映画専門家レビュー一覧

  • 花と雨

    映画評論家

    吉田広明

    差別やいじめ故に自分に立てこもり他人を無視、軽蔑していたラッパーが、ありのままの自分を認めることで成長してゆく。ヒップホップ版ビルドゥングスロマン。ただ、姉の自殺に関しては原因も説明不足で、モデルになった人物の事実だとはいえ、それが主人公にとって何だったのか、映画としてその意味を再構築すべきだった。映画と現実の葛藤はあっていいが、映画は映画としてひと先ずは自律すべきで、その枠内で描写を省略的にするのは可、しかし事実に居直っては映画の意味がない。

  • オリ・マキの人生で最も幸せな日

    映画評論家

    畑中佳樹

    観客をどう楽しませるか、欺くか、目的地をどうやってそれとなく知らせるか、という一種のゲームが映画だとするなら、この映画はそのゲームからいったん降りてしまう。劇伴もなく、台詞も少なく、まるで取り付く島もないフィルムを、どこがどう面白いのか、面白がるべきなのか、皆目見当もつかずにひたすらきょとんと眺め続けると、やがてしみじみと人生の風が吹きはじめる。老大家の風格かと思わせて、監督は40歳だという。噛めば噛むほど滋味しみ出す拾いものの一篇。

  • オリ・マキの人生で最も幸せな日

    映画評論家

    石村加奈

    フィンランド語のタイトルは「微笑む男」。監督の言葉を借りれば、フィンランド人にとって「微笑む男」とは異常者=かなり珍しい存在なのだとか。このタイトルの方がしっくりくる程度に意表をつかれた。描かれるのは、大事な世界タイトル戦を控えたボクサーの話ではなく、ボクシングをしているフィンランド人男性が、恋をして、婚約する、大変な愛の物語だから。実話に基づくお話らしく、過剰に煽りもせず、ドキュメンタリーのように淡々と描かれる愛の芽生えは、たしかに微笑ましい。

  • オリ・マキの人生で最も幸せな日

    映画評論家

    佐々木誠

    映像素材の断片を一見荒削りに並べただけのような編集が好きなのだが、ちゃんと計算された荒削りじゃないと当然ただの「素材集」になる。62年が舞台の本作は16㎜カメラで撮られており、まるで当時の記録映像をあとから誰かが繋ぎ合わせたような錯覚をさせられ、冒頭からその編集センスの良さにやられた(そういえば主役である実在のボクサー、オリが記録映画の被写体になるエピソードも)。世紀の世界戦までの数週間の物語を、ただの「恋愛の記録」としてまとめているところが憎い。

  • ペット・セメタリー(2019)

    映画評論家

    畑中佳樹

    地を這う霧、十字架の林、動物の仮面、夜の窓、音の演出、そういったものがこちらの神経を苛みつづける。ホラー映画というより、もっと昔からある古典的な恐怖映画のような、子供の頃に見て脳髄に住みついてしまうような恐さ。最近のゾンビ映画では銃、棍棒、塔といった男性のメタファーが支配するが、この映画は森、沼、家といった女性の性的イメージ群に浸されている。S的より、M的な欲動のシグナルが我々を向こうの世界へ手招きしている。結末はハッピーエンド?

  • ペット・セメタリー(2019)

    映画評論家

    石村加奈

    原作を読んで想像した猫と映像との違和感みたいなものが全篇につきまとう。S・キングが原作で描こうとしたのは、生理的な恐怖(大型トラックの迫力満点!)ではなく、愛する者を失った哀しみからタブーを犯してしまう人間の究極の恐怖だろう。キング自ら脚本を書いた「ペット・セメタリー」(89)然り、残念ながらそれは小説以外のメディアでは表現しにくいものなのかも。父親の葛藤の欠落、呪われた力で帰ってくる子供、ラストなど、原作との違いにも、脚色の愛の限界を感じた。

  • ペット・セメタリー(2019)

    映画評論家

    佐々木誠

    原作は、キングの私的要素が特に強く、“違和感を覚える展開”の連続だった。主人公一家が小さな子供がいるのに、トラックがバンバン通る道路前の家に引っ越すなど、全篇強引なフリに見えるが、これがほぼ作家になる前のキングの実体験ということで「事実は小説よりも〜」を小説にしているのが面白い。89年の映画化はその私的な部分を意識していたが、本作は「生と死の狭間の存在」を深化させるため後半の展開を変えた。ドラマは濃くなったが、恐怖の疑似体験はやや物足りなかった。

