ハワイ・マレー沖海戦

はわいまれーおきかいせん The War at Sea from Hawaii to Malaya
上映日
1942年12月8日

製作国
日本

制作年
1942
上映時間
115分

レーティング
一般映画
ジャンル
戦争

check解説

昭和十七年(1942)に海軍省の後援で製作された国策映画で、監督はこの前年、「馬」を発表した山本嘉次郎。1968年1月27日再映。
映画館で観る
配信で観る
Blu-ray&DVDで観る
  • 【DVD】ハワイ・マレー沖海戦

  • 【DVD】ハワイ・マレー沖海戦 【期間限定プライス版】

  • 【DVD】ハワイ・マレー沖海戦

  • 【DVD】ハワイ・マレー沖海戦

TVで観る

ユーザーレビュー

「ハワイ・マレー沖海戦」のストーリー

昭和十一年、海軍兵学校の生徒、立花忠明は休暇で帰省した。忠明はその時、従弟の友田義一が海軍少年飛行兵を志願しているのを知り、義一の頼みで、志願を許してくれるよう義一の母を説得した。翌年、義一は土浦海軍航空隊予科練習部に入隊、厳しい訓練を受け始めた。昭和十四年、義一は予科練を卒業して海軍飛行隊の一員となり、一人前の操縦士となるための猛訓練が毎日の日課になった。そんな中で義一は親友を夜間訓練で失ったが、親友の死を嘆く間もなかった。日本と英米間に暗い影が忍びよっていたのだ。昭和十六年の秋、義一たちを乗せた空母がひそかに基地を出航して行った。乗組員に行先は知らされていなかった。数日後、乗組員が聞かされたのは、十二月八日未明にハワイ真珠湾を攻撃するという命令だった。その日、空母を飛び立った大編隊は、見渡す限りの雲海の中を進んでいた。突然、雲の小さな切れ目から、真珠湾口が光った。そこには米太平洋艦隊の主力が、静かに停泊していた。やがて、義一たちの雷撃隊、急降下爆撃隊、水平爆撃隊の大編隊の奇襲攻撃が始った……。一方、仏印飛行場では忠明らの中攻大編隊が、「英国艦隊主力二隻発見」の報に飛び立ったが敵艦を発見出来ないままに帰還しなければならなかった。しかし、その後、潜水艦の情報で、再び忠明らは飛行場を飛び立った。やがて、忠明らの編隊は眼下に敵艦を発見、たちまち、激しい戦いが始った。不沈艦を誇ったプリンス・オブ・ウェールズは死闘をつづけながらも、何本もの魚雷攻撃を受けて、ついに艦首から海にのまれていった……。こうして日本は連合国を相手に、第二次世界大戦の真っただ中に歩んでいったのである。

「ハワイ・マレー沖海戦」のスタッフ・キャスト

スタッフ
キャスト役名

「ハワイ・マレー沖海戦」のスペック

基本情報
ジャンル 戦争
製作国 日本
製作年 1942
公開年月日 1942年12月8日
上映時間 115分
製作会社 東宝
配給 東宝
レイティング 一般映画
アスペクト比 スタンダード(1:1.37)
カラー/サイズ モノクロ

関連するキネマ旬報の記事

関連記事一覧
1968年2月上旬決算特別号 日本映画紹介 ハワイ・マレー沖海戦
1963年3月上旬増大号 カツドウヤ水路 28 「ハワイ・マレー沖海戦」
1963年4月上旬春の特別号 カツドウヤ水路 30 「ハワイ・マレー沖海戦」3
1963年4月下旬号 カツドウヤ水路 31 「ハワイ・マレー沖海戦」4
1963年5月上旬号 カツドウヤ水路 32 「ハワイ・マレー沖海戦」5
1963年5月下旬号 カツドウヤ水路 33 「ハワイ・マレー沖海戦」6

今日は映画何の日?

注目記事