「父は家元」のストーリー
千利休に代表される「侘びさび」の茶道は余計なものを極限までそぎ落とした精神性を重視する世界であった。しかし、流祖である小堀遠州は利休の精神性に美しさ、明るさ、豊かさを加え、誰からも美しいと云われる客観的な美と調和の世界「綺麗さび」の美意識を築き上げる。茶室にも明るさという新しい概念をもたらし、開放感を与え、それは伝統を重んじつつ、現代的なモノや海外のモノを茶道に取り入れる様なまさに“クール”と表現される新しさを持っていた。大名家に生まれた遠州は、幼少期から父である新介正次の英才教育を受け、千利休、古田織部と続いた茶道の本流を受け継ぎ、徳川将軍家の茶道指南役となった。生涯に400回あまりの茶会を開いた遠州は、寛永文化サロンの中心的な人物。さらに、遠州は幕府の建設大臣として建築、造園にも才能を発揮。名古屋城、二条城、桂離宮を手掛けた名建築家でもある。また国産の陶器の指導を行い、日本の陶芸文化に多大な足跡を残し、その分野を問わない縦横無尽な活躍から日本のレオナルド・ダ・ヴィンチと称されている。昭和31年、遠州茶道宗家12世小堀宗慶の長男として生まれた小堀宗実は、平成13年元旦より13世家元を継承。伝統文化の普及と精神文化の向上に努める傍ら、時代を見据え様々な文化とのコラボレーションも実施している。都心にあるオラクル青山センターの最上階。東京の街並みが一望できるこの場所に、宗実家元の設計・監修によって茶室「聚想庵」が作られた。素材や意匠など細部まで遠州流綺麗さびの美意識に裏打ちされた空間。この天空茶室に歌舞伎俳優・坂東三津五郎を迎え、茶会が開かれる。当代一の歌舞伎俳優と一流の茶人の会は、江戸文化人たちのサロンだった茶会を彷彿とさせるのであった。