「モリコーネ 映画が恋した音楽家」のストーリー

1928年、イタリア・ローマに生まれたエンニオ・モリコーネ。幼かった彼を音楽へ導いたのは、トランペット奏者の父親だった。父が決めた音楽院に入学するが、病に伏した父の代わりにナイトクラブで演奏しながら家計を助け、苦労の多い青年時代を送る。当時のモリコーネの心の支えは、学んだばかりの“作曲”であった。この時に教えを請うた作曲家ゴッフレード・ペトラッシが、彼の生涯の心の師となる。卒業後、恋人のマリアと結婚したモリコーネは、生活のためRCAレコードと契約、数々の編曲を手掛ける。クラシックの高度な作曲技法と、当時の最先端だったノイズを多用した実験音楽を取り入れることによって全く新しいアレンジを生み出し、編曲を発明したとまで絶賛された。そんななか、彼の実力は評判を呼び、やがて映画音楽の仕事が舞い込むようになる。セルジオ・レオーネはモリコーネの小学校の同級生だったこともあり、たちまち二人は心を許し合う。「荒野の用心棒」の印象深い口笛の曲が二人のタッグの始まりを告げる。だがモリコーネには、映画音楽に携わることに葛藤があった。師のペトラッシはアカデミックな音楽家にとって、商業音楽を書くことは道徳的に非難されると考えていたのだ。苦悩したモリコーネがどうやって誇りを取り戻したのか、カメラは彼の心の内側に迫る。そして、モリコーネと同時代の作曲家ジョン・ウィリアムズや、その後を追うハンス・ジマーが音楽的な分析を披露。盟友レオーネとの最後の作品となった「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」は高く評価され、商業音楽に魂を売ったとモリコーネを無視していたかつての学友が、彼に謝罪の手紙を書くなど音楽界の事件となった。彼自身の中でも一区切りがつき、映画音楽を離れようと決心するが、そんな彼を引き留めたのもやはり映画だった。「ミッション」のラッシュを観て、純粋に心を揺さぶられたモリコーネは魂を込めた音楽を書き上げる。だが確実視されたアカデミー賞を逃し、自身の原点である室内楽の作曲へと戻っていく。今度こそ本当に映画音楽と決別したモリコーネに名プロデューサー、フランコ・クリスタルディから依頼が届く。モリコーネは即座に断るが、強引に送られてきた脚本を読んだモリコーネは心を変える。当時、全く無名の新人監督に自ら電話をかけ、私が曲を書こうと申し出たのだ。彼こそがジュゼッペ・トルナトーレであり、「ニュー・シネマ・パラダイス」はモリコーネに映画の楽しさを思い出せた。その後、「バグジー」「海の上のピアニスト」「マレーナ」などを手掛け、2007年アカデミー賞名誉賞を受賞、そして「ヘイトフル・エイト」でアカデミー賞作曲賞を6回目のノミネートで受賞する。2020年7月、91歳で逝去。

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