  • カイジ ファイナルゲーム

    映画評論家

    川口敦子

    全ては金、それに群がる人のありふれた欲望の物語をゲーム感覚で料理したら――と、相変わらずな“エンタメ”路線の安易さに辟易しながら、でもこの蜷川仕込みの俳優藤原vs吉田の大芝居、人間秤りの装置の張りぼてっぽさ、そして世の腐敗への批判のこめ方をいっそ令和の時代の歌舞伎として愉しんでしまうこともできるかもと腹を括ってみた。それでもご都合主義の筋には目をつむり切れないものがあるが……。終幕の対決、望遠で撮ったスタジアムの臨場感はちょっとスリリング。

  • カイジ ファイナルゲーム

    映画評論家

    佐野享

    現代日本映画の悪癖がすべてつまっていると言っても過言でない前二作。今回は原作者みずから参加した脚本と若手・ベテラン取り合わせた役者陣にドリームジャンプ的な飛躍を期待したが、開始早々、虚しく綱が切れてしまった。隠喩のかけらもないミエミエの伏線と無粋な説明台詞。現実の社会状況とリンクさせうる素材にもかかわらず、これではそんな切れ味は望むべくもない。唯一胸が躍ったのは伊武雅刀と斉木しげるが旧友同士という設定で共演していること。おお、ドラマンス!

  • カイジ ファイナルゲーム

    映画評論家

    福間健二

    オリンピックのあとの景気失速で悪夢化した近未来というのがいい。次に、カイジの藤原竜也の、足りないものを意識できた気楽さありのスター演技。そして、金塊の重さ比べやジャンケンで勝負というゲームの、ありえないほどの単純さ。幼稚といえば幼稚だが、娯楽映画、このくらいやれば合格というラインの上に、逆説的な「ようこそ底辺の生活へ」の、敵と味方をはっきりさせた抗議と遊びがある。佐藤監督、そつなくまとめている。桐野加奈子のラッキーガール、出番がもっとあるべきだ。

  • ティーンスピリット

    映画評論家

    ヴィヴィアン佐藤

    煌めくポップミュージック。ティーンの部屋の窓越しの夜空の星々よりも、壁に貼られた蛍光の星形シールやネオン管の方がずっとリアルだ。彼らの一見低温だが熱いパッションは、iPod内の窮屈そうな音楽たちそのものだ。視力低下の老眼とは裏腹に、盲目的な彼らは成長につれ現実がはっきり見えてきてしまう。『ガラスの仮面』や『あしたのジョー』のように、むしろ夢を諦めきれない大人たちを救済する選民思想なストーリー。逆光やマジックアワーがヘビトンボの幼羽を透かす。

  • ティーンスピリット

    映画評論家

    藤木TDC

    マイルス・デイヴィスのライブで有名な英国ワイト島に暮らす貧しいポーランド系少女が、不勤勉と自堕落を重ねつつも幾たびのミラクルに救われ、たちまちにスターに。自堕落の場面は私にも経験があり目を覆いたくなったが、主人公はあっさり克服するんだなぁ、若さって凄いと呆然。私の大好きなセイントフォー主演映画「ザ・オーディション」(84年 新城卓監督)によく似た場面が多くて後半は泣いちゃったけど(なので★1オマケ)本質は怠け者が見た白日夢。現実は甘くない。

  • ティーンスピリット

    映画評論家

    真魚八重子

    エル・ファニング主演作はかなり観てきているが、インディーズの小さな作りに押し込められて、じっくり取り組んだ映画がない印象がどんどん強まってくる。本作も予算の少なそうな作品で、重要な要素のはずのオーディション番組の華のなさに興を削がれる。ファニングがステージで見せるパフォーマンスも練り上げられていなくて、思春期の衝動レベルなのが簡素で夢がない。彼女がぶつかる障害はたやすく取り除かれる優しい世界なのに、ファニングの暗い演技設計も違和感がある。

