映画専門家レビュー一覧

  • コロンバス

    映画評論家

    畑中佳樹

    確かベンヤミンが「映画は建築に似ている」と言っている。どちらも当り前のようにそこにあって、空気のように人を包み込む。片や生活の舞台をデザインし、片や役者が演技する空間を造形する。共に場所を、そこに身を置く人にとっての「世界」を創り出す。空間を吹き抜ける風に相当するのは、映画では音、音楽だ。遠い列車、空気のような音楽がこのフィルムを光のように満たす。主人公が好きな建物の話を始めると、不意に無声となって音楽がかぶさる。この映画、好きな場所だ。

  • コロンバス

    映画評論家

    石村加奈

    計算された構図、無音の使い方、巧みな編集、随所に小津安二郎監督の気配がある。いつの間にか自分の人生の探求をやめて、母との生活に満足しようとしていた少女の前に現れた旅人。美しい建物について、平易な説明ではなく「君が感動した理由が聞きたい」と言ってくれる(ロマンチックなシーン!)他者との出会いから、柵を越えて育まれる二人の関係そして少女の自立を、緑と雨の豊かな街が祝福する。「非対称ながらバランスを保つ」少女ケイシーをH・L・リチャードソンが好演。

  • コロンバス

    映画評論家

    佐々木誠

    監督のコゴナダは、ブレッソンやヒッチコック、そして小津の研究者でもあるので、構図、人物造形、構成など、シネフィル的な要素に満ち溢れている。それが鼻につかず、楽しめたのは偏に「愛」が感じられるからで、舞台がモダニズム建築の宝庫、コロンバスというのも大きい。登場する数々の美しい建造物は雄弁で、「不在」を意識したこの物語の主役といっても良いくらいだ。そもそも建築と映画というのはその構造が似ているので相性は良いのかな、と(制作現場は〇〇組だし。笑)。

  • ムルゲ王朝の怪物

    映画評論家

    ヴィヴィアン佐藤

    巨大な怪物といえば「ジョーズ」や「ゴジラ」が古典だ。前者は出現させない恐怖を、後者は出現する畏怖を表した。このムルゲはその時代の暴君が生んだもので、著しく姿を現すので後者のタイプとなる。巨大ではあるが宮殿内を暴れまわる姿は、大きさを感じさせず、どちらかといえばケージに入った可愛いペットさながら。むしろよく飼い慣らされているようにさえ見える。映画とは視覚芸術であるが、いかに視覚化されないものを現出させるか。その意味では感心できなかった。

  • ムルゲ王朝の怪物

    映画評論家

    藤木TDC

    古装時代劇に権力闘争の具現として怪物を登場させる設定は宮部みゆきの小説『荒神』や映画「ジェヴォーダンの獣」に似るも、めまぐるしい剣戟をふんだんに挿入し純粋にエンタメを追求した点に独自性がある。中盤から出ずっぱりで暴れ回る怪獣……というより巨獣は筋肉質タイプでCG製のハイスピードな動き。私の趣味からすれば着ぐるみの脂肪質怪獣がノロノロ動くほうが燃えるのだが、女優もかわゆいオタク好みのキャラだしモンスター映画好き男性観客には満足できる出来だろう。

  • ムルゲ王朝の怪物

    映画評論家

    真魚八重子

    韓国の王朝時代劇は妖艶な雰囲気もあってなかなか当たりが多いのだが、本作は凡庸な物語に終始してしまっている。朝鮮王朝怪奇ネタで、ネットフリックスの『キングダム』のような秀逸な近作もあるだけに、この作品は権力争いの構図に個性がなく、モンスターの造形の魅力のなさも見劣りしてしまう。怪物の発生理由は霊的で良い着眼点だし、アクションも力が入っているが、登場人物がいささか記号的で、ほっこりした展開に持っていく突き抜けなさが予定調和を感じさせる。

  • サクリファイス(2019)

    映画評論家

    川口敦子

    カルト教団、猫殺しの少年、大地震。世紀末から今世紀へと鮮烈に記憶された事件や出来事をふまえ、選ばれた者と普通の人、境界の向こうとこちら、夢、現実、生と死、犠牲を求めている世界――と、わなわなとした不穏さを呑み込んだ物語を目と耳にねじ込むノンシャランとしてしぶとい映画の感触。深遠さを玩びながらジャンル映画としてのスリルを何より追究するかにも見える、その摑み所のなさを前に判断停止状態に陥った。これを新しさと呼んでいいのか、ふがいなく迷っている。

