、これが「父の抑圧」の物語であることを宣言しているように見えるのに、後半そのあたりが曖昧になっていくのが不思議。

    • 編集者/東北芸術工科大学教授

      菅付雅信

      70~80年代に活躍したプロレスラーで必殺技“鉄の爪=アイアンクロー”を持つフリッツ・フォン・エリックと彼の四人の息子レスラーたちのプロレス家族の実話映画化。圧倒的な強く正しい父の下で、息子たちはプロレス道を邁進するも、心も体も蝕まれていく。映画は長男ケヴィンを軸に描かれ、彼のエディプス・コンプレックスが物語の通奏低音になっており、フィルム撮影による拡張高いルックも相まって、プロレス版「ゴッドファーザー」といった趣。しかし善悪の彼岸を垣間見せるほどの哲学的深みはない。

  • ブルックリンでオペラを

    • 俳優

      小川あん

      頑張りすぎると人間は時折疲れる、当たり前のことだ。知らない間に大丈夫になっている、それも然り。スランプに苦しむオペラ作曲家が数奇な巡り合わせから、終盤には元気を取り戻していくハートフルな仕上がりとなっている。今の自分にちょうど良い (素晴らしい意味で) 映画だった。鑑賞後はスッと肩の力が抜けて、さっきまでの悩みがどっかにいってしまう。本作のような肩肘張らない、絶妙なニュアンスの作品が量産されることを願う。そして、疲れたときの散歩はやっぱりいい。

    • 翻訳者、映画批評

      篠儀直子

      軽快なロマコメが急な深刻展開で足を取られたり、そもそも複数のストーリーラインがいっこうにからんでいかなかったりでフラストレーションがたまるのだが、サム・レヴィの撮影の美しさと、クライマックスの大作戦でまあまあアガるのと、オペラ曲とスプリングスティーンの主題歌がいいのとで「まあいいか」という気持ちに。主演として宣伝されているハサウェイがなぜか肝心な局面の前にフェイドアウトしてしまうけど、実質的主役であるP・ディンクレイジと、M・トメイがチャーミング。

    • 編集者/東北芸術工科大学教授

      菅付雅信

      アン・ハサウェイ主演のNYブルックリンを舞台にしたコメディ。精神科医の妻と現代オペラ作曲家の夫の夫婦が主役で、夫は極度のスランプ状態。精神療法の一環で散歩中に出会った女性船長に惹かれ、夫は創作のインスピレーションを得る。長身ハサウェイと小柄なディンクレイジの凸凹カップルのユーモラスなやりとりやNY的多様なキャラでNY讃歌を描こうとしているが、物語のグリップ力が弱い。大都市を舞台にしたスター女優のほんわかコメディという形式がとても色褪せて見える。

  • リトル・エッラ

    • 文筆業

      奈々村久生

      好きなものにだけ囲まれていたい、そうじゃないものとは関わらなければいい。そんなシンプルな世界に生きていたはずのズラタン(エッラ)が、大好きな人の恋人という存在に向き合うのは、自分と違う「他者」を尊重し受け入れる体験に他ならない。子どもらしい発想を駆使したユーモラスな演出でラッピングされているとはいえ、彼女がその現実を知らなければならないことを思うと切なくなる。これをしっとりといい話ふうにせず、ズラタンの感情や衝動のパワーに寄り添った見せ方が心地よい。

    • アダルトビデオ監督

      二村ヒトシ

      友だちがいないから恋愛ばかりしてる人も、好きになってはいけないことになってる人を好きになる人も、不潔でグロテスクってことになってる小動物が親友な人も、誰がしたのかわからぬ大便と対話する幼女(エッラや、Dr.スランプのアラレちゃん)も存在する。みんな反道徳的かもしれないが非倫理的ではない。嫉妬は嫉妬する人自身を苦しめるから、幼い人が嫉妬してたら大人はその幼い人を愛さなくてはいけない。心が幼い人に対しては欲望は向けず、愛することだけをしなければならない。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      確かに子どもにとって、休暇を唯一好きな親戚のおじさんと楽しめないのは残念なことだ。だが子どもが嫉妬から行う悪戯によって、大人たちが恋愛関係に終止符を打ったりするのは、真に受けすぎている。その子が後々大人になって自分のやったことを思い返したら、生きた心地がしないんじゃないだろうか。外国人で言葉が通じないとか、美術館の安っぽいアートなど、古典的ギャグがキツかった。一番魅力的なキャラクターは転校生のオットーだ。彼の暗いが一途な佇まいは存在感がある。

  • インフィニティ・プール

    • 映画監督

      清原惟

      追い詰められた人間の内的世界を覘くような恐さのある作品だった。金持ちが途上国のリゾート地に行って罪を犯しても、お金を積めば自らのクローンに罪を負わせ放免されるという設定は、今の社会を考えると妙なリアリティがあるように思えた。ほとんど語らない主人公の魂が抜け落ちてる感じや、後半のあまりにもグロテスクになっていく展開のやりすぎ感は少々気になったが、クローズアップの際立つ撮影やカット割りによって、土地に流れる時間や、心理描写などが印象深く見えた。

    • 編集者、映画批評家

      高崎俊夫

      ちょっと意地の悪い評言だが、ブランドン・クローネンバーグの映画は異形なる巨人として屹立するフィルムメイカーの父親をいかにアモラルな地平で超克するかという“あがき”のようにも映ずる。異郷のリゾートを舞台に悪無限的に反復される殺戮のセレモニーは、これぞ果敢なるモラルへの侵犯行為と言わんばかりの露骨さだが、島民のF・ベーコン風に歪められた顔貌のイメージと相まって既視感が付き纏う。とはいえ「裸のジャングル」を転倒させたようなモチーフが奇妙な後味を残すのは確かだ。

    • 映画批評・編集

      渡部幻

      ブランドン・クローネンバーグの新作は、アレクサンダー・スカルスガルド(『メディア王』)とミア・ゴス(「Pearl/パール」)を起用して映画的なバネの強さが増している。一見魅惑的な表皮の下に歪で不健全な魂を隠し持つこの2人が体現するのはたがが外れた本能と欲望の極北。不快だが、あまりにも常軌を逸していくので、ひきつった笑いが沸き起こってくる。これは冷血で獰猛な現代の階級風刺。ブランドンに父デイヴィッドの透徹したロマンティシズムは感じないが、独自の生命を宿らせていると思う。

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