  • フィッシャーマンズ・ソング コーンウォールから愛を込めて

    映画評論家

    ヴィヴィアン佐藤

    固有の場所や歴史、生活から自然発生したものの在り方は正しい。作者不詳で絶対的な目的や機能が備わっているから。一方、音楽やアートと暫定的に呼ばれるものは、本来のそれらは失われ、生み出すという欲望本能の充足が目的だ。後者は前者に対峙すると敗北する。むしろその前では敗北することが存在意義である。現代の我々は錨を失った船のようだ。レーベルや会社、もしくは神や自然か、私たちは一体誰と契約するのか。彷徨い漂い、しかし航海は続けなければならない。

  • フィッシャーマンズ・ソング コーンウォールから愛を込めて

    映画評論家

    藤木TDC

    無欲な人々の芸術的成功と都会に疲弊したエグゼクティブの田舎での幸福発見をミックスした口当たりのよい人情ファンタジー。「事実に基づく」と謳われるが、キナ臭い部分が相当レタッチされていると思われ、あまりに性善説的な物語は毒づきたい邪念を膨張させる。D・ボイルの「イエスタデイ」もそうだが、社会批評性のある大衆音楽を巧妙に非政治化してカウンターマインドを骨抜きする商業主義は狡猾さを感じ腹立たしい。漁師合唱隊にも世に訴えたい主張があったはずなのに。

  • フィッシャーマンズ・ソング コーンウォールから愛を込めて

    映画評論家

    真魚八重子

    実話の映画化が大流行していて、「事実は小説より奇なり」を地でいく啞然とする状況を描いた作品が大量に生産される中で、こういう小粒なものも出来てしまうんだなという印象。「漁師の男たちの歌が思いがけず売れた」というワンシチュエーションに付随する演出や些末の物語は、ありきたりな使い古されたものばかりで弾けない。主人公を演じるダニエル・メイズに、映画を牽引していく魅力が乏しいのも問題だ。設定に意外性がまったくないので、細部にもう二捻りは工夫が欲しい。

  • フォードvsフェラーリ

    映画評論家

    畑中佳樹

    のっけから泣く。別に泣く要素は画面に一つもない。「語り」である。回転数、爆音、スピードはあくまで最大出力でぶちかまし、プロフェッショナル達が最少のやりとりで全てを了解し、涼しげにどんな状況でも手玉に取るアメリカ映画の「ますらお語り」が熱く迫ってくるのだ。泣けない人はアマチュアである。これは実際、フォード社内「プロ対アマ」という話であって、アメリカ映画にあってアマチュアは徹底して悪役である。アマ、アマっていっても女性差別ではないからね。

  • フォードvsフェラーリ

    映画評論家

    石村加奈

    シェルビーがスピーチで話していた、彼の父親の言葉を体現したような、幸せな男たちの友情物語だ。やりたいことを仕事にでき、成功するまで努力することを許された環境下では、7000回転の世界で突きつけられる「お前は誰だ?」という問い自体が愚問なのだろう(ケンの夢を応援する妻を演じたC・バルフ、いい女!)。破天荒キャラ・ケンの方がオトナに見えてくる、後半のシェルビーの悪戯レベルアップにどきどきしつつも不幸な男が似合うC・ベイルのパーフェクトな役作りには脱帽。

  • フォードvsフェラーリ

    映画評論家

    佐々木誠

    主要な登場人物全員が負け犬、という始まりから熱い。タイトルこそ「vsフェラーリ」だが、内容はほとんど「フォード経営陣vsレースカー開発チーム」だ。ル・マンでの打倒フェラーリの為にフォードに雇われたシェルビーら開発チーム。純粋なレースでの勝利、スピードの限界へ挑戦する彼らと企業としてマーケット戦略での勝利に固執する経営陣との“負け犬の戦い方”の相違、軋轢。壮絶なレースの終盤、その全ての戦いに答えを出すドライバーのケンの選択に新しいカタルシスを感じた。

  • マザーレス・ブルックリン

    映画評論家

    畑中佳樹

    主人公が脳の障害で藪から棒に奇声を発する。そのリズムはビバップのように痙攣的で、常に前のめりに予想外の跳躍をくり返すフィルム・ノワールの編集そのものだ。ジャズの映画音楽が良すぎて映画を食ってしまいそうだが、強靭なストーリーと匂い立つような風景が少しも引けをとらずに音楽の力と拮抗する。見ていると何本ものノワール傑作が脳裏を去来するが、ここにはとても書き切れない。台詞が多すぎる気もするが、フィルム・ノワールはもともと早口多弁なのである。

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