  • サクリファイス(2019)

    映画評論家

    佐野享

    現実の不条理や不安感、痛みをなんとか映像に定着させようとする真摯さは大いに讃えたい。若い役者たちの顔、たたずまいもわるくない。しかし、映画の強度に耐えうる身体性を獲得する以前の役者たちを象徴主義的な画面のなかで動かそうとすると、なにやらこそばゆい居心地の悪さがただよってくる。彼らを映し出すならば、半端にそれっぽい画面をつくるよりもアマチュア的無造作にもっと依りかかってよかったのでは。将来「壷井濯の原点」と呼ばれる可能性に期待をこめて。

  • サクリファイス(2019)

    映画評論家

    福間健二

    課題「東日本大震災をテーマに」からこれだけの作品ができた。坪井監督の表現は、若さや資質で説明できる範囲をこえるものだ。助言と協力も大きかったろうが、映画以外のジャンルも含めた表現の現在の、いわば罠に進んでハマっている。「走れ、ミドリ」がまず効いた。それを受けて走りつづけるヒロイン翠の表情が、幼いときも七年後も感じさせる。若い世代の内側にあるもの、取材したもの、パクリ的なものが絡んで、詩的な引力を生みだすが、後半は画が使いまわしになりすぎたか。

  • Fukushima 50

    映画評論家

    川口敦子

    2011年3月11日。もう春なのに雪が舞っていたのかと福島がフクシマやFukushimaになった日を俯瞰する幕開けに、劇映画としてその日、その場をどう描くのか――と、素朴な疑問と期待が膨らんだ。が、見るうちに無能な上官に翻弄されつつ自己犠牲の精神を発揮する部下を前線に送り出す板挟みの存在の悲憤を描く戦争大作めいてきて、しかも結局、責任の所在をうやむやにしたまま満開の桜に涙する、まさに戦後日本への道をなぞり、迷いなく美化するような展開に呆然とした。

  • Fukushima 50

    映画評論家

    佐野享

    この数年間に「福島」を描いた映画は多数あったが、言うまでもなくそこではつねに「撮る」「向き合う」「物語る」という主体が問われていた。この映画のタイトルは、海外のメディアが、生命の危機に直面しながら原発の復旧作業に力を尽くした人々への敬意をこめて名づけた呼称に由来する。そこから読み取れる映画の主体とはいったいだれか。豪華俳優陣が見せるやりすぎなほど統率された迫真のうちに、この作品は検証や哀悼や連帯ではなく、動揺や怒りや対立を呼びおこす。

  • Fukushima 50

    映画評論家

    福間健二

    あの日のあの時からはじまる、事実にもとづく物語。だが、佐藤浩市と渡辺謙を真ん中においた悲壮演技の応酬が、ウソだと思えてならなかった。そして事実の取り出し方、どうだろう。政治的意図とヒューマニズム、どちらも安手の二つが手を組んでいる。二〇一四年までの話で、「自然を甘く見ていた」というだけの結論。何を隠蔽したいのか。若松監督、承知の上の職人仕事か。知るべきことがここにあるとする人もいようが、二〇二〇年に見るべき作品にはなっていないと私は考える。

  • 仮面病棟

    映画評論家

    須永貴子

    タイトルの“仮面”を担うピエロのヴィジュアル造形と、“中の人”の優れた身体表現が、求心力になっている。ピエロにありがちなエキセントリックな言動を排除し、沈黙と必要最小限の暴力のコンビネーションで場を支配する。正体が判明するときには、“意外性と説得力の共存”という難易度の高いカタルシスを達成。そのピエロの正体と目的を探りながら困難を打破する主人公を演じる、坂口健太郎の熱すぎないアプローチも、“脱出もの”において観客が感情移入する器として大正解。

