「人生の行路(1933)」のストーリー

妻に先立たれた医師イーライ・ウォットは6才になる愛息ジミーを伴って生まれ故郷の田舎町へ帰って来た。彼は町の銀行家ラドフォードから500ドルを借りて開業した。第1の患者はマクギニスの妻だった。ところが難産で生まれた赤ん坊は助かったが産婦は死んでしまった。マクギニスは怒って打ってかかりかねないのでイーライは赤ん坊を引き取って育てた。イーライの家庭にはセラーというオールド・ミスがハウスキーパーとして働いた。かくてマクギニスの娘レティーが4才の誕生日を迎えた時、マクギニスは前非を悔いてイーライに娘を返してくれと願った。お人好しイーライはマクギニスの身勝手な要求にも応じた様に、彼は治療してやった患者たちにも診察代や薬代を督促もしなかったので、いつも貧乏だったが、患者たちが食料品を届けてくれるのでさして不自由でもなく、1子ジミーの成長を楽しみに暮らした。ジミーが小学校に入学した頃、町では天然痘が流行した。イーライは不眠不休で防疫で勤めたので、死者も出さずに済み町の人々に感謝され、州庁からも表彰され、ニューヨークに出て医学研究をせよと勧められた。しかし彼はジミーのために研究欲も犠牲にした。成人したレティーはラドフォードの息子ビルと恋仲で、ある日ドライヴに出掛けたとき、自動車が覆りビルは瀕死の重傷を負った。イーライの応急処置が良かったのでビルは片輪者にもならず、ラドフォードは感謝してイーライへの貸金を棒引きにした。しかしビルとレティーの結婚にはラドフォードは肯んじなかった。その時既に身重になっていたレティーが服毒自殺を企てたのでラドフォードも譲歩した。数年後レティーは2人の子の母となっていたが、大晦日の晩急病となり、ニューヨークで若き外科医となっているジミーの手術を受けた。手術は大成功だったがレティーは気力の沮喪のために危篤だった。ニューヨークへ呼ばれたイーライはレティーの気を引き立てて、彼女に生きんとする意志を持たせた。それがあたってレティーは快方に向かった。イーライは医学が癒しえなかった患者を温かい人間愛で回復させたのである。医師たるものにはこの心掛けがなくてはならん、といって彼は医学会で表彰された。そしてジミーにもジョーンという立派な妻ができたので、イーライ・ウォットは老いていよいよ幸福を感じるのだった。

今日は映画何の日?

注目記事