  • 仮面病棟

    映画評論家

    山田耕大

    ピエロの仮面の男がコンビニ強盗をし、そこで出くわした女子に銃創を負わせ、彼女を人質にして病院に立てこもる。が、その病院にはおぞましい秘密が……。面白そうな話だが、女子の負った銃創にまず引っかかる。どう見ても切り傷にしか見えない。脚本も書いている原作者が現役の医師なら、それも銃創の一種なんだろうが、素人には納得がいかない。後でそれが臓器移植の手術痕だとわかるが、「ウソっ!?」である。それにしても、立てこもりの病院内の緊迫感のなさは何なんだろうか。

  • 仮面病棟

    映画評論家

    吉田広明

    病院の謎と、犯人の謎の二系統の謎があるのだが、前者に偏りすぎ。監禁されているわりに主人公らが病院を歩き回るので、監禁の緊迫感が薄れ、流れが一方向に収斂し、単調、病院の謎も割れやすくなっている。犯人の側の謎もバランスよく配置し、犯人の正体、真の狙いを主人公が知り、犯人と協力していくという逆転を後半以降メインとしていけば、映画全体がダイナミックになったのでは。本当に悪い奴も、ほとんど名前のみで抽象性にとどまり、犯人=主人公=観客の情動も高まらず。

  • 星屑の町(2020)

    映画評論家

    須永貴子

    田舎娘の愛が、おじさんたちのコーラスグループに加入するまでに80分が経過していた。起承転結の“転”に至ってようやく、この作品の主人公が愛ではなくおじさんたちだと認識。愛にだけ回想シーンがあるなど、彼女の人物造形が厚くなり過ぎ、作品の主体がボヤけてしまった。駆け足で迎えた“結”での彼女の唐突な決断とおじさんたちの元サヤは強引。生の舞台では成立しても、映像ではもっと楽曲数と尺をシェイプしないとダルい。いろいろな点でバランスが悪いが、のんの変化に★を。

  • 星屑の町(2020)

    映画評論家

    山田耕大

    タイトルからして郷愁を誘う。ベテラン脚本家による舞台は、シリーズ七作まで作られている。「山田修とハローナイツ」というコーラスグループに歌手を夢見る田舎娘が加わる。もうそれで話の流れが想像がつき、思った通りに展開する。定番なのが、なぜこんなに心地よいんだろう。心躍る安心感! 味のある役者が隅々に至るまで配されている。熟達の脚本に軽やかでセンスのいい演出。どんな時にも心がどこかに飛んでいるようなのんが異彩を放っている。とても気持ちいい映画を観た。

  • 星屑の町(2020)

    映画評論家

    吉田広明

    25年間続くシリーズ演劇と言うが、さすがにキャラも作り込まれて危なげない娯楽作に。若い女子を入れる入れないでグループが険悪な雰囲気になり、各自の来歴や抱えるものが露わになってくる辺り、やはり映画は何かが崩れる所こそ面白い。岩手が舞台でのんを起用というキャスティングは安易だが、彼女の頸さで一本芯が通った感じ。ただし女子とおっさん集団の違和感は拭えず、せめて女子を昭和歌謡マニアとでもしておけば女子参加の不自然も歌手志望という動機の古臭さも払拭できた筈。

  • 酔うと化け物になる父がつらい

    映画評論家

    須永貴子

    父親が家族を不幸にするまでお酒を飲む理由を、主人公が最後までわからないまま終わる。漫画の原作者=主人公だからといって、わからないものをわからないまま映画にすることが、原作に対して誠実だとは思わない。実写化の意味とは、原作の人物や物語を独自の視点で考察して映像化し、観客に提示することでは? 主人公のモノローグをふきだしにして、カットを淡々と繋げる漫画的な映像にもなぜ実写化したのかという疑問を感じる。役者たちがみな、窮屈そうに見える。

  • 酔うと化け物になる父がつらい

    映画評論家

    山田耕大

    「ルームロンダリング」は中々のものだった。それで長篇デビューした片桐健滋監督の次回作のこれは、期待に違わぬ快作。題名から連想されるような隠隠滅滅なものにはしていない。父親がアル中で、母親が新興宗教にはまった末に自殺となれば、娘の人生は悲惨としか言いようがない。実際に悲惨だが、それを淡々と軽やかに描いている。だから余計に哀しさがじわじわとこみ上げてくる。渋川清彦が絶妙だ。学生の映画にでもノーギャラで出る渋川さんの映画愛は本当に涙ものである。

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